祝島日記 2009年9月 8月の日記へ
9月1日(火)晴れ 北風のち凪
診療所20人半ば。
仕事が終わってヨボシにアジを釣りに出る。おかず分釣れた。小さいアジである。
定イカリの綱が腐ったらしく切れてしまた。暗くなりかけていたので予備のイカリをやっておき、明日取り替えることにする。
さすが9月、朝晩すっかり涼しくなってきた。
郵便で秀代さんから署名が届いた。何とお母さんと弟のこがまさお君が周防大島に里帰りして、大島の人の署名を貰ってきていた。このところいい教え子を持ったと感動している。
9月2日(水)晴れ 北風
診療所30人足らず。
夕方、切れたイカリ綱をもぐってとって繋ぐ。
署名を送ってくれた人に礼状代わりに祝島のパンフレットを送ろうと思い一筆書く。
9月3日(木)晴のち曇り 凪
診療所約40人。
署名お礼パンフレットを送る。
今日は昼と夕方、あちこちでおかずやまぜ飯などをいただく。肴はハモの湯かけ。
夕方釣りに出る。ヨボシで小さいアジ10匹余り。
9月4日(金)晴れ 凪
診療所30人足らず。
渡邊君から署名の追加が届く。ヒロコおばさんに島民の会事務所に持って行って貰う。ちょうど700名分。
夕方東の浜で泳ぐ。バタフライを合計100かきした。連続ではないが目標達成である。バタフライをこんなにしたのは多分四十年近くぶりである。連続では50m泳ぐのが精一杯ではあろう。泳いでいる間に東の波止の上に満月が出て来て少し登った。満ちて海辺のサンダルが流れ始め、脱いでいたランニングシャツも溺れていた。
肴は冷や奴。
ユウベエは東京に行っているようである。同級生のサナちゃんのところにいったということで、写真が届いた。
9月5日(土)晴れ 凪
ヒロコおばさんは病院巡りに朝便で出かけた。
おらは釣りに出ようと五月丸を波止の外まで進めたところで、排気音が変なので煙突を見ると一緒に出るべき循環水が出ていない。引き返してヤンマーさんに電話をして修理をお願いする。五月丸のエンジンはもう25年近く前に据えたものである。
すぐ修繕に来てなおしてくれた。その後昼まで釣りに出る。余り釣れなかったが、帰ったところで、健洋丸にハモを貰う。
ナガイソに生ゴミを持って行き、トマト一個収穫。カラスにやられてなかなか穫れなかったのである。
長磯から歩いて帰って磯にいく。台風が来てないのでテングサが伸びている。アビキが少しある。
ヒロコおばさん、状況が安定しているようで帰ってくる。
9月6日(日)晴れ 凪
朝はゆっくりして、代理カメラマンをする。難波さんの庭にはゴマが干してあった。
午後ゆっくり、カヤックで磯に行ってテングサなど少し採って帰る。カヤックの方は足は疲れない、肩は少し疲れる。久しぶりにトビイシでゆっくり過ごす。
洗濯機が動かなくなり、新しいのが入る。ヒロコおばさん、ついでに片づけなどして汗をかいたようである。
アジとハモをさばく。サトシ君から誘いがあったがくたびれたので行かなかった。
9月7日(月)晴れ 凪
診療所は第1月曜日で休診。
朝ゆっくりし、バイクのタイヤのパンクを修理し、瞬間仕事をした後、五月丸で柳井に向かう。銀行に寄る。久しぶりにアンチャンに会って、アパート前でひろしくんに逢う。おじさんも一緒。サンピアでも祝島の人に逢う。周東病院でも逢う。入院中の伯母さんに会いに行く。抜糸中だったが、その後リハビリにいった。元気そうだった。研修生も来ていて色々祝島の話もしているようだった。色々な人に逢って話も聞けて、なかなか充実した一日だった。
帰りにコージロに寄って釣りをする。2kg級の鯛が1匹、0.7kgくらいのが1匹。中くらいのアジが20〜30匹。結構良い漁をした。
9月8日(火)晴のち曇り 北風のち西風
診療所久しぶりに40人を超える。忙しい一日だった。
肴はハモの湯引き。
いわいがエンジントラブルということだ。
風があって干してあるテングサが飛ばされていた。
ユウジ君から追加の署名がまた届く。懐かしいあゆみさん家族の名前があった。
9月9日(水)曇りのち晴 凪
診療所30人余り。
仕事が終わって東の浜で水泳。夕方の空気が冷えて秋の気配だが、海水温はまだ夏と同じくらいである。帰りに五月丸でアジをとって帰る。
テングサが少しずつ色が褪せて白いところが増えていく。
9月10日(木)晴れ 凪
診療所30人余り。
祝島島民の抗議行動一日目。カヤック隊の参加(参戦)もニュースで見た。
夕方東の浜で水泳。
9月11日(金)晴れ 凪
診療所30人余り。
祝島島民の抗議行動二日目。
明日は五月丸で参加することにした。旗を清水さんが届けてくれた。忙しく、連日で疲れているのに申し訳ない。
タッチャンの所に行って出発時間など聞く。明日は一緒である。
ユウジ君に魚を送る。
9月12日(土)曇りのち雨 南西風
5:30発で平生町の田名に向かう。抗議行動に五月丸で初参加である。雲の中に風力発電が回っていた。
福島菊次郎さんの「瀬戸内離島物語」(p163)に、私の愛すべき五月丸(親父が生きているとき)の写真が載っている。愛している割には世話をしてなくて船底には海藻や貝殻がいっぱい付いている。
中電は1時間おきに義務的に同じ文句を言ってくる。ロボット的である。人の幸・不幸、喜怒哀楽の織りなされた生活を機械的にしか読み取れず、放射能の怖さに目をつむれるロボットなのだろう。人もロボットにしか見ることができないのかも知れない。
清水丸とタッチャンの間に五月丸をもやって一日を過ごした。みんなは三日もこうして、祝島の平穏な暮らしをさせてほしいというささやかな願いのために、船の上で揺られ続けたのである。この三日も27年間のうちの三日とも言えるのかもしれない。
陸上でも頑張っていた。
原さん達も頑張っていた。昼からは鎌仲さんを乗せていた。間近での様子が撮られたことだろう。ハルさん、ユウジさんとも挨拶ができた。本当に強者だと感心した。
ヤンマーと清水丸の行動も感動的だった。みんな落ち着いて行動しているが、煮えくりかえるはらわたが言葉になって出て来る感じで、おばさんもおじさんもヤンマーも清水丸も迫力があった。取り組みはいつもヤンマー、清水丸、カヤック隊、舫船の寄り切りだった。
そうそう、下関からのヒサヨさん・ミチヨさん姉妹にも逢った。抗議行動にやって来ていたようで、帰り際に清水丸に乗っていて手を振っているのに気づいたのである。
9月13日(日)晴れ 凪
朝、テングサを干す。このところ晴れの日の朝の作業。大分白くなった。
午前中ゆっくりした後、昼からカヤックで祝島を一周してみた。1時間漕いで5分休みというペースで2時間半だった。今餌かぶれが多い。
両方の尻に水ぶくれの豆の一歩手前というものができている。昨日の五月丸の椅子(板)の上に座っていたのと今日のカヤックの椅子(プラスチック)と両方合わさってのものだろう。
肴はトウヘイの刺身、湯かけ、つけ焼きである。ヒロコおばさん通夜に行く。
9月14日(月)晴れたり曇ったり 凪
祝島、抗議行動四日目。TYSは昼前に全国ニュースで流した。町議会は初日。中電の作業中止。
診療所10人半ば。
元徳大水泳部の高木さんから署名第2弾が届いた。色々なつながりに声をかけて集めてくれたようで、有り難い。
9月15日(火)雨のち曇り 北風
朝、抗議行動の船が田名に着く頃に強い雨が降った。
診療所20人余り。午後は少なく、余裕。
抗議活動は、14:00までだったようである。おばさん達も漁師の皆さんもくたびれがたまっていたことだろうから、少しでも早く終わって良かった。カヤック隊も本当にご苦労様である。ニュースで見ると今日は二人艇が2艇映っていた。明日は中電の作業はしないそうだ。長期戦になるかも知れないので、島の皆さん、応援の皆さんゆっくり休んで欲しい。
肴は冷凍モイカの刺身。
9月16日(水)晴れ 凪
診療所30人半ば。
昼便に荷を持って行く途中サトシ君に話を聞いて、波止に鎌仲さんがいて、カヤックの話と原さんの噂をした。
晩方集まりがあった。
肴は茹でたエビ。
9月17日(木)晴れ
抗議行動6日目。
おらは朝、カヤックの舵を取り外した。凪の海で短い距離を動くときは要らないようだ。舵に慣れるほど乗ることがないこともある。
原くんが書いていたものを転載します。ヒロコおばさんと一緒に感激しました。
2009年9月17日 (木)
【緊急!】シーカヤッカーからの呼びかけ
ダイドック冒険学校の原康司くんを始めとする、海を愛するシーカヤッカーからの呼びかけです。
以下、転送・転載歓迎です。
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全国の海と自然を愛するみなさんへの緊急のお願いがあります。
報道でもご存知かも知れませんが、「生物多様性のホットスポット」「瀬戸内最後の楽園」とも形容される山口県上関町長島田ノ浦の海岸が埋め立てにより消失する危機に瀕しています。
もしこの海が森が削られ埋め立てられ原発が建設されると、放射性物質と化学薬品を含んだ7度高い温排水が毎秒190t流れ出し、この希少な生物多様性は回復出来ないまでに消滅する、と多くの学者も警告しています。もちろんこの辺りは瀬戸内でも最良の漁場としても知られているところです。
山口県は、原発建設に必要な原子炉設置許可申請すら出されていない状況にもかかわらず、海の埋め立ての許可を出してしまいました。
そして中国電力は原発予定地の目前に住む祝島の島民に対して説明も対話もないまま、海の埋め立てと原発の建設を強行しようとしています。
中国電力は9月10日から埋め立て着工として、山口県平生町田名埠頭に仮置きしてある埋め立て区域を示すための浮標灯(ブイ)の搬出を始めようとしました。その動きに対して海上では祝島の漁船団、数十隻とシーカヤックがもやいを結び、7日間にわたってこれを阻止しています。
陸上では祝島のお父さん、お母さんに加え、原発に反対する団体、地元住民が作業員の通用門に座り込みを続けています。
島のお父さんは、漁を休み、毎日朝早くから島を出発し阻止行動を続けています。
船がないお母さん達は漁師さんの船に同乗して、暑い日も雨の日も声の限りに一日中、中国電力の船に向かって叫び訴え続けています。
ほとんどが60代で、7、80代の方もおられます。一週間の阻止行動にも関わらず、みなさん元気です。
祝島の漁師さんは10億円を超えると言われる漁業補償金のすべてを拒否し「海は絶対に売らん!」と訴え続けています。
「海さえあれば生きていける、子や孫のためにこの海は守り続ける。」
祝島のお父さん、お母さんは原発建設が浮上した27年前からそう言い続けてきました。
子や孫とはまさしく僕達のことではないでしょうか。
現在、数艇のシーカヤック隊がその想いを引き継ぐため、祝島漁船団と共に行動しています。
現場には人々の怒号やシュプレヒコールが響いていますが、海を守りたいという熱く素直な想いが溢れています。
日を追うごとに応援に駆けつける人が増え、シーカヤックに乗せてほしいという若者たちが入れ替わり立ち代り海上行動を続けています。
ところが、中国電力をはじめ、県、そしてマスコミは、この事態を「祝島が反対している」と矮小化して伝えています。
そこには「祝島しか反対していない」という世論をつくる意図が見え隠れします。
しかし、僕達はもう気づいています。多くの人々の想いは祝島と一緒だということを。
今こそ、その想いを現場に届ける時です。
中電や県、そしてマスコミに、もう隠しきれない世論があることを示す時です。
そこで「ONE OCEAN!」を合言葉に海を愛する、そして守りたいと願うウォーターマンの方々に現地行動への参加を呼びかけます。
カヤック、カヌー、サーフボード、ゴムボート、ヨット、モーターボート、漁船、プレジャーボート、何でも良いと思います。
(大きな船の場合は自由に動き
回る事はできません。漁船と共に錨を打っての停泊になります。)
毎日8時間、9時間のにらみ合いです。沢山船があると近くの砂浜で交代や休憩もできます。ぜひ、僕達と一緒に海を守りましょう!
遠方で現地行動に参加できないけれども、想いを届けたいという人に布にメッセージを盛り込んで送ってもらおうというアクションも起こっています。詳しくはブログRadio Activeのトピック「布メッセージ募集」をご覧ください。「RadioActive」 http://radio-active.cocolog-nifty.com/blog/
参加される方は次のことに注意して下さい。
祝島漁船団は27年の原発反対運動の中で数えきれないほどの海上阻止行動を続けてきました。
過激と思われがちな阻止行動ですが、これまで祝島の人たちは事故を起こさないよう、けが人を出さないよう、それでいてはっきりと自分たちの意思、主張を打ち出してきました。
それは島という共同体の中で長年培われてきた島人の絆の賜物であり、結束の形であると思います。
僕達は一人一人の意思でこの行動に参加していますが、阻止行動はあくまでも祝島への賛同・協力です。
祝島の意思を理解し、現場では冷静に対応することが必要です。県内のみならず、日本全国がこの阻止行動を注視しています。
シーマンとしての節度を持ち行動し続けることが、世論を変え、埋め立てを中止させることに繋がります。
参加して頂ける方は、
必ず今の状況を把握した上で、海での動き方を把握し、くれぐれも祝島漁船団への迷惑になるような行動は避けるようお願い致します。参加される前日までに必ず責任者に連絡をお願いします。
カヤック隊責任者 海上行動への協力者窓口 原 090-6843-9854
陸上の連絡先は 山戸 090-5069-8848
また、現地の状況は日々変化しています。阻止行動がどれだけ継続できるかは流動的な部分もあります。
遠くからやって来たが、すでに阻止行動が終わっていたと言うこともあるかもしれません。
今後のスケジュールがたてられないという状況だということも了解した上での参加をお願い致します。現時点(9月16日)では9月19日の午前9時より大規模な現地集会が開催される予定となっています。
現在阻止行動が行われている場所
http://www.mapion.co.jp/here/all/090914/mapi0213400090914112601.html
参考サイト
Radio Active http://radio-active.cocolog-nifty.com/blog/
祝島島民の会 http://shimabito.net/index.htm
9月18日(金)晴れ 北風のち凪
診療所30人半ば。
抗議行動7日目。
昼に明日の活動用にイカリを準備しておく。
仕事が終わる頃、抗議船が帰ってきた。
仕事が終わってヤズを釣りに出る。10匹余りヤズ漕ぎで釣れる。
肴はヤズの刺身。
夜、カヤックを五月丸に積んでおく。
9月19日(土)晴れ 北風のち凪
朝5:30抗議活動に出発。北風があるが先週の土曜日と違って良い天気である。
田名に10番目に到着したが皆さんが一通り停泊を終了した頃一番端に繋いだ。
今回は五月丸もイカリを2丁やった。土曜日しか参加できないので、カヤックも積んでいって動かした。小さい旗を立てたのだが、田ノ浦での行動の時も差していたのを原さんが憶えていてニヤッと笑った。
9時から陸で抗議集会があり、いろいろな人があいさつ・祝島への応援や中電への抗議の訴えなどをしていた。前回よりもさらに盛り上がっていたようで、集会も約1時間続いた。
11時過ぎに中電側から作業中止を告げた。
ヒロコおばさんは大和病院が終わったのでやってこようとしていたところだったようである。
昼過ぎに祝島に帰り、ちょっと一服してナガイソに行く。梨の残りをもぐ。ナガイソに置いてあったイカリ綱を運ぶ。五月丸にのせてある綱は停泊用には短すぎるのである。
夕方近くヨボシに出てみる。イワグチまでヤズを漕いでみる。いないようだしヨボシも混んでいるので帰カヤックをオカにあげておく。明日はフナタデの予定である。祝日の抗議活動を意識して、五月丸のお化粧である。
ヒロコおばさんは柳井泊。
9月20日(日)晴れ 北風のち凪
朝、フナタデをしようと思ったが、フナタデラッシュで船台が使えないので延期である。
ナガイソに生ゴミを持って行き、処理。来年も大きいスイカをいくつか作ろう。
大豆が実を着けている。枝豆と違って実を着けるのがかなり遅いようである。枝豆は超早生の大豆なのか。夏草がボーボーである。草刈りは蜂がいなくなってからにしよう。
午後は3時前にカヤックでトビイシに磯遊びに行く。少し北風が残っていたが帰りにはおさまっていた。昨日は台風14号のアビキがあったが、今日はほとんど消えていた。アビキがあるとカヤックでの上陸は無理である。14号ははるか北に行っているのに起こしたアビキは何日か後にやってくるのである。
カヤックは五月丸に積んでおく。家に帰るとほとんど同時にヒロコおばさんも柳井から帰ってきた。光輝病院に行ってきたそうだ。
晩方話し合いに出る。
9月21日(月)晴れ 凪
抗議行動9日目。五月丸も参加。6:00出発予定。5:50に出発。
いつもの位置に停泊。今日はヨシ坊さんがカヤックに乗る。祝島のカヤッカー誕生である。
11:15頃、作業中止を発表。祝島の船も引き上げる。
夕便で柳井に出る。沖浦中の元同僚の4人と晩餐。色々な話ができる。署名もお願いした。
9月22日(火)曇り時々雨 南風
昼便で帰る。
波止に魚を取りに出ると、信栄が田名に行くというのですぐ後を追う。田名にカヤックが10艇近くいた。先に来ていた久栄丸と信栄に繋ぐ。万吉丸もやってくる。カヤックを降ろす。秀人君もファルトのカヤックを組み立ててやってきていた。今日のカヤック隊の隊長はユウジさんである。
ユウジサンの話では今日カヤック隊だけの時はかなりひどい威嚇行動があったそうである。漁船が一隻カヤックの間や周りをぐるぐる6〜7回くらい回ったり、中電の警戒船が波を立て近くまで何回も押し寄せたりしたと言う。
9月23日(水)晴れ 北風のち凪
6:00前に田名に向けて出発。雄正丸がもうイカリをやっていた。5:30に出たらしい。おらが着いて間もなく「晴海」がやって来た。カヤックは7艇。
保安庁の船も、警備員もいなくて、中電の船も来ない。みんなで弁当を雄正丸でとる。泳いできた二人も乗って一緒に食べる。まーちゃんの造った刺身や生のむきエビも出て滅多に味わうことのない船上食堂(レストラン)になった。ほぼ食べ終わった12時前に連絡が入り、田名を後にする。
今日はヨシトさんとまーちゃんがカヤッカーの仲間入りをした。本物のカヤッカーも刺身をつまみ食いして、「旨い」を連発していた。
9月24日(木)晴れ 凪
連休明けで久しぶりの仕事である。午後予想外に忙しかった。診療所30人半ば。
カヤックが10艇くらい田名に集合。中電の作業は中止。
夕方久しぶりに東の浜で泳いだ。帰りにヤヅを上げて刺身。
タッチャンが今年の芋を来年の参考にと持ってきてくれる。目標として少し高いように思うが。
9月25日(金)曇り 北風
診療所30人半ば。朝、ヤヅを上げておいて昼の便で送る。
ニュースなどで見ると田名埠頭ではカヤック艇などが監視。作業は無し。
9月26日(土)曇り 東風
夜明けの4時頃、光輝病院より電話。6:30少し前に再度の電話。ヒロコおばさんの叔父が亡くなったということで、朝便で出ようとしていたヒロコおばさんに連絡。おらも五月丸で出て行く。柳井で合流して光輝病院に向かう。叔父は91歳。大阪から帰った義兄さんと光輝病院で通夜。
夜にはヒロコおばさんの姉さんが2人合流。5人、久しぶりに話をする。
抗議行動は続いている。土曜日と言うことで盛り上がっているようである。中電の作業無し。
9月27日(日)曇り 南東風
10:30から光輝病院で葬儀。その後室津の斎場へ。お骨を拾い、ヒロコおばさん達はヤンマーで祝島へ帰る。おらは五月丸で帰る。
祝島とカヤック隊、陸上での抗議(監視)活動は続いている。中電の作業無し。
9月28日(月)曇り時々小雨 東風
初七日の法事で休み。診療所はある。
ヒロコおばさんはオカダリ炊きで早めに岩本に上がる。おらは時々荷物を運んだりする。午前中に法用は終わり、皆さんは膳を配る。それが終了して納骨。西の墓に上がることは滅多にない。岩本家の墓の近くに溶岩で作られた珍しい墓があった。
昼寝をした後、トウヘイを2匹さばいて、湯引き、刺身、つけ焼きを造る。モイカの刺身も。夕食はそれを肴に岩本家でにぎやかに摂る。
田名での監視活動は続き、作業延期は19日になる。祝島からの泊まり込みの船は大変である。カヤック隊は引き続き頑張っている。タッチャンは今日、田名に行ったそうである。
9月29日(火)曇り 凪
ヒロコおばさん、叔父関連の手続きなどがあるようで、診療所はやっているが、休みを貰ってそれを済ます予定である。ちょっと診療所に寄ってみるとかなり患者さんがいて忙しそうだった。今日は昼便で出て運転手である。
予定通り、任務完了。今日も岩本で晩餐。肴は茹で蛸と、茹で海老。
中電作業延期20日。
9月30日(水)降ったり曇ったり 凪
朝、沢山の島の人と船が山口行きと田名行き。
診療所20人余り。
岩本家の3人は昼便で島を出て行く。ヒロコおばさんは見送りに出たが、おらは間に合わなかった。
町の教育長さんが退職されたようだ。
肴は今日は珍しく冷凍物だった。
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