おらが日記帳 11月 祝島雑記帳トップに戻 9月に戻る 10月に戻る
11月1日(土)晴れ
リョウキチと広島まで行く。途中藤生に途中下車して友達の所に寄ってみる。リョウキチは、おらが友達から昼飯代にと、たくさんいただいた。よくかわいがってくれるのだ。
東急ハンズに行って工作用の品々を購入。昼飯を福屋のフランス料理風のレストランでとる。特製カレーで辛口を注文。リョウキチは生まれて一番辛いというカレーを食べた。2人とも運動靴で場所にそぐわなかったが、店の方は温かくもてなしてくれた。
ユウベエとナゴジロウは昼便でケーキを買って島に帰っていた。夕方揃ったところで、リョウキチの誕生祝いをした。ローソクが燃え上がってケーキより盛大だった。
11月2日(日)曇り時々雨 雨約13mm
夜中に久しぶりに雨が降った。畑にはいい雨だったろう。
朝、釣りに出る。カメジョーサー(ウミウ 海鵜)をこのシーズン初めてみた。渡ってきたようだ。コージロの木が黄葉していた。小さな島だが、秋が盛りである。
午後少し仕事をして、ゆっくり夕方の釣りに出る。カミカドでアジがポツポツ釣れる。雨もポツポツ降る。暗い天気で、早めにモイカかけをしてみる。暗くなって4つ掛かる。7時頃家に着く。
夕食は手製にぎり寿司。ネタはヤズ中心。
11月3日(月)午前中雨午後曇り 凪
午前中仕事を少しして過ごす。予定外に雨の日が2日続く。祝島にはいいウルイである。ウルイは日照り続きの合間の雨を言う。午後、手紙などを珍しく書いて、思い出したように親戚をのぞいてみるが、伯母さんが昼寝をしていた。
夕方、釣りに出る。小潮でアジが釣れない。ボウスイオ(スナメリ)がいた。これも関係しているかも知れない。ボウズイオがいるとまずアジは釣れないというのは祝島の常識ではある。薄暗くなってモイカを狙う。コージロに行く途中の海が雨上がりの夕焼けを映して柔らかな色をしていた。
モイカは、帰宅9時過ぎまでやって7つ掛ける。上出来である。結構大きいのが掛かる。
昨日から今日にかけて、インターネットやメールの接続が出来なかったが、夜にはつながる。
11月4日(火)晴れ
いい天気。ノジギクが咲き始めた。
昨日のモイカの小さめのを3つ、船のイケマに活かしておくと、ちゃんと生きている。
11月5日(水)雨 北東風
マーティンさんから文化祭がんばって下さいとのメールが来る。
11月6日(木)雨のち晴れ間 北後凪
朝小雨の中、胃検診で上関までバリウムを飲みに五月丸で行く。途中天田島の横で運よくヤズが4匹釣れる。
晴れ間がのぞく中を正午に帰島。午後焼き物を焼く。
夕方、もイカ掛けに出る。10掛ける。今年最高である。
11月7日(金)晴れ 凪
上関小学校の3年生が祝島についての勉強に来て、祝島の中学生と交流する。みんな元気に楽しそうにいろいろ学んだり遊んだりしていた。午後はタカシ君のガイドで、三浦のみかん畑やビワ畑の見学に行った。
裕子おばさんは文化祭での寿司(昼食)作りの下ごしらえの手伝い。
夜、水戸黄門の劇の練習後に、凪と月夜に誘われて、連日のモイカ掛けに出た。9つ掛かった。
上関小学校3年生の皆さん。元気です。「また来ます。」と言っていました。03/11/7 |
11月8日(土)曇り 凪
文化祭の準備や劇の練習の後、敏坊さんとモイカを掛けに出る。この日は少し風が出てきたせいか、2人で3つしか掛からなかった。帰って1つ刺身にして食べた。新しいモイカの刺身は透明感がある。
11月9日(日)曇りのち小雨
文化祭「祝島万葉祭」。リョウキチの出番は9つ。なかなか忙しい一日を過ごす。
昼食は藤井さんの作ってくれた寿司。この寿司は見に来てくれた人にも1パック100円で売りに出される。好評で、400パック作ったそうだ。ほとんど売り切れる。裕子おばさんもいろいろ手伝いをした。
平生町からめぐみさんが友達の若い音楽家の皆さんを連れてきてくれて、文化の香りを祝島の高台にふりそそいでくれた。文彦君もオカリナのきれいな音色を島の人たちに紹介してくれた。
生徒達の「走れメロス」がなかなか好評でなかなか感動を呼んだ。
秀人君は「水戸黄門」に助さん役で出演。去年までは越後屋の手下1か手下2だったが今年は台詞が増え、切られ役から切る方に変わった。今年の手下は今までで一番強そうだったが役目上、勝ってはいけないので、だらしなく負けてしばられた人もいる。
11月10(月)曇りのち雨〜11(火)曇り
休日で長門方面に旅行。
11日夕方帰る。西風がかなり強くなっていた。
11月12日(水)晴れ 北風
学校の石垣の上のツワの花がよく咲いている。ノジギクも満開に近い。
この前からの雨で椎茸が出始めた。秋が真っ盛りである。
リョウキチと伝馬船の櫂漕ぎを練習する。リョウキチ、少し漕げるようになる。
11月13日(木) 晴れ
朝日新聞の記者が来て、子供達にインタビューしていた。
11月14日(金) 晴れ
祝島に帰っていた伯母さんがケガをして、下関に帰る電車で一緒に徳山に出張に行く。
ユウベエとナゴジローの所で泊まる。2人とも風邪をひかず元気そうだった。
11月15日(土) 曇り
朝起きて漁具店で安いイカ型わ買って、昼便で帰る。昼便に海斗君達が乗っていた。海斗君は祝島好きらしく、船に乗るのがうれしそうだった。おらが顔を覚えている様な表情だった。
午後ソーズイにいって柿をもぐ。富有柿の小さいのが70ばかり採れた。帰りに平の万次さんに、石垣の話を聞いた。作りかけの堤(ため池)も見せてもらった。今はビワ畑になっている。
リョウキチはこの日3ラウンドの釣りに行く。ネバルを10匹ばかり釣ったようだ。手製の小さい疑似餌でも釣れたようだ。
11月16日(日) 晴れ 西風
島の朝市。焼き物を出す。野菜など、よく売れた。ホーレンソウ、ごぼう、白菜、タマネギ、ピーマン、ミカン、柿など大変安いのである。手製のパンもよく売れたようである。お花(マキで墓などに挿すもの)はいつも早々と売り切れる。かしましグループはたこ焼きや大判焼き、焼き鳥をにぎやかに売っている。10人以上の行列が出来ていた。
文彦君も早くから出てくれて手伝いをしてくれる。店じまい前には文彦・リョウキチコンビで売り歩き売りさばいていた。
午後タカトウに行って、サツマイモを掘る。10本ばかり芋蔓が生きていたのが芋を少しずつ付けている。期待以上であった。
夕方も西風が弱らず、イカ掛けに出られなかった。
坂本さんからコッコーをもらった。食べられるくらいの柔らかさになっている。おらが家の3人とも食べた。きっと長生きできるだろう。花生け用のももらった。
11月17日(月) 晴れ 北風のち凪
祝島に総勢9人のカヌーを操る人たちが本土から来た。それぞれ東の浜にテントを張って、明日から小豆島まで海の旅をするそうだ。
晩にビールを飲みながら話を聞いたが、いまカヌーが世界的に見つめられているという。祝島はカヌーに大変向いていると言うことをいろいろな面から言ってくれた。話は縄文時代にさかのぼる。
11月18日(火) 晴れ 北のち凪
朝、洲澤さん達を見送る。写真
中国新聞に記事も乗っていた。 内田さんはパリダカールのカーレースで優勝の経験があるそうだ。その後カヤックに乗り始めたそうである。沖縄〜東京間を漕いだこともあるという。原さんはアラスカを1700km漕いだという。
おらとリョウキチは波止の中を伝馬船で漕いだ。
リョウキチは晩に釣りに出て、チン1、ホゴ2,ネバル1釣った。おらはルアーを投げてみたが、スラ(0)。完敗。竹林さんに広島カキをたくさんもらって焼いて食べる。
昼便で裕子おばさん柳井へ行く。ナゴジロー風邪。
11月19日(水) 夜中雨 曇り 北風
山道の土をとってプランターにパンジーの苗を植える。
リョウキチと伝馬船漕ぎに励む。
裕子おばさん柳井から帰る。ナゴジロー風邪治る。
リョウキチ、夕方暗くなってまたチンを1匹釣る。
洲澤さん達、昨日は北風に悩まされ、東和町着は19時だったそうである。11時間漕いだわけである。暗い海の中は大変だったことだろう。今日もかなり厳しかったと推測される。
晩はPTAスポーツでソフトバレーをする。その後一杯。いろいろ話を楽しむ。
11月20日(木) 雨 北風
伝馬船の底に置く桟板を作る。
11月21日(金) 曇り 西風 午後寒気
今日も伝馬船の底の桟板を作る続きをする。
晩、文彦君が来て話が弾む。文彦君は名前は普通だけど、台風みたいな所を持つ男である。
11月22日(土)晴れ 北東風
午前中にリョウキチと山道を歩く。カタクリ(ウバユリ)の芽を確認のため。予想通り芽は出ていない。ついでにウベを探してみるが落ちているのしか見なかった。今年はウベの不作の年のようだ。
午後長磯で畑を作る。ヒロコおばさんはタマネギの苗を117本植える。
そうそう祝島ならではの話。今日ヒロコおばさんはおらがばあさんの法事を一人で切り盛りする。おかげでおらは山道を歩いたりお経を聞いたり出来た。ナゴジロー昼便で帰る。絵を描く人らしい集団が昼便で来られたようだ。昼便は満員に近い状態だった。
11月23日(日)晴れ 東風
午前中釣り。何も釣れず。午後、長磯に行ってキュウイの畑のシゴをする。そこで見つかったのがシガラに巻き付いたキューいの実。見過ごしていたキューいの実を見つけた。100個位がシガラの木に巻き付いた枝になっていたのである。
夕方、凪いだかと思って沖に出てみると強くて、何も釣れないで帰る。
11月24日(月) 晴れ〜曇り 東風
朝釣りに出る。チダイ5〜6匹。大きいのが釣れていたが。切れる。
午後、オオトオに行ってみる。今年の三月に行った三角点に行ってみる。その三月に写した秀人君の写真を確かめた。確かに人工的な模様だ。縄文人か、渡来系弥生人の絵画かも知れない。この連休はよそからも、おおぜい絵描きさんが来られたし、絵画の連休だ。オオトオの石組みはそんな続きで見ると何となく、縄文時代を彷彿とさせる。おらだけだろうか。線画
オオトオの三角点 | 三角点から見たウヤシマ。 朝釣りに出たところを眺める。 |
11月25日(火) 晴れ 東風
11月26日(水) 東風
親戚の家解き準備山場。裕子おばさん頑張る。
11月27日(木) 北風
今日も裕子おばさん頑張る。
11月28日(金) 北風 雨
蛸壺が裕子おばさんのおかげで20〜30手に入り、朝、長磯に運ぶ。
親戚の家解き。おらは手伝いできず。ヒロコおばさん連日頑張ってくれる。夕食を3人でよばれに行く。
11月29日(土) 曇り
家解きの手伝いに行く。昼までに片づく。藤樹さんは3日連続でやってくれたようだ。
午後、仕事を少しする。
夕方、ヒデガサキにヤズを狙って釣りに出るが釣れず。このところ釣れていたようだが、この日は釣れなかったようだ。夕食はアジの刺身。
11月30日(日) 晴れ 西風
臨時の朝市。この日もリョウキチお客への声かけをしてくれ、売り上げに貢献してくれる。
午後、ウクライナから来られた2人のトークと演奏会があった。ウクライナのチェルノブイリ原発事故で被爆した子供達への医薬品を送るための活動をしているグループ「ドゥルージバ」の方達が祝島にやってきたのである。3年前はキエフのキエフナイチンゲール合唱団(小年少女)と来られた。今回はウクライナドゥルージハの事務局のビリジョークさんと、バンドゥーラ奏者ブロゴディルさんの2人が来られた。支援している宇部の5〜6人と一緒に来られたのだが、代表の松岡さん、事務局の石川さんは前回も来られたようで、見覚えがあった。
バンドゥーラという楽器の演奏は初めて視聴した。鉄弦のギターに似た音色で素晴らしい演奏だった。歌も歌ったのだが、澄んだ声が磨かれていると言う印象であった。キエフナイチンゲールの時もきれいな声だなあと思ったが、今回も大人のきれいな声を聞かせてもらった。
このトークと演奏の前に、陽子さんとリョウキチとおらが前座でギターを弾いたのだ。この4月からこの三人で、天気のいい日にはカヌーや伝馬船に乗り、天気の悪い日にはギターを弾くという活動をしていたのだが、この活動が少し役に立ったわけである。島のおばあちゃん、おばさん達が一杯拍手をしてくれた。おらが弾いた「湯の町エレジー」もなかなか好評でおばあちゃん・おばさん達が唄ってくれた。宇部から来られた方達はこの曲は知らなかったようである。祝島には古いものが結構残っている。
ウクライナの「イースターエッグ」をお土産にいただいた。
おらは始まる前にバンドゥーラのCDを買っていたのだが、終了後に裕子おばさんも買って、我が家にはサイン入りのCDが2枚ある。ウクライナではCDを作るのはなかなか至難の業ということだ。松岡さんによると日本への出発の日の午前2時に出来上がったのを持ってきたと言うことである。トーク担当のビリジョークさんはキエフの紹介をのだが、ウクライナへの思いが熱い人で、何処にいても、何を眺めても、いつも頭の中にウクライナやキ
中央が岡の平 |
エフがあるという感じである。この2人の公演「トーク&バンドゥーラコンサート」は11月23日から12月7日まで休み無く行われている。12月5,6,7には尼崎、宝塚、奈良で行われる予定である。いろいろなところで頑張っている人がいる。
午後4時過ぎから山の石を見て歩く。岡の平(オカノヒラ)辺りまで行くが、とりたてて珍しいものに出会わなかった。くずれた小屋
が4〜5軒あったが、どこのかわからない。薄暗くなり帰る。
夕方波止の中の五月丸に乗ってメバルを釣る。小さいのしか釣れなかったが、おかずほどは釣れる。