祝島日記 2006年1月 12月の日記帳へ
1月1日(日)晴れ 凪少し西風
晴れで始まった。ユウベエが初日の出を撮りに浜に出る。おらも遅れて出てみる。雲一つない空を飛行機雲が進んでいた。
実業団の駅伝をテレビで見る。
昼過ぎゆっくり、四人で行者様に参る。途中ヒロコおばさんが冬イチゴを採っていた。行者様のお堂の古かった畳が新しい板の間になっていた。
行者様からの帰りに墓参りをし、中学校のグランドでブーメランを学校下に投げ落とした秀人君に遇う。秀人君たちは午前中にお参りをしたようである。
帰って、リョウキチになまこを採って来てもらい、肴にする。鯛の刺身も。ユウベエは子供の中で一番魚を食べる。
夕方ナガイソまでランニングをする。初走りである。
1月2日(月)曇り 西風
箱根駅伝を見る。
ナゴジローが残っている柳井の別荘の給湯器が調子悪く、取り替えて貰うことになり、急遽おらが柳井に行くことになる。帰るユウベエと昼便で出て、おらは夕便で帰る。
マーティンさんとあすかさんが来島していて、家に寄ってくれる。二人はめでたく婚約の運びとなったそうである。今年から英国での生活が始まるようだ。
みっちさん達は周防灘フェリーで徳山港に向かっているという連絡がヒロコおばさんの携帯に入ったそうだ。うっすら祝島が見えるということだった。暮れから大分に帰っていたのである。祝島を気に留め、西風の吹く中、波の中に祝島を眺めてくれる人たちなのである。今年もいい年になりそうだ。
1月3日(火)晴れ 西風
箱根駅伝を見る。昼からソーヅイに行ってビワの木に絡み付いている蔓や下草を刈る。冬休みにソーヅイを公園のようにきれいにしようと思ったが、できなかった。それでも去年よりはきれいになったかもしれない。今良く花が咲いているが、寒が来るだろうから、今の花がそのまま実になることは期待しないほうが良いだろう。残っていた富有柿にメジロがやってきて、ついばんでいた。おらもいくつか硬さのあるのをもいで食べた。
1月4日(水)曇り時々粉雪や霙模様
ソーヅイに行く途中、シラサキの上のヒラに平さんがいて、石垣を見に来ていた人話をしていた。帰省していた島の人だろうか。
ソーヅイでは梅の木やびわの木のしごをする。順調に行けば、昨年以上のびわの収穫は間違いなし。休憩中に寝そべると今日も柿の木にメジロの群れがやってきて柿の実をつつく。おらも少し横取りをする。
リョウキチは昼便で出て、おらはイーちゃんに挨拶をして五月丸で出る。大島に着いて、室津までヒロコおばさんを迎えに行く。ヒロコおばさんは家の片づけをしたので、最後になったのである。それぞれ時間差の家出であった。室津からの帰り道、すぐ後ろの車が秀人君のワゴンRのようで、同級生のよう子さんが乗っているということが携帯でわかる。サンピアの前で、横に来たワゴンRの中のよう子さんに手を振り、確認できた。
正月を一人柳井で過ごしたナゴジローと新年の挨拶をして、本州での生活に入った。
1月5日(木)曇りのち晴れ 西風
部活動初日。冬休みに入ってのイトー先生の指導で生徒のフォームが少し変わったのが判る。そうか、こんな風に指導するのかと感心することが多い。
原さんが大晦日の読売新聞に載っているということで、柳井の図書館に行きコピーしてもらう。柳井の別荘に帰ると大和からの帰りのヒロコおばさんと一緒になる。
30分余りランニングをする。大屋団地のバス停に出たところで引き返す。
夕食は鯛の握り寿司風(握り寿司ではない)である。ナゴジローとの新年会のつもりである。
1月6日(金)晴れたり曇ったり 凪のち西風
部活からの帰りに、五月丸に乗って、スタンチューブのパッキンをつめなおす。アカが入って、一杯たまってるようになっていたのである。
別倉に帰って原さんのホームページで、佐久間洋之助さんの死を知る。おらは、横断隊と少し一緒に漕いだときにちょっと触れあっただけなのだが、後で、原さんや文彦君から聞いてすごいサーファーだと知る。インターネットで見ると、日本でも屈指のサーファーと言うことである。原さんの話によるとサーファーとしてのすごさだけでなく、海に対しての知識、関わりあい、想いや姿勢などで共感するものが多いということだった。祝島の櫂伝馬にも興味を持ち、おらも偉大なサーファーを身近に感じていただけに、この訃報はショックであった。次の神舞では櫂伝馬を漕ぎに来る予定だったのだ。
1月7日(土)曇り 大西風
朝便のいわいで祝島に帰る。
ナガイソをうってヤイナリの種を撒く。ヤイナリはエミちゃんがタイの店で買って、送ってくれたものである。ぬくいのが好きな豆のようである。祝島には向いている豆だろう。柿の木やキューイの周りのしごもする。腰がくたびれて据わりながらする。
夕便で柳井に帰る。
1月8日(日)晴れ 西風
睡眠をたっぷりとる。休日をゆっくり過ごす。「ターザン」を買って読む。内田さんの書いたページに祝島の櫂伝馬(神舞)についての記事が載っていたのである。
午後、思いついて家房まで自転車で行ってみる。江戸時代の相撲取りの手形があると言うことで、ダイキ君に案内してもらう。墓もあった。手形の写真も撮る。
帰りはすっかり草臥れて、暗くなり、大島のコンビニで懐中電灯を買ってくくりつけて柳井にたどり着く。
1月9日(月)晴れ 凪
昨日の自転車のフカヤが出ている。
テレビで「チップス先生さようなら」を見る。
午後、大和にヒロコおばさんと行った後、買い物につきあう。夕方大島の別倉に帰る。
松田正平さんの本が作られるというニュースがモリシマさんから入る。うれしい話だ。
1月10日(火)晴れ 凪
気温は低いが、穏やかな一日だった。初めて百人一首をした。ほとんど知っている短歌はないのである。当然であるが対決でミノリくんに負けた。
部活で3km位ランニング。
プランターを2つ買う。
1月11日(水)晴れ 凪
穏やかな一日で、気温も上がった。
めったにないことだが、風呂上りに腹筋と背筋、腕立てを少しした。
プランターに、祝島から持ってきたウベの苗木を植えつけた。着けば良いが。正平さんもウベが好きだったようでウベの実を描いた絵がある。クレヨンか色鉛筆で描いた絵で、おらはその絵葉書を祝島に飾っているのである。生き生きとしているウベの実(葉っぱも付いている)である。
1月12日(木)晴れ 凪
部活でダイキ君とランニングをする。アップやダウンを入れて5kmくらい走る。
道端にたまった腐葉土を拾って帰る。
洗濯物を持って柳井に行く。リョウキチは弓道部を中心に生活しているようである。ギターへも気が向いたようで、ちょくちょく練習している。レパートリーが二曲ばかり増えそうだ。
1月13日(金)曇りのち雨 南風
沖浦中学校で「書き初め教室」というのが行われた。これは毎年行われている行事で、中学校としては珍しいと思う。講師の先生の指導の後に午前中に書いて、午後、生徒の作品についていろいろ講評をしてもらうのである。講師の先生の話を聞いていると、字の書き方についてほとんど知らなかったことに気づかされる。いい勉強になる。何でも生涯学習である。
晩には喜多さん主催のコッコー長屋の新年会があり、これから出発である。
楽しい新年会だった。コッコー長屋のページを作ろうということになった。
いつしかタクシーの営業時間を過ぎていた。帰る途中で、喜多さんが、ナウイ茶店(自動販売機)で、アイスをおごってくれて、春雨のやんだ靄の中を四人で長屋までしゃべりながら歩いた。
1月14日(土)雨のち曇り 西風?
昨日から久しぶりにまとまった雨が降った。イチジクやヤイナリにいい雨だ。
雨の中を柳井に行く。昼前に上関歯科診療所に行って、欠けていた歯と、詰めていた金属が外れていたのを治療してもらう。土曜日に開いているので助かる。もう一度行って完成である。
夕方、平生の築廻というバス停まで50分くらい走る。
リョウキチは部活はなく、模試だったらしい。
1月15日(日)晴れ後曇り 北風のち凪のち西風
祝島に帰ろうと五月丸に行ってみると、スタンチューブからのアカがたまり、機械場のスイタが浮いている。アカ換えようのポンプが動いたので助かった。
五月丸で祝島に向かう。北風がありコージロは強そうなのでオキナに寄って釣る。コダイとアジの小さいのが釣れたが、次第に凪いできたようなのでコージロに向かう。コダイがぼちぼちといい形の鯛も釣れた。
綿村に、預かってもらっていた荷物を受け取りに行く。眠っていたイーちゃんを起こしてしまった。
帰りに港の中で、健洋丸にサエルを貰う。エミちゃんにも少しおすそ分けを送る。
柳井にサエルを持っていく。ヒロコおばさんしごをする。今晩の肴はサエルのカラ揚げだ。
年の暮れに聞いたのだが、祝島の漁師は上荷内をコニナイ、下荷内をオオニナイと言うようである。左の写真がコニナイ、右がオオニナイである。オオニナイの木を切っているところには灯台がある。
1月16日(月)曇りのち雨 凪
ガソリンが少ないので不安だったが、夕方入れることができた。
朝、早めに行ってあいさつ運動をする。
夕食に、久しぶりに鍋をする。といっても5日ぶりくらいか。鍋の前に、久しぶりにデンゴのセゴシを肴にする。当分魚はあるのである。アカが心配で、毎日帰りに五月丸に寄ってみることにしている。パッキンが不足しているのだ。
今日気がついたのだが、仕事場の隣にウベの木があり、実がなっていた。植えてみようと思い種をとった。この冬は種を植えたり、苗を植えたりで忙しい。春に芽が出るのが楽しみでもあるし、待ち遠しくもある。
リョウキチの友達が、おらがホームページを見てくれたそうである。祝島を検索してからたどり着いたようである。リョウキチは「僕の私生活が見られてしまった。」と文句を言っていた。
1月17日(火)曇り 凪
6kmくらい走る。
五月丸のアカをかえた後、柳井にサエルをとりに行った。エミちゃんから今場所の番付表が届いていた。
1月18日(水)曇り 凪
部活で海岸を走る。津海木の浜にはいろいろお世話になる。冬に走ったり、夏に泳いだり、カヤックで上陸したりの自然のいい砂浜である。
帰りに五月丸に寄ってアカかえ。
ヒロコおばさん作の柳井土産つまみやアジの焼いたのや、鍋の残りやらなど、いつもより種類の多い肴だった。
1月19日(木)曇り 北風
朝起きると笹の葉が騒がしかった。早い目覚めだったので、こんな時はと思い立って良寛さんの短歌を小筆で書いてみた。筆に慣れたい。
部活で5kmくらい走る。
昼に思いがけなく、千葉のひでよさんから電話が入る。安下庄に来ているのである。ひでよさんはおらが千葉での教え子なのである。お母さんが安下庄の出身で、おらが千葉時代に住まいの世話をしてもらったこともあるのである。
安下庄に行って久しぶりにお母さんに会って、ひでよさんはおらが別倉に来賓としてきてくれた。立派なお母さんになっているなあと、感心した。娘さんはきっとかわいらしい子に育っていることだろう。話を聞いていて幸せになった。安い発泡酒と酒しかなかったけど、おらはうまかった。でも値のいい酒も置いておくように心がけよう。もう一つ、月に一回はそうじをするように心がけよう。
1月20日(金)曇り 北風後凪
朝、北風が笹をそよがせ騒がしい。寒気が昨日から入ってきたようで寒い。
夕方少し走って、五月丸に行ってアカかえ。夕方は凪いで来たようである。
明日は共通一次のテストがある。入試シーズンだ。
1月21日(土)曇り 凪
東和町に生徒四人引率業務。といっても、おらがハイジェット号には乗れないので、生徒四人はダイキ君のお母さんの車で運んでもらう。終わってから柳井に行く。リョウキチだけ帰っていた。ヒロコおばさんはアイちゃんたちと平生で談笑中とのことであった。おらは夕方平生方面に向けてランニングをした。45分。
1月22日(日)晴れ 西風
平生までヒロコおばさんとドライブをした後、五月丸に行ってこまごま(ブレッチの覆いなど)の修理に取り掛かる。
「ターザン」を買いにいくと、目当ての18日号は売り切れていて、次の号しかなかった。18号にはカヤック横断隊の記事がたっぷり載っているそうなのである。
夕方から沖浦ダンディーズの音楽教室第一回目の集まりに参加する。フォーク世代でみんなギターの経験者である。なかなか楽しい文化活動になりそうである。ビールも旨かった。そうそう、善徳寺の若奥さんの差し入れを持っていった。
1月23日(月) 凪ぎ?
部活で3km位走った。
リョウキチが、友達のモト君から「リョウキチ」と呼ばれ始めたらしい。モト君は祝島に興味があるらしいので、いつか祝島で出会えるかもしれない。
ナゴジローのお疲れ様をねぎらって、スーパーでにぎり寿司を買っていく。五月丸でアジをとってネタにしてみた。
1月24日(火)晴れ 西風
西風が少しあるようだったが、それほど強くないようだ。
このごろニュースなどで祝島が出ているようだ。コッコーワインや櫂伝馬作りのニュースらしい。昨日の中国新聞には八百新の酒造の記事も載っていた。八百新の杜氏さんは祝島のヒンデーさあなのである。
夕方、生徒達と70m前後のダッシュを20本する。
今日はヒロコおばさんの「ミンチーハス」肴に一杯やった。一杯やりながらというのは、いろいろ考えが浮かぶが泡のように消えるようにも思う。おらは健忘症気味な気もするが、何十年かぶりに1曲覚えることができた。「ゲゲゲの鬼太郎」である。昨日、仕事場で弾いているとショウコさんが聴いてくれていた。観客一人で、緊張して、とっさの1曲のミニコンサートを開いたのである。おらが覚える能力はおらなりに根を詰めてメロデー1分が1ヶ月のようである。今年はとにかく覚えることにも努力する。
1月25日(水)晴れ 凪
祝島では西風があるだろうが、こちらは凪である。
ターザンの2月8日号に瀬戸内横断隊の記事が載っているという連絡がエミちゃんからあり、22日に買っていたのを捜してみるとあった。おらの顔も載せてくれていたのである。
洋之助さんもいた。なんとも悲しい。内田さんがどんな想いでこの記事を書いたのかを想像したりする。(記事を書いたときは洋之助さんは健在だったようだ。)
1月26日(木)晴れ 凪西風が時々吹く
エミちゃん情報で、2月8日号が1月18日発売号のようである。だから目当ての号は買っていたことになる。一件落着である。
早起きした。写真で見ると原さんの小屋の基礎が立派にできている。おらの大工技術はとうに抜かれた。おそるべし、原棟梁。
4kmランニング。生徒の後をよたよたと。
1月27日(金)晴れ 西風
凪かと思ったら、午後はかなり西風が吹いた。
部活で近くの海岸まで走る。左側に上荷内が見える、初めての浜であった。百メートルくらいのさらさらの砂浜がある。
1月28日(土)晴れ 少し東風のち凪
五月丸で上関の歯科診療所に寄って治療完了。診療所の皆さんは大変親切なのである。
診療所のあと、コージロで釣りをする。原さんのところに鯛を、と思って粘ったが、大きいのは釣れなかった。
刺身を少し作って、秀人君を誘って佐合島の原さんの作業場に行く。総勢八人で、渡船の待合室で会合が行われた。楽しく、石垣島の方面の唄なども聴けた。九時までいて、帰った。秀人君は佐賀から室積みへ。ネット21の会報の編集などで忙しいようであるが、付き合ってくれた。おらはゆっくりと夜の海を祝島まで帰った。途中、浅瀬に舵がぶつかって曲がってしまったが五月丸は無事であった。舵はステンレス製で大変丈夫である。おらは運がいい方である。
途中、イトー先生から電話が入っていた。実は今度、寿司のにぎりかたを講習してもらうことになっているのだ。その打ち合わせのようなものであったが、おらは明日、その寿司ネタを釣り上げる予定であったが、釣りができそうにない。そのことを伝えると、イトー先生の教え子に魚屋さんがいるから心配要りませんよと言ってくれた。
1月29日(日)曇り 凪
五月丸を修理してもらおうと思うが、船台が空いてないので、できなかった。刺身包丁を研いだりして、一日ぶらぶらとのんびり過ごす。
夕方のいわいで帰る。室津から柳井まで、運よく戸田さんの車に乗せてもらった。とても有り難かった。暗くなった中を柳井から、沖浦まで自転車を漕いで、トラックをとりに行った。イトウ先生は沖浦にトラックが置いてあり、五月丸がないので、心配してくれていたようである。
1月30日(月)曇り時々小雨 凪
曇り空だが暖かい一日だった。
1月31日(火)雨のち曇り 凪
朝便で祝島に帰る。ハナグリで釣れると言うのを聞いて傷んでいる五月丸でゆっくり進みながら釣りに出る。満ち潮では釣れなかった。ひ潮がわしに釣れた。一キロを越えるのが二匹続けて釣れた。実は二匹ほど是非欲しかったのである。一匹は下関に、一匹は寿司ネタ用に。
釣りから帰って、船台に五月丸を上げて、修理をしてもらうことになる。ヒロちゃんが西の波止で待っていてくれ、上げるのをやってくれる。大分傷んでいる。おらはフナタデをする。夕便に間に合うように急ぐ。
鯛二匹をもって5時便に乗る。まあちゃん(叔母さん)がお土産にとサエルを持って出てくれる。
柳井で鯛を一匹宅急便に持って行く。
肴はサエルの刺身。せわしないが、充実した一日が一月を終わらせた。