祝島日記 2009年10月 月の日記へ


10月1日(木)晴のち曇りのち雨 凪
 今日は田名に作業船が来たようである。作業はできず昼過ぎには帰って行ったようだ。港に帰ったことを確認して、祝島の人たちは帰ってきた。このところずっと向こうで泊まっている船も数隻いるのである。波止に夜出てみると久栄や信栄はいない。向こうに泊まっているのだろう。
 診療所50人余り。
 夕食は殆どいただき物。


10月2日(金)雨 凪
 雨だが、祝島から田名には抗議行動に行き、東京には署名を持って資源エネルギー庁に行った。
 診療所40人余り。りゅうま君が高熱を出している。サトシ君父親業をよく頑張っている。エベス家の子ども達は大変可愛い。
 夜、カヤックを積んでおく。


10月3日(土)晴れ 西風
 ヒロコおばさん、柳井行き。歯医者。
 朝、ゆっくり田名に向かっていると、佐合の右に台船が向かっているのが見える。急いでいって見るとヒサ坊がやって来て、コンクリートを積む作業で、流して見ていると良いという。中電の仕事では無いそうだ。四代の港用のコンクリートらしい。
 祝島の船はヒサ坊の船だけだった。ヒサ坊達はほとんど田名に泊まり込みである。昨日は清水丸に寝たらしい。
 ユウジサン達カヤック隊は10艇いた。最近は連日二桁の艇数がやって来ている。昨日は一日中雨で寒かったことだろう。
 今日は五月丸にカヤックを積んでいったけど積んだままだった。2時間足らずで作業は終わり、おらは祝島に帰った。ヒロコおばさんは歯医者が終わって田名に来る予定だったが、変更して大和病院へ。柳井泊。ユウベエも柳井に出る予定。
 フナタデに気が向いたが、船台は今日も満席だった。
 昼前にナガイソに行く。大豆も夏草も育っていた。コヤマの瀬でボンゴのような太鼓を打つ若者二人組がいた。
 少しレセプトの仕事をして夕方ヨボシに釣りに出た。鰺とチダイがおかずになるほど釣れた。帰ってカヤックを浜に上げる。
 肴はアジの刺身久しぶりで旨い。


10月4日(日)晴れ 凪
 朝、ナガイソに寝袋をとりに行く。船台があいているので、考えた末、船を持って行く。昼までに終えたら降ろされそうだったのだが、少し遅くなった。夕方降ろすことにする。フナタデは神舞前にしたので1年2ヶ月ぶりでフジツボが沢山付いている。亜鉛も付けて貰う。フナタデをしていると自転車などで三浦の方に行く人が通る。良い天気で気持ちも良いだろう。同級生のキミちゃんやヒデちゃんも、しんちゃん所の仕事を終えて、歩いて帰りしな、話しかけていった。
 法事の折り(寿司やおかず)を持ってきてくれていた。さらに夕方分も持ってきてくれ、大変助かる。
 ユウベエは今日周東病院で研修だと聞いた。
 フナタデは昼過ぎに終わった。
 カンパに寝袋などセットして寝場所を作っておく。
 17時半前に船台の所に行くと、ヤンマーのひろちゃんが来てくれて、五月丸を降ろしてくれる。そのまま田名に向かう。ひろちゃんのおかげで暗くならないうちに田名に着く。暗いと初めての港は難しいのである。田名泊まりのピンチヒッターである。
 原さん達といっぱいやる。色々差し入れがあった。
 五月丸のカンパで寝る。波の音が耳元でする。腰が痛くなり、2時間おきに目が覚めるが十分眠れた。


10月5日(月)曇り 北風
 診療所は第一月曜日で休診日。
 朝、6時過ぎにひろしくんの声で目が覚める。ひろしくんは4時からの見張り当番だったらしい。3時過ぎから来ていたという。
 祝島の漁船も10隻くらい来て、カヤック隊も10艇くらい出動した。
 林先生所からの差し入れで朝食をいただく。昼はタミちゃん、のりちゃん達の炊き出しで昼食をいただく。手伝いにミチヨちゃんも来ていた。陸上応援部隊の陣営を視察する。警察の人も情報収集をしていた。昼下がりに秀人君の車でヒロコおばさんもささやかに応援に来た。この前から行く行くといいながらなかなか来れなかったのである。
 15時半頃祝島に向けて帰る。ヒロコおばさんは室津まで由美ちゃんの車に乗せて貰って夕便で帰る。
 肴はアジの刺身。


10月6日(火)雨のち曇り 北風
 診療所30人余り。
 田名は動き無し。
 18号は北台風と思うが中の波止に避難。
 肴はかまぼことアジの塩焼き。


10月7日(水)雨 北風
 台風紀伊半島に向けて北上。診療所約30人。
 朝、田名に向けて漁船出動。早めに帰ってくる。
 午後、中電がブイを設置したという情報が入り、双眼鏡で見るとブイらしき物がヒデガサキ沖に見える。どこかから持ってきて、設置したようである。だまし討ちのような行動である。そういう体質の会社なのだろう。
 しんちゃん邸は北風の波をかぶったことだろう。


10月8日(木)曇りのち晴 西風
 台風は祝島はそれほど吹かなかった。東海、中部、関東、東北は荒れたようだ。
 診療所は20人足らず。少し草刈りをする。
 夕方、久しぶりに15分余りゆっくりランニング。集会にヒロコおばさんが出てくれる。
 肴はチダイの煮付け。


10月9日(金)曇り 西風
 診療所30人余り。
 隣で不幸があり、ヒロコおばさんはかなり忙しかった。
 明日は田名に行き、泊まるのでそれなりの準備をしておく。


10月10日(土)晴れ 北風のち凪 
 5:30田名に向け出発。トシ坊さんやヒサ坊さんが迎えてくれる。田名は朝冷えた。
 ヤンマーで伊藤のおばさん達がやってくる。キーコーさんも初めてやってきたと言っていた。80歳代半ばなのである。
 昼飯にはヨシトさん特製のみそ汁が付く。のぶちゃんの活きたモイカがショウイチさんの調理で刺身になり、これもご馳走になる。モイカは初物である。
 神花山古墳にも行ってみる。水場まで歩いてみる。途中の海つながりの水たまりに大きいウナギが2匹泳いでいた。
 夕方、早めの夕飯。寝こけて、11:00から12時までオオハラさんと一緒に警備係。その後寝る。コーヒーが効いてウトウトが続いた。


10月11日(日)晴れ 朝冷える。凪
 朝冷える。
 6:00前に、ヨシトさんの造ったみそ汁で朝飯を食べる。
 6:30には、とうじゅうさんたち漁船組がやってくる。ヤンマーではスミレ隊がやってきた。
 カヤック隊は7艇くらいだった。林先生達もやって来た。
 中電は来そうな気配は無い。ぐるっと回ってスミレ隊のコーヒーをいただく。
 おらは8:00過ぎには五月丸で祝島に向かう。途中田ノ浦の灯浮標を見に行く。
 昼過ぎに葬式に出る。
 15:00前に釣りに出る。カミカドでハマチが2匹と瀬戸でチダイが釣れる。


10月12日(月)晴れ 北風のち凪 体育の日
 朝釣りに出る。途中丸アジを4つ。その後コージロ。大きい鯛が釣れていたが、糸に傷があったようで切れてしまう。
 室津に向かう。室津に着いたらカズサアがいて綱を取ってくれる。
 魚を柳井の知り合いに持って行く。喜んでくれるので行きがいがある。バイクのタイヤを買う。その他ちょこっと買い出しをする。
 昼過ぎに室津に向かい、そのままウヤシマに向かう。カミカドで良い形のイサキが釣れた。帰りにヨボシ前で、アジが湧いているのでサガリを降ろすと一度に4つ釣れた。


10月13日(火)晴れ 西風 
 診療所30人半ば。診療所そばのナツメが熟れている。
 フナタデをしたので、魚が良く生きる。
 肴は貰ったかまぼこや、貰ったサワラの竜田揚げなど。


10月14日(水)曇り 西風
 かなり風がある中を田名に行ったようだ。船が揺れてくたびれたことだろう。
 昼に寿司のネタ用にイサキなどを上げておいたのだが、おかずを沢山貰ったので寿司は明日にした。


10月15日(木)晴れ 凪
 ヒサ坊から電話があって、土曜日に田名行き、泊が決まった。
 夕方、ゆっくり20分走る。
 握り寿司を造り、ヒロコおばさんと二人で40かん余りを食べる。ネタはイサキ、丸アジ、チダイ。


10月16日(金)晴れ 凪
 田名で、浮標を動かそうとする動きがあったそうだ。「RadioActive」というブログの情報が早い。おじさんやおばさんが浮標に座っている写真が載っていた。
 タッチャンも今日は行っているはずだ。http://radio-active.cocolog-nifty.com/blog/


10月17日(土)曇り 凪
 5:40に田名に向けて五月丸で出発。6:40田名の波止の中に到着。トシ坊さん、ヒサ坊さんが迎えてくれる。
 カヤック隊は原さん達7艇くらいが出動。
 タミちゃん・ゆみちゃんテントでコーヒーを飲んだり、ヒロコおばさん作の弁当をみそ汁・ビール付きで食べる。
 五月丸の陰で昼寝。
 夕食はタミちゃん・由美ちゃんテントでコチやチンのみそ汁・刺身付き。原さん・ユウジさん達を交えて10時まえまで話をする。
 五月丸で寝る。


10月18日(日)晴れ だんだん西風が強くなる。
 2時間おきに目が覚める。
 朝飯は昨日の残りの握り飯。テントでまたみそ汁を貰う。昼食はタミちゃん特製カレー。缶ビール付き。
 今日は木陰で昼寝。
 エベス3姉弟が来て田名がにぎやかになる。岡田君と3姉弟が仲良く遊んでいる。りゅうま君は小舟から落ちた。
 五月丸は西風が強くなったので田名泊にする。おばさん達はほとんどがいわいで帰ることにした。数人ずつが清水丸とヤンマーでハナグリ周りで帰って行った。
 夕食は、残していったタミちゃんカレーをのぶちゃん、ヒサ坊、よしと君たち4人で食べる。一杯やりながら3人の出稼ぎの話を聞く。イランの内乱時代に3人ともイランにいて、のぶちゃんとヒサ坊の二人は最後の飛行機で出国したそうだ。ヨシト君もほぼそれに近い便だったそうである。それに3人は同級生なのである。なかなか活躍学年である。そういうことで3人の同級生の伊藤のしんちゃんの話も出る。


10月19日(月)晴れ 南西夕方南風
 朝5:40田名を出発。風があるので上関・ハナグリを回る。ハナグリまで行ってみるといつものコースの方がかえって波が小さそうだった。40分くらい遅くなった。
 診療所20人足らず。昼休みに少しうとっとする。
 夕方、20分くらい超ゆっくりランニング。


10月20日(火)晴れ 西風夕方凪
 診療所30人足らず。
 風が強いが、田名には皆さん行った。
 夕方、20分の超ゆっくりランニング。
 肴はイサキの刺身。


10月21日(水)晴れ 凪
 診療所30人足らず。救急船出動。サトシ君にいつもお世話になる。今までこういう活動を書くことを控えてきたけど、差し支えない程度に書こうと思う。診療所には救急用に中古のワンボックスカーがある。波止までの救急車的はたらきをする。その運転手はサトシ君がなることが多いのである。今年になって五回以上は出動したことがあると思う。
 昼に血液をいわいに運んで帰り道、波止で友栄に丸アジを貰う。
 仕事が終わって生ゴミをナガイソに持って行く。苗木も一本持って行き、植える。
 夕方、集会があり、ヒロコおばさんが出てくれる。
 肴は丸アジの刺身。
 この前の土日の写真を見てみると、なかなか良いのがあった。エベス家の子どもとカヤック隊の課外活動の写真である。カヤック隊は出動が終わって、ロールの練習をしていた。夕方まで2時間以上やっていたのではなかろうか。


10月22日(木)晴れ 北風
 診療所30人余り。
 仕事が終わってナガイソまでゆっくりランニング。昨日植えた苗木に水やり。伸びたトマトの木をめくると熟れたトマトが出てきた。
 肴は丸アジのしめたもの。


10月23日(金)晴れ 北風
 診療所30人足らず。
 仕事が終わってナガイソまで自転車で行き、苗木に水やり。トマトを2つとって帰る。
 肴は丸アジのしめたの。
 明日は田名に行くのでちょっと準備。


10月24日(土)曇り 北風
 5:40過ぎ祝島出発。田名着6:35頃。すでに大宝丸と松漁丸は来て繋いでいた。
 タミちゃん・ユミちゃんテントでコーヒーを飲んで、ぐるっと回ってみる。ヒサヨちゃんが、いつも手伝っている。
 カヤック隊は原さんが脱穀で田布施に行った後、上田君が臨時隊長を仰せつかったようである。上田君は先週やって来て、ずっとカヤックに乗っていたようでカヤックの腕が上がったようだ。トウジョウ君というのは1ヶ月以上乗り続けていて、乗ったこともなかったカヤックが結構自由に操れるようになっている様だ。ある面長いカヤック講習会が開催されていると思って良い。海辺への親密度は格段に上がっているのは間違いない。
 昼飯はヒロコおばさんの握り飯に、タミちゃんテントでのハナブサさん作の赤身シチュー、ビール付き。
 小さいどうらんを五月丸で修繕しようと持ってきていたのだが、網がむせていたので、結局ばらしただけで終了。
 ヤンマーで来たのは、スミレ班で、伊藤のおばさん、きいこうさんのいるスミレ班だった。ここでもコーヒーをいただく。
 夕食はテントで特製のカレーをビールと一緒にいただく。ユウジサンの差し入れの焼き鳥も大変旨かった。
 五月丸で泊まる。北風が強く波の音がなかなか激しかった。
 ヒロコおばさんは昼便で出る予定だったが、昼便に出ている途中で任務が発生、夕便で出て由美ちゃんに柳井まで運送して貰ったようである。

10月25日(日)曇り 北風
 4:00前に目が覚め、岸壁周辺を見回る。その後、明るくなるまで五月丸に寝そべる。セットしていたのを昨日カンパの中にコンロを初使用して湯を沸かしコーヒーを飲む。
 7:00前にヤンマーが着く。その後間もなくタッチャンが到着。
 清水丸は9:00に会議で室津に向かい、そのまま祝島に人を乗せに帰ると言うことである。13:30から上関原発反対の集会があるので、祝島からも50人くらい昼過ぎに漁船などでやってくる。漁船も埠頭周辺に集まる予定である。
 昼過ぎには予定通り、漁船が来始めたので、五月丸も波止から出る。葉月丸(しんちゃんの船)に赤いシャツが見えたので行ってみると、ケンちゃんがいて、清酒を勧めてくれる。店に出している平生の漁師の奥さん達か造ったといういわしや、デンチョウの天ぷら・フライをつまみに買ってきていて、これが旨い。
 そのうち、たかちゃんがやって来て、鯛の刺身を造ってくれる。
 13:30に始まった集会たけなわの2:30頃だろうか、イワシ網漁が目の前で始まり、30隻の祝島の漁船は見物態勢になった。
 いわい網漁が終わる頃、エンジンを切って流していると15:30前に集会が終わったようで、漁船が動き出したので五月丸も祝島に向かう。
 祝島の波止に戻り給油。波止に繋いだ後、のぶちゃんにイワシ網漁で貰ったイワシを分けて貰う。
 肴はイワシの天ぷらと煮付け。イワシの残りは南蛮漬けと、あと茹でておく。いりこを造ってみようと思ったが、少し茹ですぎた。
 夕方から雨。


10月26日(月)雨のち曇りのち晴
 朝まで雨が降る。固くなった畑が軟らかくなったことだろう。田名泊の人は難儀ではある。
 診療所20人ばかり。
 田名埠頭では浮標が海辺に動かされたようだ。正面の入り口でなく、横の方から潜り込んだそうである。
 夕方に祝島の女性陣が出動したようである。
 仕事が終わってゆっくりランニング25分。
 肴はイワシの南蛮漬けに鍋。


10月27日(火)晴れ 凪
 夜中、風があったが朝は凪いできた。
 診療所20人余り。予想より少なかった。
 昨日に続き今日も鍋だった。鍋が良い季節になった。
 良い天気で、少しいりこができた。


10月28日(水)晴れ 凪
 診療所40人余り。勤務終了前は空いたが、結構待合室は多かった。
 連日うどんが旨い。


10月29日(木)晴れ 凪
 今朝、暗いうちに7基の浮標をこっそり置いたという。それを「日の出とともに」とコメントしたらしい。新聞などでしか情報が得られないとホントのことはつかめないものだとつくづく感じる。
 ヒサ坊さんから電話があり、土曜日当番が、金曜夜からに変更になった。風邪引きが出たのか。田名の警戒はずっと続けるのは変わりない様だ。


10月30日(金)晴のち曇り 凪
 診療所40人余り。昼下がりまで忙しい一日だった。
 17:00勤務終了。すぐ波止に出て田名に向かおうとして、波止を出たところで携帯を忘れたのに気づき引き返す。結局17:20出発。牛島の横でくらくなった。五月丸にはもちろんレーザー等は無いので、灯りや山並みが目印になる。明るいときにいろいろ目印など気をつけておかなくては夜は走れない。この日は満月に近いはずだが曇って暗かった。
 田名でヒサ坊さん達と一杯。五月丸で泊まる。温い日だった。


10月31日(土)曇り 凪
 2:00過ぎに目が覚めたがション便をしてまた寝た。
 7:00頃、ヤンマーと万吉丸が来た。
 午前中、カヤック隊が2人のようなのでカヤック隊に臨時参加。上田君と並んでケニヤの話などを聞く。
 午後、ヒサ坊と一緒に吉村君達と4人で水場の近くまで散歩的に漕いだ。石の間を遊びながら漕ぐのも面白い。
 カヤック散歩から帰ったら、アロマセラピーの娘さん達が、清水丸でマッサージをしていて、おらもやって貰った。ウトウト眠った。
 ヒロコおばさんが夕便で来るので、トラック便に乗せて貰って室津に迎えに行き、柳井まで送る。
 夕食をみんなで楽しむ。五月丸で泊まる。南風。


11月の日記へ