祝島日記 2009年3月 2月の日記へ


3月1日(日)晴れ 東風
 首・肩痛でほとんど寝て過ごす。


3月2日(月)晴れ 東風
 第一月曜日で診療所は休み。
 昼まで寝て過ごす。昨日よりは良くなる。ヒロコおばさんの買い物につきあい、夕便で祝島に帰る。柳井に2泊したのは久しぶりである。


3月3日(火)雨、曇りのち晴 東風
 診療所20余り。レセプトの印刷をする。肩・首痛がましになる。
 仕事が終わって、ネット21の肴の原稿を書くためにナマコをとりに行く。ナカバエでは全然見つからずに暗くなり前にアカバアのタンボでやっと見つける。おらにとっては今年の初物である。タッチャンに貰った大根で食べる。中国料理ではナマコを干物にしたのを使うと言うことで、生を炒めてみる。水分が出て小さくなるが、味はまずまずである。 


3月4日(水)曇りのち晴 北風
 診療所40人。
 リョウキチ、私立に合格したと連絡有り。今年は大学生になれる。


3月5日(木)雨のち曇り 凪
 診療所30人足らず。
 ナガイソにスダチとイチジクの苗木を植える。


3月6日(金) 曇り 
 診療所30人半ば。肴はすき焼き。 


3月7日(土)晴れ 東風
 朝、カミカドに釣りに行く。西風がかなりあり、潮が行かない。ネバル2匹で帰る。
 ソーヅイにハッサクの苗を植えに行く。枇杷の木の周りをきれいにする。冬の始めには、藪に近い状態だったのだが少しは見れるようになった。
 枯れ木を風呂の薪に1束持って帰る。
 昼から4時前に釣りに出る。西風があるのでハナグリに行く。船は出ていないが、明日の柳井用に鯛が欲しかったので出たのであるが、西風が吹き、ほとんど潮が行かない中で運良く、一度に小さいのと中くらいのが釣れる。
 夜、タッチャンがやってきて、かんり機をなおしてくれる。次に原のマキさん、タダトシクン、コウジ君がやってくる。冒険学校の生徒が10人連れてきているそうである。精力的で、真剣な活動をしている。


3月8日(日)曇り 凪
 朝便で柳井に出る。昼にリョウキチが九州の大学生になることが決まった。これでおらが家族は、4月から本州、四国、九州、祝島の四つの島に分かれて暮らすことになった。
 夕食は善徳寺さん達と一緒にいただいた。昨日の鯛が生きた。


3月9日(月)曇り昼過ぎに小雨 凪
 診療所20人半ば。
 リョウキチは祝島に帰る予定が、電車に遅れて明日に延期になったようである。


3月10日(火)曇り 西風
 診療所30人足らず。オシノボリで鯛が釣れたそうである。
 夕便でリョウキチが帰ってくる。入学用の書類が祝島に届くようになっているのでそれをとりに帰ってきたのである。
 夕方、かんり機をナガイソに運ぶ。
 肴はモイカの刺身。


3月11日(水)曇りのち晴 凪
 久しぶりに穏やかな一日である。
 リョウキチ、昼便で出る。銀行が島にないので、振り込みなどの手続きができないのである。
 夕方、リョウキチより入学手続き完了のメールが入る。
 島の最高齢の人が亡くなった。99歳の大往生である。先週から診療所の先生がたびたび往診に伺っていたのである。先生が24時間態勢で常駐して居ると言うことは島のものには大変心強い。


3月12日(木)曇りのち晴 北風
 診療所30人過ぎ。
 沖浦中学校、最後の卒業式。
 リョウキチ、ヒロコおばさんのお使いで岩田の病院に行き、叔父さんに逢ったようである。
 通夜にはヒロコおばさんに行って貰った。


3月13日(金)雨 大南風
 台風並みに南風が吹いた。低気圧が日本海をゆっくり斜めに通るので一日強かった。診療所では短い停電が10回くらいあった。事務はパソコンなので停電が長引くと弱ることになる。短くて助かった。
 診療所20人半ば。
 夜には西風に変わった。


3月14日(土)晴れ 大西風
 夜中から強い西風が吹く。お日様は出ているけど寒いので1日中吹きそうである。夕方には釣りに出たいので凪ぐことを期待しながら昼間は過ごすことになる。 
 ナガイソを少し耕した後、ソーヅイに行ってビワの木の周りのしごをする。びわの木は結構あるのだが、毎年2〜3本くらいの木からしか採れない。一本の木では1週間が収穫の期間なのと、びわの木のしごもなかなかできないので、土日だと2〜3本でおしまいだった。今年は結構しごをした方である。ただ剪定を思い切ってしたので、収穫に成果が出るのは来年だ。
 ナガイソに行くときは雪かあられが顔に当たって痛かった。一日風が冷たく、結局、凪がなかった。
 肴はモイカの刺身。
 ナガイソで、昨日の南風で折られた桜の枝を拾って帰り、ソーヅイのヤマブキを持って帰ると、ヒロコおばさんが生け花を活けた。桜の花は桃色になっていて、山吹の花は間もなく満開と言うところである。


3月15日(日)晴れ 北風
 朝便で柳井に出る。船(いわい)の中で、平さんの話を聞く。若い頃に石切りを10年くらいやっていたそうである。それが今すごく生きているようである。シラサキの平らな石に、おじいさん(亀次郎さん)の短歌を彫っているのだが、そのための石ノミは自分で作ったそうだ。鍛冶屋をやったと言うことだ。今回はコークスとふいごで焼きを入れて、6種類くらいのノミを作ったという。石は畳半分くらいの薄い安山岩で彫った字が白っぽくよく見えるそうである。短歌はあと2文字を残し、彫りおわっているようだ。平さんの若い頃の石切りというのは、三浦の方の海岸の道作りの時、浜の大きな石を、人が抱えるくらいの石に割っていく役目を森行のおじさんとしたと言うことなのである。積むのは確か薬師さんと万次さんのおじさんだったと言っていたように思う。
 10時から沖浦中の閉校式。大勢出席していた。おらが知っている卒業生も大分来ていた。沖浦は素晴らしく愛校心の強い所である。去年の卒業生は閉校を悲しんでいた。
 岩田にリョウキチとヒロコおばさんでドライブ。
 いずれ出る給付金を足しにして長いはしごを買って、明日の清水丸に積んで貰うように手配をする。台所の配水管が漏れているのをヒロコおばさんが昨日気づいて、その管も買う。
 柳井泊。


3月16日(月)晴れ 凪
 朝便で帰る。早速台所の配水管を取り替える。
 診療所は10人半ば過ぎ。
 昼に清水丸がはしごを運んでくれていた。学校の石垣の草刈りに使う予定である。
 20日に平さんの所の石垣の草刈りをしようと思う。一番上の石垣をするといいと、この前万次さんと話したときに聞いた。そこをする予定である。ビラを貼った。
 今日今年初めて太陽温水器でぬくもった湯が、温めないまま風呂の湯として使えた。おらが家のは午後にならないと陽が当たらないので、ぬくもりにくい方だろう。


3月17日(火)晴れ 凪
 温かい一日。
 診療所今日も10人半ば過ぎ。
 ナガイソから持って帰った桜の蕾がほころびかけている。
 鯛が釣れなくなったようである。


3月18日(水)晴れ 南風
 診療所30人半ば。秀人君が診療所まで会報を届けてくれた。
 ハナグリで鯛が釣れたそうである。
 家の桜が2輪開いた。ナガイソの2本並んでいる桜の木のうちの1本が数厘咲きである。道の途中の桜の木でほぼ一分咲きという木があった。あちこちのプルーンの木は満開である。おらがナガイソの2本のプルーンは実はちっとも着けないけど、花は良く咲く。ナガイソからくさかり機を運んでおく。


3月19日(木)晴れのち曇り 南風
 朝、シラサキに行って少し草刈りをする。明日の草刈りの下ごしらえと言うところ。
 診療所は50人を越えた。明日が春分の日で休みなので、金曜日に来診する人が重なるのである。


3月20日(金)薄曇り 凪のち北風 春分の日
 ヒロコおばさんは朝便で出て、電車でリョウキチと合流して福岡に行く。
 平さんの田の上の石垣の草刈りをする。出田自治会長さん、よし坊さん、敏坊さん、タカシ君、おらの5人。石垣の面の三分の二くらいがやれた。人数と時間の割には良くやれたと言うところである。平さんによると、この石垣が面を見せたのは何十年かぶりということである。草刈り機があるので、帰りに少しソウヅイの道の草刈りをした。
 帰って久しぶりにみっちさん、哲ぼんさんに逢う。
 WBCをテレビで見ていると、北風が強くなったので、釣りに出るつもりがナガイソに行く。畑をうったり、桜の支えをしたり、トベラの苗木を1本植えたりして帰る。
 リョウキチの住まいが決まったようである。 


3月21日(土)晴れ 北東風 
 おしのぼりに釣りに出てみる。釣れないのか船が少ない。流していると運良く釣れた。そこら辺を流しているとポツポツ釣れた。鯛4匹、チダイ2匹。余り釣れないようだったので運が良かったと言うところ。
 釣りから帰ってナガイソへ行き、芋を植える。
 その後ソーヅイに行って農作業的行動。ビワの枝に新芽が出ている。
 夜、浜本邸から電話があり、出て行く。松井君が弟の一周忌で一昨日くらい帰ってきて浜本邸でミニ同窓会をやっていたのである。おらをいれて5人である。電話参加人を入れると10人くらい。終盤は部屋が変わってカラオケになり、三度笠やセンスも参加した。ぎっくり腰のサトシ君も呼ばれた。
 帰りはやはり日が替わった。


3月22日(日)晴れ 夜中に大南風
 夜中に台風並みの南風が吹く。3:30前に家が揺れて目が覚めた。二回停電になった。6:00頃少し弱まる。
 朝便で柳井に行く。リョウキチは色々な提出書類を書いている。まだだった友達もみんな志望校に落ち着いたようである。ヒロコおばさんは家の片づけなどをして、おらは本などを読む。
 夕方、ユウベエが広島から出てきて、トントンで夕食をとる。外食は珍しいのである。


3月23日(月)晴れ 西風のち凪
 朝便で祝島に帰る。少し西風があった。
 診療所20人余り。
 夕方、オシノボリで鯛が良く釣れたそうである。


3月24日(火)晴れ 凪
 診療所30人余り。
 昼、松本に寄ってみると、おばさんが日向でジョウリを作っていた。おじさんもそばで日なたぼっこをしていた。
 昼に釣り道具を修繕。夕方仕事が終わって釣りに出る。オシノボリに行くと、「釣れない」と手を横に振るので止まらないでハナグリに行く。1時間くらいで鯛5匹とチダイ2匹。鯛の2匹は1kg級。運が良かった。
 土曜日の鯛を上げてさばく。1.3kgあった。肴は刺身とあらの煮付け。


3月25日(水)朝時雨のち曇りのち晴 西風
 寒気が入ったのか雨にあられが混じったような音がした。この頃にしては冷たい西風の一日。
 診療所20人半ば。
 仕事が終わってタカトオに行って少し草刈りをする。多分しんちゃんだろう、タカトオをヒトヒラ草刈りをしていた。タカトオが開けてきそうだ。
 三つ葉が生えているのを一握りちぎって帰り、湯豆腐に入れる。野生で香りが強い。
 東京から荷物が届く。中に秀人君宛に、ウオークラリーの景品だろう、オリジナルの一筆箋が数十冊入っていた。


3月26日(木)晴れ 凪
 支所で印鑑証明を頼んで出勤。診療所30人余り。
 リョウキチ、昼便で帰ってくる。住まいの契約書が着いて、提出のためにいろいろ手続きがある。祝島の郵貯銀行からでも銀行に振り込みができることを知る。
 印鑑証明が予定より早く夕便で届く。
 久しぶりに鯛のネタでにぎり寿司。3人で70個くらい握ってほとんど食べた。


3月27日(金)晴れ 西風
 リョウキチ朝便で柳井に。
 診療所は30人足らず。
 夜になって、浜本邸から電話があって行く。ター棒が帰っていていっぱいやっていた。サトシ君もいた。今日はカラオケ無しの話だけで24時前には終わった。


3月28日(土)晴れ 凪
 朝便で出る予定だったが眠いので昼便にする。
 タカトオに行き少し片づけ、ナガイソに生ゴミを持って行く。ナガイソの桜がにぎやかになっている。老人クラブは三浦で花見と言うことで、車が沢山行き来している。
 昼便で出る。荷物を積み忘れて、スッチャンに夕便で送って貰うようにヒロコおばさんが手配する。
 柳井にはナゴジローとリョウキチがいる。ユウベエはいないが、一応一家団欒の形。ナゴジローはリョウキチと昨日バッティングセンターに行って、腕にフカヤが出ていると言っている。


3月29日(日)晴れ 西風 
 朝起きると目が痛い。一日中左目が泣いていた。頭痛までした。
 リョウキチの荷物を送る準備を昼はだらだらと、夜はかなり真剣に夜中までやっていた。おらはほとんど寝そべっていて、たまに荷物を左目だけで泣きながら車で運んでいた。


3月30日(月)晴れ 北風のち凪
 朝便で祝島に帰る。結構冷たかった。
 船の中で、目の痛みが取れ涙が出なくなった。どうも小さいものが表面に付いていて、それがまぶたでこすられていたのではないかと思う。一安心である。
 昼には温かくなって、夕方はべた凪だった。
 昼便でター棒が帰って行った。カズサアも昼便で帰って行った。
 診療所は20人余り。
 仕事が終わってからナガイソに行って少し草刈りをする。
 リョウキチとナゴジローは柳井で荷物の片づけを今日はまじめに頑張っているようである。


3月31日(火)曇り 凪
 診療所10人余り。
 仕事が終わってハナグリに釣りに出る。鯛2匹。潮が余り行かなかった。
 ヒロコおばさんは、婦人会の集まりで、おらが釣りから帰るのと同じ頃帰ってきた。
 肴は鯛の刺身。
 リョウキチ達は福岡への荷物を送ったことだろう。


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