祝島日記 2007年5月 4月の日記へ


5月1日(火)曇りのち晴 西風
 参観日、PTA総会、歓迎会懇親会。懇親会は沖浦で、車を置きに帰ろうとするが、帰ると間に合いそうにないので、柳井港まで帰ったところで車を置いて電車に乗る。大畠からバスで沖浦へ。めがねなど車に忘れて、五月丸のめがねを取りに行く。飲むといつもしゃべりすぎる。二次会は柳井。臨時収入が入ったと言うことで、マリちゃんがおごってくれた形。


5月2日(水)曇りのち晴 西風
 振り替え休日。柳井港までヒロコおばさんと歩いて車をとりに行く。帰りに柳井園芸に寄って、ヒロコおばさんが頼まれていた芋の苗を買う。おらもスイカの苗を二本買う。
 夕方にはおらは一足先にウェルネスバークまで走り、ヒロコおばさんはフラワーランドまで歩き、そこから帰りを一緒に歩く。今日はよく歩いた。


5月3日(木)晴 西風
 ユウベエが柳井に帰ってきて、大島をヒロコおばさんと一緒にドライブをした。飯の山で昼飯、その後伊保田まで行って、帰りに竜崎温泉に入る。おらはサウナで二回汗を流した。500mlくらい汗が出ていた。沖浦の仕事場にも寄り、五月丸でヤズも揚げて帰り、刺身で一杯。リョウキチは模擬テストがあって自己採点で冷や汗を流しているようだった。


5月4日(金)晴 凪 靄
 おらは五月丸でウヤシマ・コージロ経由で祝島に向かう。ウヤシマのカミカドの夕方の満ち潮でチダイがよく釣れた。途中原さん達が祝島に来ていると言うことをメールで知り、釣りを切り上げて帰る。チダイ20余りとマダイ1、6〜7匹、鯖の中1等。アジはなかなかいい形のが釣れた。
 この前のヤズの刺身とチダイの塩焼きで、原さん、コタケさん、晩便で帰ったヒロコおばさんの4人で一杯。東京からのお客さんは民宿くにひろに泊まっているそうで、原さんとコタケさんはテント泊。今日はマキちゃんと秀人君は虹ヶ浜でカヤック体験の催しが大盛況で、頑張っていたということだ。


5月5日(土)曇りのち雨 凪のち南風
 凪だったが、ヒロコおばさんとナガイソに行き、スイカを二本植え、草取り、草刈りをする。タマネギが少しふくらんでいる。
 午後、ヒロコおばさんは葬式に出て、おらはタカトオに行き、芋づるを十本植える。その後ソーヅイの道の草刈りをする。ソーヅイに向かうときに雨が降り始める。一晩中雨。
 シラサキの平さんの田に水が張田植えを待っていた。
 昨日からユウベエはリョウキチと柳井暮らしで賄い方を受け持ってくれている。なかなかやる。


5月6日(日)曇ったり降ったり 凪のち東風
 雨が上がり、凪のようなので五月丸で行く準備などをする。港でのぶちゃんに大きなオオクチを貰う。出港して途中カミカドなどで釣ってみるが、余り釣れない。東風波も少し出てきたので早めにやめて大島に向かう。
 柳井でミユちゃん達にチダイなどをお裾分けする。その後、ヒロコおばさんを室津まで迎えに行く。海斗君に久しぶりに会う。大きくなっていた。
 魚はアジの刺身。


5月7日(月)晴 凪
 ヒロコおばさんは洗濯をして、おらはオオクチなどをさばいてにぎり寿司のネタ作り。
 午後出張で東和に行く。
 帰ってにぎり寿司を二人で作った後、丘の上にジョギングに行く。3kmあまり、おらは4km余り走る。
 帰ってリョウキチと3人でにぎり寿司を食べる。


5月8日(火)晴 凪
 部活で4kmくらい走って、帰るとヒロコおばさんは散歩に出ていた。敏坊さんに電話をする。今日抗議行動に原さんとユウジさん達がカヤックで合流したと言うことである。ホクレア号情報も聞いた。中旬には瀬戸内海をやってくるようである。
 仕事場のサクランボがたくさん実をつけて第一次の収穫が行われた。


5月9日(水)晴 凪 きのうに続き暑い日
 話し合いのあと、部活で2km余りジョギング。リュウイチロウ君が魚好きになったようで目出度い。
 帰りにサクランボを収穫していた。カズキ君が持ってきてくれた。なかなかいい味のサクランボなのである。
 肴は最後のチダイの刺身。
 平さんから聞いていた有名人は文珍さんだったらしい。


5月10日(木)夜中に雨、明るくなって晴れ 西風
 昨日に比べて涼しい1日だった。
 部活で約3kmランニング。
 ヒロコおばさんは買い物に行っていて帰りに積んで帰る予定だったのだが、祝島の隣の若奥さんに送ってもらうと言うことでおらは直接家に帰った。
 ヒロコおばさんは店の人に、若奥さんの母親に間違えられたらしい。サト君とヒロ君は孫と言うことになる。リョウキチはおじさんだ。
 肴は忘れていたシメサバ。
 今日は平さんの田の田植えが行われる日だったと思う。予想では文珍さんが行っているのではないかと思う。


5月11日(金)晴 凪
 部活で2kmくらい走る。久しぶりに砲丸投げをしてみる。しんちゃんが投げているのだが、しんちゃんより2mあまり短い。今は中学生男子は5kgの砲丸なのである。
 座骨神経辺りが痛いので鍼灸院の予約を取る。来週の火曜日である。


5月12日(土)晴 凪
 昼前まで仕事をして、午後ゆっくり名古屋に向けてヒロコおばさんと出発する。広島まで電車、広島から新幹線である。名古屋で甥の結婚式がある。
 名古屋に着いたらホテルでの宴会に合流。なお君が喜んで走り回っていた。言葉が豊富ですごい成長ぶりである。夏には祝島に遊びに来るようで今から楽しみである。ゆったり過ごす祝島を体験することは非常に大切なことだと直感する。


5月13日(日)晴 凪
 夕方の新幹線に乗り、柳井に帰ってくる。途中で祝島のタカシ君から電話が入る。18日にホクレア号が祝島に立ち寄ることになりそうだという。
 海が凪で予定通り実現できればすばらしいことだ。


5月14日(月)晴 風がある
 帰りにつまみの材料を買って帰る。なるべく肴は自分で調達しようと決めた。


5月15日(火)晴 西風
 何年かぶりかの鍼治療に行った。神経の痛みは取れたようである。
 ホクレア号は19日にやってくる予定となった。


5月16日(水)晴 
 検尿があった。忘れず摂った。異常なし。レントゲン結果も異常なし。
 部活動は屋内で動きづくり。


5月17日(木)晴 大西風
 小学校のプール掃除。その後小学校の運動場で部活動。1kmくらいは走る。土曜日は生徒達の県体。
 ホクレア号は20日にやってくることになった。


5月18日(金)曇りのち雨 凪
 夕方激しい雨が降った。寒気が入っているようである。みぞれ(ヒョウ混じりの雨)が降った。
 昼休みに仕事場の近くでホボロイチゴを見た。タラメもまだ採れる。
 ホクレア号が21日以降になりそうである。


5月19日(土)曇り 西風
 陸上大会で防府に行く。昼過ぎに終わり、予定より早く帰る。 敏坊さんに連絡をしてみると朝の3時に門司を出港し、明日ホクレアは祝島沖にやってくるようである。朝の便で3人で帰ることになる。18日から休みを取ったり、外したりしていたのである。結局一番いい日になったと言うところである。


5月20日(日)晴 凪
 リョウキチ、ヒロコおばさん、おらの3人で室津に出る。哲ぼんさんとみっちさん、秀人君もすでに出てきていた。チエさんもいた。カヤックをこぐ人たちもいた。後で聞いておおしたさんと知ったのだが、アースデイでピザを焼いてくれたおおしたさんもいた。
 家で休憩した後、櫂伝馬の近くでうろうろしてその後みんなで漕ぐ練習をする。藤樹さんやタッチャンも乗り組みいよいよホクレアを迎えに出る。原さん、ユウジサン達のカヤック隊10艇も近くにやってくる。
 ホクレアが大きくなるのを見て気持ちがふるえる。
 のぶちゃんの船が櫂伝馬の前を引き、後ろを寿宝丸。もちどの沖からホクレアを先導する。一周した後、櫂伝馬をホクレアに横付けにする。おらの近くでホクレアの若い娘さんが、櫂伝馬をおらえてくれる。「あの島から百年くらい前に50人くらいハワイに移民したのですよ。」と言いたかったのだがうまく言えなかった。そばにいた青年が自分のかぶっていたホクレアの帽子を剣櫂のリョウキチに差し出してくれた。おらが着ていた古い神舞のTシャツをリョウキチにやって、ホクレアの人に渡した。祝島の文字が伝わったかどうか。
 龍丸の子供達の歓迎のセレモニーもあった。応える形でホクレアの乗組員の踊り(何というのか知らない)もあった。携帯で写真を撮ろうとしてたつっていてろくに見たり聞いたりしなかったのが悔やまれる。勇壮な感じの踊りだった。気持ちが高揚した一刻だった。
 ホクレアから離れた後、ホクレアの案内役のヨットにいる内田さんに気づく。手を挙げてお礼を言ってくれているようだった。うれしそうな内田さんを見て、心が弾んだ。
 哲ぼんさんは櫂を漕ぎ、みっちさんは清水丸に乗り、それぞれに堪能したようである。
 櫂伝馬の倉庫で一杯やりながら話をする。油谷からユウジサンの後輩や家族の方達が来ていたし、内田さんの弟さんにも会えたし、原さんの漕ぎ友達とも挨拶できたし、確かに交流の1日だった。カヤック隊は3時頃、漕いで帰った。
 哲ぼんさんは予想通り泳いで、ふるえていたが、飲んでいるうちに乾いたようだった。
 倉庫から帰るとおらが家でも交流が続いていた。あきちゃんが来ていて、久しぶりに美術教師のトオル君の話も出た。
 わけのあることもないこともありながら、密度の濃い1日を過ごしたように思う。
 リョウキチとヒロコおばさんは、一杯飲んだおらを残してみんなと一緒に柳井に帰って行ってしまった。


5月21日(月)晴 凪
 朝便で室津まで行き、そのまま仕事場に向かう。いわいには秀人君もギブスのただとし君と乗っていた。
 朝KRYでホクレアの放送があったそうで、櫂伝馬も映っていたそうだ。
 仕事が終わって椋野漁港にホクレアを見に行く。写真を撮って帰る。
 漁協のホームページにホクレアのいい写真が載っている。あきちゃんが撮ったようである。


5月22日(火)晴 凪
 山口朝日放送で夕方ホクレアと櫂伝馬の放送があった。間に合わなかったが、ヒロコおばさんがビデオを撮ってくれていた。なんと哲ぼんさんが出てきた。今日の肴は哲ぼんさんだった。


5月23日(水)晴 凪
 仕事場にヒロコおばさんから今日祝島に帰ると連絡がある。明日通夜があり、おらも明日帰ってくることにする。未熟な青二才の頃、酒造りの出稼ぎに出た頃に世話になったというかかわいがって貰ったおじさんがなくなったのである。少し遠い親戚でもあるのである。岩国の錦川の臥竜橋を渡って映画館に行ったこととかを思い出す。あの頃を思い出すと胸がきゅーんとなるのである。


5月24日(木)晴 南風
 沖浦で三年生の修学旅行を見送る。
 半日休みを取っていわいで祝島に帰る。
 いろいろな話が聞けた。
 「ヨジ」という虫は初めて聞いた。

5月25日(金)雨 南風のち西風
 朝便で柳井に帰る。
 夜中から昼過ぎまで雨。徳島の方は水不足がひどいようである。長安口ダムの渇水状態がニュースで出ていた。長安口ダムの上流の平谷に一年間いたことがあるのである。今日の雨が少しは潤いになったらいいと思う。
 部活で3kmくらい走る。
 少し早めに帰ってきたので、辛口カレーを作る。やすい肉を買ったら硬い。リョウキチと二人で食べる。
 メールでエミちゃんの送ってくれた文珍さんの記事(5/22発売、日付は5/23の夕刊フジ)を、関東の知り合いに送ると3人から返事が返ってきた。ユウジ君達は3Cの同窓会をしたらしい。23人集まったということで写真がついていた。


5月26日(土)晴 西風
 これから祝島に五月丸で帰る予定。
 ハナグリあたりから風が強く吹いていた。波は大きくはなかった。
 ヒロコおばさんは昼まで片づけなどを手伝ったようだ。昼便で柳井に帰る。神戸時代の同窓会が津和野であると言うことでそれに合流。
 おらはソーヅイにビワを見に行く。まだ少ししか熟れていなかった。早いのがカラスに食べられていた。
 ナガイソに行ってみる。タマネギがそれなりに育っていた。


5月27日(日)晴 凪のち西風
 朝早く起きて釣りに出る。おかず分釣って帰る。昼過ぎに途中コージロで釣って大島に帰る。少し仕事場の草を刈って、柳井に帰りチダイを刺身にし、久しぶりにダンディーズのギター練習に行く。帰るとヒロコおばさんも帰っていた。津和野での関西妙齢婦人集団パワーの話を聞いた。ヒロコおばさんの同級生はすごく元気なようである。


5月28日(月)晴 西風
 ヒロコおばさん魚をさばいてくれた。寿司ネタ&刺身。昨日まーちゃんに貰ったコウイカが旨かった。
 ユーベエは麻疹の流行で実習が十日くらい前から中止になっているようだ。
 農林水産大臣自殺。


5月29日(火)晴 西風
 今週はテスト週間と言うことで早めに帰れるので、今年初めの水泳に行こうと思っていたが、プールが定休日だった。代わりに3.5kmくらい走る。


5月30日(水)曇りのち晴 凪
 早めに帰って1000mくらい泳ぐ。
 肴はまーちゃんにもらったコウイカ。


5月31日(木)晴 凪
 水泳1000mくらい。くたびれた。
 リョウキチも試合が間近でこのところくたびれているようだ。

 


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