祝島日記 2008年4月 3月の日記へ

4月1日(火)晴 西風
 「青べか物語」を読み終わった。
 眼医者さんに行って、翼状片を切り取って貰うことにし予約をしてきた。祝島に帰る前に体の整備をしておこう。
 我が家では珍しく、夕食を外で食べた。


4月2日(水)晴 凪
 早めに島に帰ろうかと行っていたが、ナゴジローを送るついでに、みんなでおばあちゃんの見舞いに岩田まで行く。おばあちゃんはリョウキチの名前はすぐ出たが、ナゴジローの名前はすぐには思い出せなかった。一度言い出したらすらすら出てきた。
 夕食はナゴジローに作ってやった混ぜご飯や肉料理だった。


4月3日(木)晴れ 西風
 学校においてあった荷物等を少し五月丸で祝島まで運ぶ。西風が結構強かってしぶきでかなり濡れた。ナガイソまでリヤカーをとりに行って波止から荷物を家まで運ぶ。途中、家を解いていた。おらが小学校の時、益田のとき坊が住んでいた家である。あの頃、とき坊はナガイソで見つけたおか(陸)亀をこの家の大きな壺で飼っていた。ミミズを餌にやっていた。
 東の浜にカヤックが3艇寝かしてあった。風が強いので出港を見合わせたのだろうか。二人艇もあったので4人なのだろう。
 昼過ぎに油をついで出ようとすると、ヤンマーのヒロちゃんが声をかけてくれる。荷揚場で魚を作っていて、これから一杯やるところだといって誘ってくれたのである。鯛やハモや、オコゼ、メダカなど色とりどりである。残念ながら大島に帰って運転があるので見るだけにした。
 大島に帰り、3人でリョウキチの買い物に出る。リョウキチは今年は浪人生活である。鍋ややかんを買った。
 夕食は鯛の寿司である。
 簡単な荷造りが始まった。


4月4日(金)晴れ 西風
 ヒロコおばさんは祝島に昼便で帰る。
 おらは五月丸で少し荷物を積んで帰る。途中荷内で釣ってみるとヤズがよく釣れた。ヒロコおばさんが待っているので早めに引き上げて島に向かうが、1時間くらいで20匹足らず釣れた。
 ヒロコおばさんは家を少し片づけた後、リヤカーで五月丸の荷物をを迎えに来てくれた。ゆっくりしたあと墓参りや散歩をする。今年はサクラが少なめのように思うがまだ蕾が多いからかもしれない。


4月5日(土)晴れ 凪
 良い凪だった。ゆっくり五月丸で大島に向けて出発する。ヒロコおばさんは昼便で出る。
 途中荷内で一流しのつもりでサガリを降ろしてみると、チダイ3匹とヤズが1匹釣れた。巻き取るために降ろすとまた釣れた。巻き取りながら上げるとヤズが2匹釣れていた。ヒロコおばさんを柳井港で乗せるので急いで帰る。二分待たせただけで無事柳井の家に着く。
 清水一家とさつきちゃんとさつきちゃんのゆうまくんとが集合。おらはゆうまくんには初対面である。元気ですくすく育っている。
 夕方、一人で4kmくらいのランニング。


4月6日(日)晴れ 西風
 良い天気だった。五月丸に行ってヤズを上げて、帰りに農道を通ってみる。桜が満開だった。
 リョウキチは荷造りに精を出して浪人生活準備完了。ナゴジローの荷物も一緒に宅配便取扱所に持って行って送る。そのまま岩田に3人でドライブ。帰りに田布施川沿いの道を通ってみる。桜がにぎやかだった。
 肴はヤズ。今日はリョウキチが復習がてら刺身を造った。(柳井生活で)腕が落ちているとかいいながら。


4月7日(月)晴れ 
 ディアス号を12ヶ月検査に出す。
 おらはヒロコおばさんの付き添いで眼科に行って「翼状片」の除去をして貰う。まず点眼で麻酔をして、次に麻酔の注射をする。それで痛みは全然感じなくなる。それから翼状片をとるのである。多分翼状片は結膜の下にできているのだろう、とった後結膜をまた縫い合わせるようだった。眼医者さんは相当器用だなあときすばっていながら感心していた。除去作業は30分くらいかかった。作業中は良く麻酔が効いて全然痛くないのである。この麻酔というのもすごいものである。小さなゴミが入ってさえ痛い目が、さわられても感じないのである。
 痛み止めや化膿止めの薬を貰って帰る。涙が出て困るので、ヒロコおばさんが一緒にいてくれて助かる。
 夕方にはディアス号がきれいになって帰ってきた。
 おらはずっと寝て過ごす。


4月8日(火)晴れ 
 今日は一人で眼医者に行く。経過は良いようだが涙が出て困る。眼帯は外せたので少しはましになった。目薬を貰って帰る。
 ほとんど寝そべって過ごす。少し本は読めるようになった。読みかけの文庫本「おごそかな渇き」を読み終わる。周五郎の本は学生の頃に一度読んだ本なのだが、ほとんど忘れていて今読んでもまた良い。
 ヒロコおばさんは電車で岩田に行ってきた。まあ君にも会ってきたようで、元気そうだったという。
 今日は入学式である。沖中もそうである。アンチャンが新入生の呼名をしたんだろうなあと思い浮かべた。
 我が家は今日まで春休みだった。


4月9日(水)曇後雨 少し南西風 
 リョウキチ柳井を発つ。おら達も島へ帰る。多分当分更新はできないだろう。
 五月丸の魚を上げる。お裾分け。五月丸はまたとりに来る事にする。
 転出証明も貰う。
 夕便でヒロコおばさんと帰る。綿村などに行って挨拶。


4月10日(木)雨のち曇 南風のち西風
 ヒロコおばさんと二人、診療所で見習い。脳みそが疲れる。ユウベエも仕事が始まったようで、頑張っているようである。電話でヒロコおばさんに奮闘努力の苦労模様を訴えているようだった。ナゴジロー以外みんな新しい活動場所での生活がスタートしたわけである。


4月11日(金)晴れ 西風
 診療所見習い2日目。今日も脳みそが相当くたびれた。聞いたことのない薬品名や数字の表などが刺激的である。
 おらは翼状片をとった右目の充血もピークのようである。
 ヒロコおばさんも頑張っている。ヒロコおばさんの方が余裕がある。


4月12日(土)晴れ 少し東風
 ヒロコおばさんと朝便で柳井に向かい、荷物整理。車に積んで五月丸に積む。五月丸の近くで若い漁師さんとそのお母さんだろう二人でイカカゴを仕立てていた。木の枝を中につけていた。
 五月丸を12時頃出発。祝島の波止から家までリヤカーで二往復。15時40分頃、大島へ向かう。荷内で30分ほど釣ってみる。チダイ3、ネバル1。
 柳井に帰る。 


4月13日(日)曇のち雨 凪
 柳井の荷物整理。また五月丸に運ぶ。今日はヒロコおばさんが一緒に沖浦まで乗って行ってくれて、五月丸に積むのを手伝ってくれる。積んだ後、引き返し、おらは柳井から沖浦まで、電車・バスで出る。
 港では五月丸のジョウイカリを上げて、沖浦に別れを告げる。16時過ぎに祝島着。リヤカーで2回往復。ヒロコおばさんも夕便で帰島。
 哲宝丸は昨日鯛を36kg釣ったそうである。
 まあちゃんに鯛を貰って刺身。


4月14日(月)晴れ 凪
 大変忙しく過ごす。
 晩に祝島プロジェクトの集まりに参加。二時間近く色々な事の話しを聞く。おらも山道整備を手伝うことになった。


4月15日(火)晴れ 凪
 朝便で出てまず柳井へ。それから光の眼科に行く。
 山銀にも用があっていく。「Manzai4」を読む。
 サンピアで本二冊とシュークリーム3個を買って帰る。
 いわいで長ちゃんと一緒になり、特産品のブランド化について等、色々有意義な話を聞く。


4月16日(水)昨晩遅くから雨 弱い南風
 朝、ひいちゃんが大根の葉のおひたしを持ってきてくれる。ご飯とよく合う。一昨日はきいこーさあからネギを貰った。毎日何かをいただいている。


4月17日(木)朝曇のち雨 
 今日は来診者が20名と少し。ふつうは30人くらいである。火曜日は40人を越えていた。
 ヒロコおばさんは5:20に帰宅。
 ヒロコおばさんこの一週間主婦も仕事もめざましく頑張っている。
 浜栄さんから旨いお好み焼きと豚汁の差し入れ。
 五右衛門風呂はなかなか良い。


4月18日(金)晴れ 西風強
 ひいちゃん、朝とったエンドウをたくさん持ってきてくれる。
 ヒロコおばさんとランニング2km。
 夕方、伸漁からヒジキを貰う。
 晩飯は即席風に鯛飯。旨い。
 挨拶状を作り始める。
 あちこちからもらい物(食材)が多い。


4月19日(土)晴れ 西風
 ヒロコおばさんは柳井へ。岩田に支払いに行く用事があるということだ。
 8時頃からソウヅイの道の草刈りにいく。枇杷の木の下草刈りも少しする。腹が空いたので帰るといわいが出て行くところだった。
 午後ナガイソに行ってまた草刈りをする。
 4時過ぎに帰り、ヨボシに釣りに出る。チダイ2.
 今日はヨモギまんじゅうの差し入れがあった。誰からか不明。(ひいちゃんと判明)


4月20日(日)晴れ 西風
 朝早くハナグリで釣り。アジ2、チダイ1。
 リョウキチが柳井に物をとりに出るというので、ヒロコおばさんは昨日から残留。おらも釣りからそのまま室津に行って柳井に向かう。
 リョウキチのラーメン買いなどの後、ホームページ更新を試み、帰る予定。
 室津で西風が強く、着岸にひやっとする場面があった。
 予定通りリョウキチとタオルやラーメンなどの生活物資を買う。
 リョウキチ予備校の寮生活を楽しんでいるようである。結構親しかった高校の同級生が4人いると言うことで、話も弾むといっていた。
 五月丸での帰りにヨボシで運良く斑点のあるスズキを釣る。


4月21日(月)晴れ 夏日
 診療所でキクさんに会う。93歳という。同級生のとし坊さんのお母さんなのである。おらの顔を見て大変喜んでくれる。おらがオバのシイちゃんと仲が良かった。この前、とし坊さんに連れられて祝島に帰ってきたそうである。


4月22日(火)晴れ 凪
 職場でつきあう人の年齢層が変わった。
 スズキの握り寿司を造ろうとしているとき、浜本ですとサトシ君から電話が入り、行く。夜中まで飲んだ。サトシ君、ひろし君、秀人君の若者トリオが集った。結構豪勢である。


4月23日(水)雨 南風
 昨日秀人君がインターネットの接続をしてくれた。
 昨日の続きでスズキの握り寿司。
 ほぼ挨拶状書きが終わった。
 夕方ランニング3km。


4月24日(木)曇のち晴 西風
 目の充血がだいぶ薄くなった。
 夕方4kmのランニング。
 スズキのカルパッチョ。エベスで貰った豆腐のおから。保存していた豚肉と貰ったキャベツの炒め物。ヒロコおばさんの今日の出費は100円らしい。


4月25日(金)晴れ 凪
 このところ釣り部屋の片づけをしている。足の踏み場ができた。
 夜の9時過ぎに、原さんから「こどもがうまれました。」との電話。「海惺」君である。めでたい。


4月26日(土)晴れ 南風
 ヒロコおばさん、用事があり朝便で柳井に行く。
 朝タカトオに行って草刈り。木も生えてきている。昼前に帰って釣りに出るつもりだったが、波止に出てみると南風があり、出るのをやめた。再度タカトオに行き、耕し、芋を植える床を作る。腰がくたびれた。午後5時には、風呂も、夕食もすませていた。


4月27日(日)晴れ 西風後凪
 布団を干して、ソーヅイに行く。クワの柄用や舵柄用などのかたぎを切ったりしたあとビワの袋掛け100枚。昼を少し過ぎる。行くとき久しぶりにシラサキで平さんにあった。コンテナを乗せるモノレールに油を差していた。下のビワ畑まで350m敷しいてあるということだ。ビワの時期しか使わないので、使う前の草刈りがなかなか大変だと行っていた。もりしげさん、氏本さん、まついさんの4軒で使っていたのだが今は平さんだけ。シラサキの向こうに以前多いときは20人くらい行っていたのだが、今はたまにおらが行くだけになった。そんな話をした後、平さんはモノレールを動かして下の畑に下りていった。下の方遠くに袋を掛けたビワ畑が見える。
 昼過ぎに帰り、昼飯を食べた後ウヤシマにいく。チダイ3、ネバル2。小潮。
 ヒロコおばさん夕便で帰ってくる。帰ってから、おらが忘れていた干してある布団を取り込み、洗濯物を取り込み、えべすで買い物をしたり素早い動きをしていた。


4月28日(月)晴れ 凪
 あさ、恒例の釣り部屋のちょっとだけの片づけ。天文ガイド3〜4年分の処分。
 昼に三谷さんから焼き物の件で電話が来る。
 夜、秀人君、猫の本を持ってくる。12時過ぎまで雑談。


4月29日(火)晴れ 凪
 昭和の日で休日。ナガイソに行って少し草抜き。松の種を植えていたのが芽を出す。沖側に松の木を植えるつもりなのである。10年後には小さい松林だ。
 潮が行かないだろうと思いつつ、昼前に出てみるとやはり潮が流れず、全くのズンズラ。
 ソウヅイに行ってビワの袋かけをする。今日は150枚掛けた。今年は合計250枚掛けたことになる。目標600枚である。
 魚は鰺の刺身。ヒロコおばさん刺身の腕が上がった。


4月30日(水)晴れ 凪
 連休中、油の販売はできないとの放送。
 コウイカの販売の放送が今年は多いように思う。
 朝、五月丸に行って2匹いたチダイを上げる。診療所で色々教えて貰った井上さんにお礼代わり(餞別代わり)に差し入れる。
 波止でスミエさんに建網に掛かったというアジを10匹貰う。波止の中に鰺の群れが昼でも見える。ボウズイオにでも追われているのだろうか。
 連休にさしかかることもあってか、診療所に来られる人が多かった。
 仕事から帰って、貰ったアジを三枚に下ろす。それをヒロコおばさんが南蛮漬けにした後、学校に上がる。おらは30周くらい走り、その間ヒロコおばさんは階段の草取りをする。昨日誰かが運動場の草をクサカリキでで刈っていた。
 沖中卒業生のレイテル君から絵はがきが届いた。素晴らしく頑張っているようで、温かいはがきである。沖中の生徒はみんな温かい。


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