8月1日(火)晴れ
この所出費が多いからか、首が回りにくくなったので、話し相手や呼びかけられたときには身体を向けて話や挨拶をするようにしている。暑いので外に出ることは少ないのだが。
夜、急遽役場に出掛けることに決まる。
8月2日(水)晴れ 凪
7時半に清水丸で町役場に行く。中国電力が町長に中間貯蔵施設の建設に向けての調査受け入れを申し入れるという。中電が9時について町長室に入ったのは約20分後。上関町民、近隣町民・市民・県民併せて約40人くらいが外で中国電力の幹部に抗議したので入室は遅れた。みんな憤り・不満や不安を持っていることの表れで、伝わった部分はあるだろう。
中電の申し入れが終わった後、町長と面談。町長室に入室したのは上関町民、町外住民約30人弱。住民の意見、質問、町長の応答、説明などで約1時間半。町長は丁寧に説明をしていたが、意見の相違は縮まらなかったとの印象である。
町長の思いは、町の財政状況は破綻寸前であるから、大きな交付金しか生き残る手段は無いという考えに凝り固まっているようだ。今も原発関連の交付金は8,000万円入っているが、それだけでは足りず、さらに億単位のお金を手に入れたいという。関西電力が困っている(23年までには他の施設に移動すると福井県と約束している)使用済み核燃料を中電が引き受けて上関に中間貯蔵施設を建設したいという提案である。調査段階で1億4千万円、知事の同意後は2年間で9億8千万円/1年。建設と運転段階では貯蔵量などに応じて交付金が出る。
「原発関連と併せてまた何億も両方貰いたいなんて欲張りでしょう、原発建設は一旦白紙撤回にしたらどうですか」と言ったのだが、いやいや、と受け入れて貰えなかった。私は「ほしがりません勝つまでは」という気持ちで反対しているのですよ、と言ったがほぼ無視された。(町長のすぐ隣に座っていたのだが)
いろいろな人が意見を言えたのでよかったとは思うが、考えが近づくという感じはなかった。地域作りは必要だということは共有点だが、百万単位で考えられるか、億単位でないと考えられないかという点が相違している。億円単位を貰い続けてきてできた町の体質を変えるのは難しいことはわかっているが、粘り強くやっていくしか無い。おらもコツコツアボカドを作っていこう。長い道のりだ。おらが周り(祝島)では1年に100万円くらいで(海、山、不定期の仕事などで)頑張っている若者が10人くらいすぐ思い浮かぶ。そういう若者を育てる気持ちを持って、一緒に上関を盛り上げようとすれば、結構良い上関町になると思うのだが、なかなか気持ちが伝わらない。
夜島民の会運営委員会。若い議員さんの話では、本土の方では急な受け入れの性急さ、乱暴さに憤っている人がかなりいるという。
8月3日(木)晴れ
千葉の中鶴さんに電話。吉岡さんと話したようだ。吉岡さん、元気に週二日勤務しているそうだ。徳島大学元水泳部のよしかわさんからもテレビを見たとの電話が入った。何十年ぶりかで懐かしかった。孝さんは福岡でのマスターズ水泳大会に出場するという。結構上位にいるのである。
午後アラメ採り、次の潮までの分を採る。
8月4日(金)晴れ
午前ヒロコおばさんとアワビの餌やり4ビク。海水温は上がったが今のところ無事である。波止の中も暑く汗びっしょりになる。
8月5日(土)晴れ
弁護士さん達が、田ノ浦視察に来られるので迎えに清水丸で室津へ行く。臨時に町民の会が会議を持つと言うことで、清水丸の室津行きは祝島10時発が6時半発になったので早起きして町民の会にも参加。中間貯蔵施設の件について対策を考える。
11時から予定通り弁護士さん達と田ノ浦に向かう。報道も3社取材に来ていた。
8月6日(日)晴れ
広島原爆投下78年目の日。広島の力は大きい。向かうべき方向を示してくれていると思う。
午前準備をし、夕方西の方に五月丸を台風する。
8月7日(月)雨模様
朝雨が降っている。少しだけですぐ上がったが久しぶりで畑には良い。
昼前にカタアに行ってみる。アボカド3つは順調に育っていた。パパイヤは水が欲しそうだった。帰ってすぐ雨が降ったのでパパイヤは喜んだだろう。右の写真はポポー。初めて実がアケブ程度まで育っている。
夕方裁判支援の会リモート会議。
8月8日(火)雨のち晴れ
町議会全員協議会があり、役場に祝島から約20人行く。祝島の議員が公開(傍聴)を要望したが受け入れてもらえず、非公開、1時間半で、質問がまだあるにも関わらず終了したと言うことである。あまりにも強引なやり方で、次回の臨時議会で、中間貯蔵施設のための調査受け入れを議決する狙いが見えてきた。昨年、町長の経産省訪問から、関西電力と中国電力との共謀、中電への町長の地域振興策の依頼、依頼を受けての中電の中間貯蔵施設調査の提案が透けて見える。経産省の官僚さんあたりなら簡単に作れそうな気がする。
暮れまでの受け入れの決定が関電には有り難いことだろう。福島県は、フランスへのわずかな使用済み核燃料輸送では、見せかけだけだと怒った。関電は、今年中に受け入れをしてくれるところがあると、これほど助かることは無い。とにかく調査受け入れだけでもいい、というほど焦っているのだろう。上関町長も焦らされているのだろうと思う。
上関町は核のゴミ捨て場になるおそれがある。火種の内に消すことが大事である。当面次の臨時議会対策が重要になる。
8月9日(水)雨
朝から雨が降ったり止んだり。台風6号は朝鮮半島に向かう予想である。遠くを通るので暴風にはならないと思う。
室津への出張は台風により延期。
8月10日(木)曇り
夜中に高いところで電線を鳴らすような音がする。風が吹いているが、台風が遠いので吹く風は上の方である。
8月11日(金)晴れ 凪
ビクを2つしごをして餌を入れる。
夕便でリョウキチとドスコイちゃんが帰省。賑やかになる。
8月12日(土)晴れ 凪
午前、リョウキチとカミカドに釣りに出る。鰯が釣れた。鯖4。
夕便でナゴジロー達二人帰省。さらに賑やかになる。
8月13日(日)晴れ
午後、リモート会議。「上関どうするネット 緊急リレートーク」である。上関どうするネットで活動している惠美ちゃんからの誘いで参加した。惠美ちゃんは小さい頃から祝島に帰ってよくあそんでいて、大人になってもよくあそびに帰り、今は東京で祝島のことを助けてくれている重要人物である。
8月14日(月)晴れ 凪
朝便で出て、抗議活動。中電が町議員に中間貯蔵施設調査についての説明をするという。住民に十分な説明も無く、議員への宣伝活動を止めようと言うことである。おらとしては、どんな説明を受けようが、核のゴミを上関町に持ち込むことは反対である。原発に反対であるから、核のゴミ受け入れが容認できるわけが無い。他所の原発稼働を容認することになる。
9時に役場に中電到着。核のゴミは受け入れないから帰ってくれといって、帰って貰った。防護服を着たワタリダさんにはたまげた。
午後議会運営委員会があり、後で知ったことであるが、「18日の臨時議会で、町長から議員に中間貯蔵施設調査受け入れについて報告し、意見を聞いて町長が判断をする。」ということが決まったようである。
午後3時から、町長への三団体の申し入れがあり、面談を少し。15分くらいで終わる。何を言っても無駄という印象である。終わりたそうであったが、(おらは終始黙って聞いていたのだが)最後に一言「祝島は盆に500人帰省しました。原発があったら帰りますかねえ」といったら「中間貯蔵施設だよ」と言った。「同じですよ」と言って終わりになった。実は町長は原発も中間貯蔵施設も両方狙っているのである。なんとまあ欲張りな。
8月15日(火)晴れ 西風
ビクのしご3。アワビが腹を減らしていた。
夜盆踊りを見に行った。遅かったので、宴のあとが残っていた。
台風7号が兵庫あたりを通過して、豪雨をもたらし、被害が出ている。
8月16日(水)晴れ
ユウベエが、原君がフェイスブックで書いている文章を印刷してくれた。2日、8日、14日の行動について記録してくれている。
8月17日(木)
8月18日(金)晴れのち雨 凪
朝便で中間貯蔵施設調査受け入れへの抗議活動。祝島から35人あまり参加。ランボー君達も参加。ランボー君は徳島の山の方で、スクールをつくって活動しているようである。
8時半過ぎから9時頃まで町長に抗議。その後臨時議会。町長中間貯蔵施設調査受け入れ表明。
多くの生命に関わる危険な事柄を、最少人数で決めることが許される仕組みは、非常に危うい社会だ。何百万の命を危険にさらす事柄と言えば、まず戦争である。次は原発関連の事故だろう。ロシアはウクライナ侵攻をプーチン一人が決めた。原発建設受け入れは小さな町が決める。中間貯蔵施設は町長一人が決めた。
おらはこれから町行政へ非協力を決めた。年金から税金は払う。今までも60歳までは公務員としてきちんと税金は払った。健康だったのでそれほど医療保険は費やしていない。電気代も、水道代も滞納していない。無い物ねだりをする性格も持ち合わせていない。
8月19日(土)晴れ 凪
福井の方から記者さんが来島。中間貯蔵などについて話をする。
もう一組の方は休日で祝島観光。祝島が気に入ってくれたようで1時間あまり家の前の道で楽しく話をする。
8月20日(日)晴れ 凪
暑い日が続く。「マークスの山を半分読んだ。
夕方ヒロコおばさんとアラメ採り。腰まで入って採る。この潮は余りひらない。
8月21日(月)晴れ 凪
夕方アワビ2ビク餌やり。
首痛はなかなか治らない。
8月22日(火)晴れ 凪
ユウベエがビクのしごをやってくれる。7ビク。
ヒロコおばさんは、朝便で出て、26日にある中間貯蔵施設についての講演会のチラシを配りに長島に行く。
8月23日(水)雨模様 凪
祝島小学校で「熟議」というのがあって参加した。子供のためにいろいろ考えるのが目的だったが、いろいろな意見がたくさん出て楽しかった。
子供から水泳とか潜り方とか上手になりたい、という意見があった。おらの得意分野だが、身体が動かなかったり、首が回らないので教えること(やってみせること)ができないので残念である。
「マークスの山」を読み終わる。解説の中にドストエフスキーが出てきた。若い頃理解不足のまま読んだので懐かしくなって、また読んでみようかと思い始めた。「マークスの山」は確かにドストエフスキーの本を思い起こさせるものがある。スタンダールの方に近いとも書いてあった。スタンダールは余り読んでないが、今年中には読んでみたい。
8月24日(木)晴れ 東風
ツクツクホウシが鳴き始めた。ウシビター(イヌビワ)が熟れ始める頃である。
自治会の自転車パンク修理1台。コロナ禍が一段落し、島を訪れる人、帰省する人が増えて、利用者が増えた。今月は約30台の利用があった。黒字経営である。(おつりが100円渡せない人があった)
夕方浜を歩く。草臥れた。
8月25日(金)晴れ 東風
来客あり。原発について2時間足らず話をする。
午後バイクに乗ってみる。気になる音がするが動く。
夕方浜を歩く。昨日より楽だった。
8月26日(土)晴れ 凪
昼便で出て、中間貯蔵施設についての講演を聴く。上関町総合文化センター多目的ホールで会ったのだが固定の椅子では座りきれず、空いている所に椅子を並べて、報道によると450人の視聴者だったようである。当センター始まって以来の入場者ではないかと思う。関心の大きさがうかがえる。
ミチヨさんにイチジクをたくさんいただく。
8月27日(日)晴れ 凪
午後バイクでカタアに行く。バイクで行くのは1ヶ月ぶりだ。ポポーが成長していた。まだイノシシに見つかっていないようだ。
8月28日(月)晴れ 凪
朝晩少し秋の気配が感じられるが、まだまだ少し動くと汗が出る。
8月29日(火)晴れ 南風
ユンボを始動してみるがバッテリーがあがっているようでかからなかった。ヨモギに葉が似ていて花がホトケノザ風についている草があった。メハジキという草だった。
8月30日(水)晴れ一時小雨 南風
カタアに行きパパイヤに肥料を少しやる。また雌花らしきがついていない。成長は25度Cまでらしいので早く実を付けないと太らない。水不足か。バケツ一杯ずつ水をやっておく。
午後風が吹いたあと凪いだのでハナグリに釣りに出る。バカアジ1つと小アジとチダイを数匹ずつ釣る。晴れて汗をたらたらかいて草臥れた。
ヒロコおばさんかバカアジをさばいて、にぎり寿司を作ってくれた。
8月31日(木)雨 南風
昨晩から時々突風が吹き、夜が明けても雨や風が吹き付け不安定。雨だけは欲しかった。