祝島日記 2006年3月 2月の日記へ

3月1日(水)晴れ 北西風
 コッコー長屋でギター教室。久しぶりに掃除をする。長屋の三人がやってくる。八っつぁんだけでなく、それぞれ練習はしてきたような気配がある。「思い出のアルバム」というのをすでに手がけていた。この日は弁当持ちでやってきた。喜多さんは知り合いから広島の牡蠣を仕入れて、生と油炒めを持ってきてくれる。今日は一杯飲んで始まった。コッコー長屋のページ


3月2日(木)晴れ 北西風
 中学校入学説明会というのに行って来た。小学校6年生にあってきたが、明るくてかわいい。いろいろ質問も出た。


3月3日(金)曇り 北西風
 今週は風の吹く日が多かったが、明日はいい天気になりそうである。早めに柳井に行って走ろうかと思っていたが、急遽プロジェクターを借りに三蒲に行って来た。秀人君の知り合いのSさん宅にお邪魔して、いろいろな話を伺った。また世間が広がった。
 柳井はチラシ寿司風のまぜ飯。


3月4日(土)晴れ 凪
 午前中少し仕事場に用があって出かけた後、祝島に向けて出発。カミカドに昼を少し回った頃到着。鯛が待っていてくれた。大きめなのを漁協に活かしに帰り、給油をしてまた出る。(活かしたので大きいのは3.5kgだった。このところの最大である。1kg越えたのが4匹だった。)ヤオリでは2匹釣れただけだったが、今日は大漁である。
 晩に秀人君がビールを下げてやってくる。4月の花見の話などをしたり、哲ぼんさん達の噂をしていると、みっちさんから秀人君に、「明日行く。」との電話が入る。


3月5日(日)晴れ 少し南風
 テストを作ったり散髪をしたりしていると哲ぼんさんとみっちさんが昼便でやってきた。秀人君は屋根の上でアンテナ線を工事していた。
 タッチャン方に伊予柑を頼んでいたのだが、留守の間に持ってきてくれていた。
 哲ぼんさん達はシラサキに挨拶に行き、おらは五月丸でシラサキ〜ウヤシマ〜大島に渡った。シラサキで一瞬緑色のパーカーが手を振ったような気がしたので振り返したが、やはりそうだったようだ。哲ぼんさんはウヤシマで釣りをしているのまで確認してくれたようである。
 大島に着き、仕事場に行ってみると、マリちゃんがいて、阿東の野菜などをいただく。


3月6日(月)雨模様 凪
 卒業式前はなかなか忙しい。おとといの電話でホームページ更新をしてないのをみっちさんが思い出させてくれる。二月末からの天気は不正確であるが書いておく。 


3月7日(火)晴れ 凪
 3年生の最後の理科の授業が終了した。
 パワーポイントというソフトを使ってスライドを作っているのだが、おらがスライドは作るのが遅いし、そっけない。
 久しぶりに軽いランニング。
 晩に柳井に細長いケーキを買っていく。ケーキを買っていくと柳井の住人は喜ぶ。
 このところ大島の別倉に泊まっていない。


3月8日(水)晴れ 凪
 柳井を早く出て、別倉に寄り、五月丸の鯛が生きているのを確認し、学校に寄り安下庄に向かう。
 公立高校入試の日。早めに着いて安下庄の港で缶コーヒーを飲む。
 木造の伝馬船や漁船がつないである。
 控え室で、パワーポイントでの作業を少しする。
 明日の「お別れ会」用の幕に字を書く。絵の具が足りないので薄い字もある。おらがハイジェット号の荷台の上でを作業した。
 仕事場に帰るとダイキ君、シンちゃん、ゆかりちゃんが仕事をしていた。おらも手伝った。
 携帯の電気がなくなったので、別倉に泊まって充電した。


3月9日(木)曇り 凪
 朝、早めに仕事場に行って「お別れ会」の準備などをする。
 午後、お別れ会があった。1時間足らずであったが、ダイキ君やシンちゃんなどの活動で結構楽しめたようである。
 ナゴジロー大学生になれることが決まった。ケーキを買っていこうと思ったら、善徳寺さんが、持ってきてくれたそうである。


3月10日(金)晴れ 西風
 沖浦中の卒業式。送辞・答辞を全生徒が言う。みんな涙ながらで、大変感動的である。こういう卒業式が行われること自体が素晴らしいことである。
 城山食堂というところで、鯛の刺身などで、一杯飲んで卒業式を祝った。


3月11日(土)晴れ 凪
 ナゴジローとヒロコおばさんは旅行。
 10時頃からカミカドで釣りをする。まだ鯛がいる。昼過ぎまで釣って、祝島に帰る。漁協に鯛やネバルを活かし、氷を少し乗せて、途中で釣りをして大島に向かうつもりだったが、大きい鯛が釣れたので、また漁協に活かしに行く。4.7kgあった。それからまた少し釣りをして帰る。大島に着いたら薄暗くなった。おらにとっては大漁であった。今年は鯛が多く、釣れる時期が長く続く。ネバル(アオタ)が5匹いっぺんに釣れた。
 ナゴジローの住処が決まったようである。


3月12日(日)雨のち曇り 西風
 朝、寒そうな雨が降っていたが、上がる。大和で籐公マラソン大会というのがあって、そこの5kmの部に出る。24分が目標で、結果は24分03秒、まずまずだった。夜に沖浦ダンディーズの西村さんが結果表を見せてくれた。
 夕方から沖浦ダンディーズの文化部の活動(ギター2時間練習)。
 ナゴジローたちは夜に柳井着。


3月13日(月)晴れ 西風
 朝、五月丸に寄って鯛を揚げる。仕事場に持って行っておすそ分けである。
 マリちゃんから、米を沢山貰った。今度寿司にしよう。
 冷たい風が吹く。久しぶりに陸上部の練習をする。
 その後、佐川さんのところにプロジェクターを返しに行く。佐川さんのところのダイダイは二百年前に植えたものだそうな。


3月14日(火)雨のち晴れ 西風
 昨日に続き3月と思えない冷たい風が吹く。今年は春一番が吹かなかったようだ。


3月15日(水)晴れ 凪
 穏やかな朝。別倉の笹も静かに立っている。


3月16日(木)雨 南風のち西風
 朝、温暖前線的な雨風、後寒冷前線風の雨風。
 帰りに五月丸に寄って残りの魚を揚げる。


3月17日(金)晴れ 凪
 いい天気の一日。明日は生徒の陸上競技の記録会。山口に行く予定。
 別倉に帰ると喜多さんがギターを爪弾いていた。


3月18日(土)雨 多分凪
 あいにくの天気で、雨がしとしとほとんど一日中降っていた。生徒達は雨の中を走ったり投げたり跳んだりした。引率業務で行ったのだが、マリちゃんが適切な指示をしてくれて、おらは助かった。マリちゃんはかって山口県のスキーの専門委員長をしていた人なのである。遠征(引率)業務のプロである。
 シンちゃんはずぶぬれになって、おらが合羽を着てバスに乗って帰った。おらは雨に疲れたけど、子供たちは元気でそれぞれ学習した一日だった。


3月19日(日)晴れ 西風
 柳井ではほとんど風を感じないけど、上空の雲は東に動いていた。祝島では西風が吹いているだろう。
 柳井でギターを爪弾いて、夕方のヒロコおばさんの買い物に付き合った。おらはヒロコおばさんにはわがままで、ちょっと待たされると草臥れてしまう。
 仕事場に仕事を忘れてきて、暗くなって仕事場に行き、ちょっとだけ仕事をして別倉に帰る。ヒロコおばさんのあつらえた晩飯を食べる。
 敏坊さんから、櫂伝馬のふなおろしが5月5日に決まって、櫂伝馬を漕ぐことになったと電話で連絡が来た。
 文彦君のブログを見ると祝島の文字があった。文彦君は祝島への思いをあんなふうに表現してくれている。ちがう日には赤褌もしたようである。相変わらずまぶしいくらいに無駄な動きが多い。


3月20日(月)晴れ 凪
 朝、別倉の藪のほうから鶯のきれいなホーホケキョが聞こえてきた。
 部活で、海岸沿いの道や浜辺を軽く走った。浜にウインドブレーカーを忘れてとりに行き、鍋の大きいの漂着しているのを拾った。祝島のトビイシなどに置いておき、夏に楽しめそうだとの思い付きである。ヒロコおばさんには内緒である。


3月21日(火)晴れのち曇り 凪のち西風
 朝早く起きてウヤシマに向かう。昼前まで釣る。1ダースくらい釣る。1匹大きいのが釣り針を飲んで死んでしまう。3匹漁協に活かす。
 昼からサカイさんの葬儀。ヒロコおばさんも参列。下関おばさんも帰っていた。昨夜帰ったそうだ。
 その後おらは墓参りをして、秀人君の、北野の下見(サクラの花見用)にちょっとだけ付き合う。松本のおじさん、おばさんも北野に来ていた。牛蒡の種をまいたそうで、じょろで水をやっていた。娘のちーちゃんはおらと同級である。
 西風がざわざわして来たので、早めに帰る。予定ではカミカドで釣るつもりだったけど、大島に直行した。死んだ鯛は氷と一緒に五月丸に置いたままにしてある。
 珍しくナゴジローが祝島に帰っている。ヒロコおばさんと一緒に新しい住処に持っていくものを物色しているのだろうか。雨が降ってきた。
 そうそう書こうと思いながら忘れていたが、一ヶ月前からスナメリの群れをよく見かけるようになった。コージロと祝島の間とか、横島の手前(練尾沖)にも今日いた。
 喜多さんの「思い出のアルバム」の上達した音が聞こえてきた。


3月22日(水)雨 凪
 鯛を1匹刺身にして、仕事場の方々に味見をしてもらった。
 ヒロコおばさんとナゴジローが祝島から柳井に帰ってきた。ナゴジローは昼便。ヒロコおばさんは晩便で、室津からは吉原のシンちゃんの車に乗せてもらったということである。


3月23日(木)晴れ 少し西風
 五月丸の魚を空っぽにする。卒業生の似顔絵を書いてもらった御礼にする。
 この日で今年度の授業はおしまいである。
 釣り道具を修繕して、凪の日に備える。


3月24日(金)晴れ 凪
 原さんから昨日の裁判についてメールが来ていた。以下原さんからの上関原発便り。


このメールはBCCで配信しております。
みなさま、お久し振りです。ダイドック原です。
桜のつぼみも膨らみ始め花見が待ち遠しくなる今日この頃、うれしいニュースが飛び込んできました。
3月23日、上関原発計画をめぐる海の権利に司法の判断が下りました。
中国電力と周辺の漁協でつくる共同漁業権管理委員会が結んだ漁業補償契約の無効確認などを求めた裁判で山口地裁岩国支部は原告側の訴えの一部を認める判決を言い渡しました。
漁業補償契約の無効確認については却下されましたが補償契約の効力は許可漁業や自由漁業者にまでは及ばないとし、許可、自由漁業者が操業する権利を認めました。いわゆる祝島漁協の漁船は原発予定地で自由に操業する権利を得たということになります。そして漁業者の権利が認められたということで原発予定地海域における調査や工事が実質的に不可能になるということです。
この判決は実質的には原告・祝島漁協の勝訴であり、中国電力は今後控訴するとのコメントを発表しています。
いい風が吹いてきました。
いつかくるであろう原発計画の白紙撤回を信じてこれからも祝島を応援していきましょう!
 
ps 4月26日はチェルノブイリ原発事故から丁度20年目の日。その日はビーチクリーンをしながら原発予定地まで海を守るためのカヤックデモを行います!カヤッカーのみなさん、そして海を愛するみなさんの参加をお待ちしております!!

 三学期が終了して、柳井で飲み会。終わった後マリちゃんとカラオケを歌った。久しぶりに古い歌を歌った。


3月25日(土)晴れ 凪
 朝ゆっくり起きて釣りに向かう。潮が動かず食いが悪かった。小さい鯛やチダイ24匹を目指していたのだが、11匹。28日に「沖浦桜鍋」を作るための、具にするのである。ネバルは5〜6匹釣れた。死んでしまったネバルとチダイを揚げて肴にする。


3月26日(日)曇りのち雨のち晴れ 凪のち西風のち南風のち凪
 朝早く起きて釣りに出るが、釣れない。じろうさんがやってくる予定なので、待っていたら、珍しくセイゴが釣れた。雨が降り出し、西風が吹き付けた。少しして、じろうさんがやってきた。釣りができる状態にないので、二人ともすぐに引き返した。大宝丸とじろうさんは知り合いで、久しぶりの挨拶をしていた。じろうさんとは流し釣りを一緒にしようということだったのである。
 島に帰って生ごみをナガイソにもって行き、ツワを少し採る。
 昼頃南風になり、凪ぎそうなので、帰り支度をして釣りに出る。いい形の鯛が1つ釣れた。鯛とネバルもぼちぼち釣れ、桜鍋用の具がなんとか採れた。


3月27日(月)晴れ 凪
 久しぶりの部活動でダイキ君たちとインターバルをやったらダウンジョグのとき足がピクピク吊りそうだった。


3月28日(火)晴れのち雨のち曇り 昼前に西風の突風
 生徒達は東和の競技場で陸上の練習。昼前に寒冷前線が通過して、雨とともに突風が吹き、みんなびしょぬれになった。
 その競技場で、油谷選手が練習をしていた。1000mのインターバルらしいが、素晴らしいスピードで走っていた。
 学校に帰って、マリちゃんは、そばをゆでたり、茶粥を作ったりビザを焼いたりし、おらは大き目の鯛をさばいたりした。生徒は大根おろしを作ったり、ねぎを刻んだりタマネギを切ったり、刺身を作ったり、小鯛を切ったりしていた。ウロコとりは大和屋の若旦那達がやってくれていた。とっくんは初めて刺身を作ったそうだ。


3月29日(水)晴れ 西風
 振り替え休日だったが、ゆっくり仕事場に行く。
 少し仕事をする。 帰りに五月丸に寄ってネバルを揚げて、柳井にもって行き、刺身や煮つけにする。刺身はマリちゃんから貰ったわさびで食べる。


3月30日(木)晴れ 凪
 仕事の後、送別会。じろうさんが転勤になった。保護者といろいろ話をした。送別会の後、マリちゃんと一時過ぎまで飲んだ。初めての店に二軒行った。外国の人とも話をした。マリちゃんはいろんな店を知っている。


3月31日(金)晴れ 凪
 離任式。別れの季節である。卒業生もやってきていた。明日はアイちゃん、さつきちゃんのお祝い宴会がある。