祝島日記 2005年10月 9月の日記帳へ

 10月1日(土)晴れ 少し南風
 朝、ゆっくり祝島に向かう。途中、ウヤシマ、コージロに寄って釣りをする。余りつれないが、コージロで鯛を二匹とカンパチ一匹、ハマチを一匹釣る。ハマチは帰るまでに死んでしまったので、さばいて冷凍して置く。タタキ用だ。アラなどは大島にもって帰ろうと思う。
 釣りから帰って、ソーヅイに行ってみる。石榴が一つ熟れていた。柿は裏年のようで実が少ない。
 時季はずれのヤマブキが咲いていた。
 シラサキの平さんの田は稲刈りが終わっていた。
 晩飯は敏坊さんさんのところでご馳走になる。ヤッチャンも一緒。文彦君からメールが入る。高松に行っているようだ。


10月2日(日)晴れ 南風のち凪
 ゆっくり大島に向けて出発。途中ウヤシマに寄って釣る。鯛一匹とカンパチ一匹。大きいハマチらしいのが釣れていたが、20分くらい粘ったが、少し力を入れて引くと、釣り針がのってしまって逃げた。後に疲れきったカンパチだけが上がってきた。
 夕方、原さんの焼肉の誘いで、周南市に秀人君と一緒に行く。大きいイベントを作り上げていくための集まりだったようである。原さんも力を入れているようであった。


10月3日(月)晴れのち曇り 
 夕方、生徒と一緒に30分走る。走れるようになってきたようだ。


10月4日(火)夕方雨模様 凪 
 コッコーを挿し木する。着けば良いが。


10月5日(水)一日雨模様 凪
 午後出張。帰って子供達がジョギングをしているのに合流。


10月6日(木)晴れ 凪
 日差しが結構強い。
 放課後、部活動をしていると、なんと文彦君が来ていた。校舎を見ながら「良いですねえ」と言っていた。なかなか気に入ったようだ。
 夕方柳井に行く。仕事関係、こまごま買い物。敏坊さんより電話。8日の件。
 家に帰ると、仕事場にパソコンを忘れていたのに気づく。下駄箱あたりに忘れていたので確認に行くと家の中に入れてくれていた。


10月7日(金)曇り 夕方ポツポツと雨
 ナゴジロー、リョウキチ達は明日までテスト期間。柳井で金魚やヒメダカを買う。


10月8日(土)曇りのち晴れの予定
 これから祝島に帰る予定である。釣り道具の修繕も終えた。
 夕方、孝君と明子さんの結婚披露宴が祝島の公民館であるのである。原さん、洲澤さん達も出席されると言うことで会えるのが楽しみである。
 祝島は、人の交差点として素晴らしいものがある。いろいろな素晴らしい人に遇える。
 
 北西くらいからの風があった。風があるので釣りをできなかった。文彦君は昼便で島に来て手伝いをしたようだ。公民館にいると言うので行ってみたら、どこかに行っていた。帰る途中、原田のおばちゃんに出会って、原田に寄って見た。おじさん(ひんでーさあ)は親父の友人で、杜氏仲間だったのである。おらと話すときは、親父や「さかや」(酒造会社)の話になる。おじさんが杜氏のころは、岩国に18軒の「さかや」があってそのうち11軒が祝島の杜氏が作っていたそうだ。
 結婚式のときに、茂一さあに聞くところによると、祝島のおらの祖父さんの頃には祝島の杜氏は100人以上(正確な数字を忘れたのだが111人だったような気がする。)いたそうなのである。昭和10年頃だろう。
 夕便を文彦君と見に出た。原さん、太田さん、洲澤さんのカヤック三人組が下りてきた。
 結婚式は午後5時半過ぎから始まった。やはり濃いい交流の場であった。
 二次会はいこいの家とやまと家であった。おらは中年組みのいこいの家に行ったのだが、何か勘違いした原さん、太田さん、洲澤さん達がやまと家に行っているということで、軌道修正のためにやまと家に行くが、おらの方が若返って、若者組に居座ってしまった。いろいろ楽しく歓談した。カヤック組は男っぽい。


10月9日(日)晴れ 北風
 朝便を見送りった後、ゴロゴロ本など読んで、昼過ぎに原さんの畑を見に行く。原さんの知り合いがカヤックで来て、裏のほうでキャンプをするということであった。おらが五月丸で来たとき、港を出て行った。
 運よく原さんはまだ佐合島にいて、神社などを案内してくれる。すごく大きなクスノキやタブノキがある。畑の野菜の芽(若い葉っぱ)が虫にやられていた。いやあ原さんはいろいろ考えることが多いなあ、と感心した。原さんは、風貌からは感じられないくらいのことをあれこれ考えているのではないかと思った。いや、虫だけではなく。
 夕方敏坊さんとモイカ掛けに出た。八つ九つくらいずつ掛けた。形は小さかったがまずまずである。 


10月10日(月)晴れたり曇ったり 北風
 朝早くソーヅイに行って、石榴五つと柿を二十ばかり収穫した。平さんの石垣をかなりきれいにしていた。平さんがやったのだろう。道の上側はカズラをほとんどとっていた。
 九時過ぎて五月丸で大島に向かう。北風がある。ハナグリの陰でヤズ漕ぎをすると一匹来た。天田を過ぎたところで、風が弱ったようなので、コージロに行く。収宝丸がいて、アジが釣れるというのでお邪魔して、釣らせてもらった。良い形のアジが釣れた。鯛も一匹来た。
 帰りかけると、また東風らしき風が強くなった。
 柳井に初物のモイカを持っていく。


10月11日(火)晴れ 凪といっても祝島はかなり波がありそうな。
 大島では一周駅伝がある。練習がぼつぼつ始まっている。
 帰りに五月丸に寄ってアジを上げて刺身と煮付けにする。なかなか旨い。カンパチの塩焼きに大根おろしを付ける。今日、おろし器を購入したのである。これで青魚の焼いたのが一味向上する。
 夜なべに柿の皮をむく。秋だ。


10月12日(水)晴れ 凪凪といっても祝島はかなり波がありそうな。
 部活が終わって五月丸に寄ってアジなどを上げて、柳井に持って行き、山口に宅急便で送る手配をする。氷はヒロコおばさん案でシュウトウで賄う。
 リョウキチがK1を見ているのでおらも寝そべって付き合う。リョウキチはよく弓道部のいい先輩と格闘技もどきを楽しんでいるようである。
 五木寛之の「こころの天気図」を読みおえた。


10月13日(木)晴れ 凪
 テストが始まるのでテストを作った。今年は初めて、テストをパソコンで作ろうと試みているのである。時間がかかる。半分くらいできた。
 帰り際、空に小さな積雲がポツポツとあって、さわやかできれいだった。
 帰って干し柿の様子を見る。順調である。
 ヒロコおばさんが、モイカのしごをしてくれていたのを肴に一杯やる。リョウキチはいい先輩に恵まれ、ナゴジローはいい友達と巡り会え、幸せだ。おらも旨いモイカが味わえて幸せだ。子供が幸せなら、ヒロコおばさんもきっと幸せだろう、と思いながら一杯やる。柿がズクシになってきたので食べる。
 
 原さんから上関原発便りが届いた。


上関原発便り第八弾
このメールはBCCにて配信しております。こんばんわ!ダイドック原です。

朝晩は随分と肌寒くなってまいりましたが本当にいい季節ですね。
海の水温はまだ暖かくシーカヤッキングをするには最高です。
9月に発覚した原発詳細調査での汚水垂れ流しによる調査の差し止めは現在も続いており、ダイドックも今は比較的平穏な日々といったところでしょうか。できるならば永遠に中止してほしいものです。
10月20日には原発予定地における共有地問題の広島高裁での判決が下ります。
原発の是否を問う重要な裁判だけに動向を見守りましょう。
 
10月13日発売の雑誌「ターザンTARZAN」に注目です。
海洋ジャーナリスト内田正洋氏の連載に祝島の事が書かれています。(P85)
原発の事実・祝島の意味・ホクレア号の事、全国誌にここまで表現をされた内田氏の勇気と意志に感謝します。
みなさんぜひ読んでみてください。(できれば購入してね!)
よろしくお願いいたします。
それではみなさん季節の変わり目なので体調には気を付けてお過ごしください。
DAIDUK OCEAN KAYAKS & ADVENTURE 原康司
        MAIL   kouji-h@sirius.ocn.ne.jp
        URL    http://www13.ocn.ne.jp/~daiduk/
        TEL&FAX  0834-25-1036

10月14日(金)雨 凪
 夜中にしとしとと雨が降っていた。静かな雨で、干し柿が濡れるような雨ではなかった。
 朝、雨が上がっていたが、すぐ降り始める。一日中雨模様。畑にはいい雨だろう。今年はもう台風の心配はなさそうだ。


10月15日(土)雨のち晴れ 凪 10月16日(日)晴れ 凪
 夜中に目が覚めて、テスト作り完了。宮部みゆきの「理由」を読み始めている。
 明け方、眠くなり、うとうとした後起きだして、タイサガリを一つ作る。
 昼食は久しぶりにヒロコおばさんの手作りをナゴジローとる。リョウキチは部活動に行っていた。
 午後3時半頃、秀人君が迎えに来てくれて、湯来町に向かう。みっちさんに道を聞いて、道に迷わず、無事団栗亭に到着。文彦君はすでに来ていた。団栗亭のマスターや奥さんに久しぶりに会えた。今日も一宿一飯の恩義にあずかることになっている。
 大森神社の大森神楽団の神楽を堪能する。去年の中学生が、それぞれ成長し、たくましくなっている。
 まさるさん達は、すでに始めていた。おらたちもビールで参加した。哲ぼんさんが気を遣って、おらが持っていった三角餅を、おらの名前をわざわざ出して配ってくれていた。哲ぼんさんは本当にいい人だ。「祝島」も相当広がっただろう。
 神楽が終わったのが0時過ぎだったろうか。団栗亭に帰って、娘さん達がいた掘りごたつに、遠慮もなしに文彦君たちは入り込んだので、おらは寝た。
 朝起きたら文彦君は高松に行っていた。秋晴れの青い空と涼しい空気がみなぎっていた。哲ぼんさんたちと散歩をして帰ると、団栗亭のモーニングが運ばれてきた。哲ぼんさんの家にいるような雰囲気であった。昼過ぎに、今度は本物の、哲ぼんさんの家に行って、団栗虫を見物した。
 秀人君の車で、柳井に着いたのは夕方暗くなってからであった。


10月17日(月)晴れ 凪
 中間テスト。
 放課後、おらも子供たちと走る。3km余り。
 帰って、哲ぼんさんにもらったアボカド、湯どーふ、残っていた鯛の刺身、丸久の秋刀魚の竜田揚げ、熱いご飯に団栗亭土産の韃靼そばふりかけという多彩なメニューの夕食をとった。


10月18日(火)晴れ 北風
 夜中から強い北風が吹いていた。昼は少し凪いでいたが夕方にはまた強まったようで一日続いていた。
 アボカドと、ソーセージの焼き飯、残りの竜田揚げ、湯どーふというメニュー。
 明日は秋らしく、そばと飯、漬物少々という質素なもので行こうと思っている。秋はたまには、わびしさが肴として似合う季節なのである。しょっちゅうではつらいかもしれないが、秋だ。


10月19日(水)晴れ 北風
 季節風のはしりの北風と台風へ吹き込む風が一緒になったのか、結構強い風が吹く。別倉の東側が笹薮なので雨のような風の音がする。
 夕方、団栗を探しにいこうとしていると、なお君が「何をしているのですか。」と聞く。虫を採って魚釣りの餌にするのだというと、ふーんと言う感じでいた。おかしなことをするんだなあ、というところだろう。「おかしなのは哲ぼんさんなのだよ。」と、やさしく心の中でつぶやいて、山のほうに向かっていった。余り無かった。ふと思う。秋は独り言も似合う季節かもしれない。


10月20日(木)晴れ 凪
 このところ朝と放課後、生徒達と一緒に走っているのだがついていけない。初日はなんとか同じくらいの量が走れるのだが、2日目3日目からはフカヤなどで三分の二くらいしか走れない。しかし、膝の痛みが引いたのでゆっくりでも走れることは喜ばしいことだ。


10月21日(金)晴れのち曇り 凪
 午後出張。予定より遅くなり、祝島に帰ろうと思っていたのを変更して、柳井で夕食。リョウキチは部活でいつも19時を回るようである。今日は矢がなかなか的に当たらなかったようである。涼しくなり、食欲は出てきたようだ。


10月22日(土)晴れたり曇ったり 西風
 西風がありそうなので、夕方まで凪ぐのを待つことにししたが、結局凪がず、祝島には帰らなかった。釣り道具を内海釣具店に買いに行く。雑貨なども調達する。リョウキチ、ナゴジローは学校。今日は高校に参観者が来校する日ということである。
 ぽっかり空いた時間ができたので、別倉の冷蔵庫の冷凍室の氷を取ろうと、ドライバーと金槌でやっていると穴を開けてしまったようで、ガスが漏れ始めた。後の祭りである。ぽっかり空いた時間にぽこっと穴を開けてしまった。
  夕方、別倉の前の波止でモイカを狙うが、小さいタコが1つ。柳井にもって行き、ヒロコおばさんが、ゆでてくれ、足が数本つまみになる。 


10月23日(日)晴れ 西風
 ナゴジロー、リョウキチタチは模擬テスト。
 おらは祝島まで帰る。西風が凪ぐかと思ったが、一日中凪がなかった。昼前、少し凪いだかなと思い、ウヤシマに行く。思ったより強く、タカノスのあたりの陰で釣ってみるとアジがポツポツ釣れた。モイカを狙ってみると、一つかかった。コージロにいってみる。暗くなり前に大島に向けて出発。夕空がきれいだった。着くころには真っ暗になった。陽が暮れるくれるのが早くなった。


10月24日(月)晴れ 凪 
 朝ゆっくり走る。筋肉痛は少し和らいだ。朝夕で6km位走っているだろうか。
 帰りに五月丸に寄って、モイカ1つとアジを2匹上げて、モイカは干してアジは刺身と塩焼き。米は一合以上食べた。哲ぼんさんの梨がデザートである。満腹だ。食べすぎだ。腹ごなしにギターを弾く。


10月25日(火)晴れ 凪
 朝、ゆっくりしか走れない。夕方、インターバルとやらをやった。
 タチををもらったので柳井にもって行く。ヒロコおばさんが刺身にしてくれて、旨かった。
 リョウキチの的中率は五割だったようだ。たまには調子のいい日があるようだ。ナゴジローは部誌を貰ったとか言っていた。


10月26日(水)晴れ 凪
 朝、ゆっくり走る。夕方は所用で走らなかった。
 仕事場の便所の窓から、ツワの花が咲いているのが見える。秋の盛りだ。
 「沖浦の 裏山に立つ 柿の実の 見おろす下に ツワブキの花」 
 帰って、コッコー長屋の裏にたまっていた土を取って箱に入れる。


10月27日(木)晴れ 凪
 朝、走る。
 アジを上げて柳井に持って行く。


10月28日(金)曇り夕方雨 凪
 朝と夕方走る。一キロ四分0六秒。四分が近づいてきた。


10月29日(土)雨のち晴れ 西風
 午前中、東和の陸上競技場での短縮マラソン大会に生徒引率。午後帰ってくる。雨が上がってよかった。
 午後、二時半過ぎに祝島に向けて五月丸で出発。出てからすぐに、かもめが飛んで魚が湧いているので、ヤズ漕ぎをしてみると釣れない。鯛サガリを入れるとマルアジが一匹釣れて、後なかなか釣れないので祝島に向けて再度出発。西風がかなりあった。大島のあたりの波とハナグリ過ぎてからの波は約2倍くらいである。祝島に着いたころは薄暗くなっていた。石ころを少し拾う。
 NHKで昭和人物伝というのをやっていた。川谷拓三、山田宏臣(走り幅跳び)、大島みち子の三人だった。


10月30日(日)晴れ 朝凪午後西風つおる
 朝早く目が覚め、宮部みゆきの本が読み終わる。薄暗い中をモイカ掛けに波止に出ると先客がいた。予想外に凪いでいたので、五月丸で出る。コージロでモイカを一つ掛けて、釣りをするが釣れないので、アジでも釣ろうとオキナに行って釣っていると一キロ余りのサワラ(鰆)が釣れた。釣っていると今度は4Kgくらいのサワラが釣れる。運がいい。
 秀人君が昼便で帰ってきた。,祝島ネット21の会報作りで忙しそうである。
 サワラをさばいた後、ソーヅイに行ってドングリを捜すが、野鼠がみんな食べている。実が少ないので、落ちてすぐでなくてはドングリは残らないようだ。探しながら柿の木の方に行っていると何とハミがとぐろを巻いていた。メガネ(老眼鏡)をかけていてよかった。
 帰ってハミの皮をはいで干したりしているうちに大西風になった。
 ハナグリまでは五月丸がゆれた。追い波でちょっとサーフィン状態になるときがある。
 午後4時半過ぎに大島に着く。サワラを持って柳井に行く。サンピアにロールケーキを買いに行く。ついでに文庫本を4〜5冊買う。
 サワラの握りずしとロールケーキでリョウキチの誕生祝いをする。リョウキチはロールケーキを喜んでくれた。我が家の住人は安上がりにできているのだ、とつくづく感心する。
 今日は思わぬ収穫があった日である。


10月31日(月)曇りのち晴れ 凪
 朝、ぱらっと小雨が落ちたがいい天気になる。朝、夕合わせて5km位走る。
 仕事場からの帰りに五月丸に寄って、おとといのモイカを上げて、さばいて干す。
 10月が終わった。


11月の日記帳へ