祝島日記 2005年1月 2004年12月の日記帳

1月1日(土)晴れ(雲は多い) 西風朝はかなり凪いでいた。 
 年が明けた夜空に半月が出ている。子供達が鐘を突いていた。橋部君も来て突いた。
 子供達が3時半頃帰ってきたような声を聞きながら眠る。
 朝、9時過ぎに起きる。今年最初の電話が、哲ぼんさんから入る。「浜」の方は雪が3cmくらい積もっているらしい。こちらは全然降ったような気配はない。
 11時頃みぞれ混じりの雨が降り始める。
 夕方は雨は上がり、風も弱まった。アナゴ籠を見ると、久しぶりにアナゴが入っている。そのあと、国東半島を見に行く。浜の哲ぼんさんとみっちさんがが手を振っていないかと見に行くが、見えなかった。初日の入りは見えた。トビイシの桜の苗は台風にも負けず生きていた。2〜3年後には花が咲くだろう。後ろトビイシの瀬の10年ものの松は枯れていた。瀬の松は一本もなくなったようだ。
 晩飯は久しぶりのすき焼きで、後に子供達は「船長の恋人」をしていた。リョウキチが引き分けを挟んで4連勝。阻んだのはナゴジローで、勝って非常に喜んでいた。その後5人でトランプをするが、一番負けたのは裕子おばさんだった。


1月2日(日)晴れたり曇ったり 西風
 凪ぐかと思ったが、一日中西風があった。寒いとなかなか凪がない。
 朝、五月丸に初乗り。ヤズ漕ぎでヨボシの沖をを2回回る。国東半島にうっすらと雪が積もっているようだった。
 昼前に行者様に5人で上がる。途中墓参りもする。下りてくる秀人君、博君に逢う。
 午後4時前に釣りに出る。小さい鯛を2匹。リョウキチは波止で大きめのアブラメを釣ってバケツに入れていたのがいなくなっていたので悔しがっていた。ネコが取ったのだと怒っていたが、多分跳ねて出たのだろう。
 晩飯はにぎり寿司風。みんな満腹。その上、千枝の送ってくれたケーキを食べる。
 「船長の恋人」は全員同レベルに並んだ様である。


1月3日(月)晴れのち曇り一時雨 南風強
 凪を期待していたが南風が強い。家にいるときは西風かと思ったら南風だった。冬にこのような南風が吹くのは珍しい。
 いいちゃんの所に挨拶に行ってきた。下関の伯母さんは村岡の爺さんから「キューピー」と呼ばれていたらしい。目が丸くて、額が広いのでそう呼ばれていたと言うことで、その爺さんから本名で呼ばれたことはなかったろうと、言っていた。
 ユウベエは昼便で出ていった。祝島にいると気がゆるんで、宿題が全然進まないとかいうことだ。
 なかごうの写真を撮る。


1月4日(火)曇り 西風強
 昼に仕事場で文彦君にペナン島の様子などを聞く。その後ソーヅイの山道を通れるように草刈りをする。帰りにイワグチのコッコーの木の枝をとって帰り、挿し木をする。
 晩飯は宗谷岬の「黒牛ハンバーグ」。ウジモトの長ちゃんが家に送ったのをおばさんが分けてくれたのだ。これが旨いハンバーグなのである。農薬、化学肥料無しで育てた黒牛である。長ちゃんは宗谷岬牧場の牧場長らしい。


1月5日(水)晴れ 朝西風 低気温
 ヒロコおばさん朝便で柳井行き。柳井で今日は忙しそうだ。
 おらは仕事場で文彦君の顔を見た後、オオトオの山道の草刈りをする。誰かが鎌や鋸で、人が通れる様に1か月くらい前だろう、やってくれていた。多分モリタさんだろう。バイクが通れるくらいになった。
 草刈りの後、マツチの浜まで下りる道を降ってみた。モリタさんのビワ畑まで30分近く掛かる。そこから6〜7分で海岸まで下りられる。その道がなかなかわかりにくかった。オオトオまでの登りは40分余り。これは素手で少し急ぎ気味での時間である。荷物を背負って上り下りをするのは重労働である。モリタさんは枇杷などの収穫は浜まで下ろして、船で運んでいる。浜までは非常な急坂で、ちょっとでも躓けば大変である。ツバキの群生や、角礫岩もあり、収穫である。この角礫岩は安山岩が噴出するとき火口際の岩石を吹き飛ばした際にできた角礫が堆積したもの。垂水辺りでしか見かけてなかった。ただ、ソウヅイの道にころがり落ちていたものが角礫岩ではないかと思っていた。これで間違いないと思われる。
 夕方、北風があったが、ヒデガサキに行ってヤズを漕ぐ。運よく一度に5匹来た。空気が冷たく澄み、国東半島や鶴見岳が見えた。
 ヒロコおばさん、夕便で帰る。法事の準備などで買い物その他が忙しかったようだ。
 リョウキチ、波止でホゴ1匹。
 ラ・フランス(洋なし)を賞味。旨い。
 晩に蓬莱館でワインをご馳走になる。


1月6日(木)雨 凪
 朝から雨。起きると目のまわりが腫れている。
 パソコンをいじくる。リョウキチは久しぶりに宿題(日記)をやっている。
 ヒロコおばさん、フジナガの葬式に行く。
 夕方、昨日の所に釣りに出るが、潮が悪かったのか全然気配がなかった。
 夜は法事の準備にヒロコおばさんとリョウキチが手工業的作業を進めていた。


1月7日(金)曇り 西風強
 冬の曇り空。ゴミの収集は強風で2回目の延期。
 仕事場で文彦君に挨拶をして、タカトオの石垣を組みに行く。途中で降りて飯を食べたり、用事をしたりして、晩便が出るまで作業をしてなんとか石垣が修復できる。祝島人男の三大教養作業「海でおかずを獲る作業(主に釣り)・家の一部修復作業・簡単な石垣の修復作業」をこれで体験できたことになる。修復した石垣がいつまで保つか楽しみである。
 明日は腕や腰のフカヤが出るだろう。
 晩にリョウキチと「船長の恋人」をして、3勝4敗くらいで負け越した。
 ヒロコおばさん、夜遅くまで仏壇の片づけなどをしていた様子。ナゴジローは宿題をやっていた。


1月8日(土)曇り時々小雨 西風強
 朝早く起きると、ナゴジローは徹夜をしたようだ。ヒロコおばさんはサラダなどを作っている。リョウキチも起きて、サンドイッチを作っている。
 親父の7回忌の法事でおばさんがたが4人オカダリもみの手伝いに来てくれる。オカダリというのは米の粉で団子を作って茹で上げたもので、法事の時、お寺でお経を上げて貰った後近所や親戚に配るのである。
 ヒロコおばさん奮闘の一日であった。
 おらは、午後3時頃、波止の中でナマコをふたつ獲って、その後「景清の墓」と言われている所への上がり口を通れるように木を切る。昨年の台風で通りにくくなっていたのである。
 肴はダイダイ酢と醤油でナマコ。今季初ナマコで、なかなか旨かった。
 そうそう、大きなトウヘイがアナゴ籠に入っていた。
 晩に秀人君が来て、話をしていく。 


1月9日(日)曇り一時雪がちらつく 西風強
 ソウヅイのビワの木周辺のカズラなどを切る。早々と沢山花や実が付いている。ひどい寒が来ると、実は育たないからその後の花が実になる。今の所、ビワの木は元気で豊作の雰囲気があるので楽しみである。柿の木もきれいにする。藪から脱皮した。
 かなり大きなヤブニッケイの木がビワの木に倒れかかっていた。栴檀の木の枝を一本切った。おらがビワ園に差し込む光の量が少し多くなった。
 ユズの木に一つ実が着いていた。一番下の枝で、今まで気が付かなかった。初収穫だ。
 15時頃ソーヅイから帰り際雪がちらつき始める。
 昼便でナゴジローは柳井行き(帰り)。
 このところ寒い西風が吹いて本格的に冬だ。


1月10日(月)晴れ 西風
 ヒロコおばさん朝便で柳井行き。朝便の出る頃はまだくらい。雲の間から星が見える。これから少しずつ日の出の時間が早くなっていく。
 結構西風が強く、一日中パソコンで仕事カタケーをして過ごす。
 夕便でヒロコおばさんが帰島。
 夕食用にナマコを波止に獲りに行く。冬はナマコが旨い。ナマコの酢に昨日のユズをしぼろうと思って切ると肉がボンタンみたいに厚い。ユズではないと判明。昨日はレモンの木を植えたはずなのにユズだったと思ったのである。何の木だろう。レモン、ユズ、ダイダイ、ミカン、夏ミカン、ハッサクではない。哲ぼんさん情報ではユズの可能性が高いようである。


1月11日(火)曇り時々小雨がぱらつく 西風 寒い日
 今季一番冷えた日だろう。中学校は始業式。
 ヒロコおばさんは、昼便で平生へ。晩便で帰る。なかなか忙しい。


1月12日(水)晴れのち曇り 西風
 西風が強く、ゴミ収集はきのうあったのだが、昨日、今日と運搬する船が動かせないようだ。
 夕方、ヒロコおばさんと、生ゴミをナガイソに埋めに行く。
 波止で小さなナマコを獲って食べる。 


1月13日(木)晴れ 西風やや凪ぐ
 柳井に自転車を乗せて出張。ナゴジロー宅に泊まる。ナゴジローはまずまず元気に頑張っているようだ。


1月14日(金)晴れたり曇ったり ほぼ凪
 朝4時に起床して、自転車を漕いで室津に向かう。4時半発で5時40分頃室津に着く。
 久しぶりに凪いだ。
 やっちゃんとリョウキチ、ヤズのさばき方の練習をする。
 波止に出ると籠にナマコが入っていたので、いただく。


1月15日(土) 晴れ 凪
 朝は凪いでいる。徐々に西風になる。
 隣の家の屋根の修繕が始まる。手伝いに行く。トオリヤで、瓦等をトラックから下ろす役目を果たす。日頃になまっていた上腕二頭筋あたりが少し強くなったかも知れない。
 昨日シロウちゃんがヤズを大漁したそうである。


1月16日(日)雨模様一時みぞれ 西風
 一日中時化模様。事務的な作業をする。
 晩に秀人君が大分の祭のビデオを持ってきてくれ、それを見る。テレビ大分で8日に放映されたものである。祝島の神舞も入っている。なかなかよい。


1月17日(月)晴れ 西風
 西風があって冷たいが、いい天気である。
 フジナガの通夜があって、ヒロコおばさんが行く。フジナガのおじさんとおばさんが今年になって相次いでなくなった。
 文彦君に大きなとろろ芋を貰った。ヒロコおばさんが「はなまる」で見たと言って、ツナや納豆や味噌や卵やらを混ぜてとろろ丼のようなものを作ってくれた。なかなか旨かった。


1月18日(火)晴れ 凪
 今年一番の凪。夕方暗くなるまで数十分あるのでヤズを狙ったが、釣れず。
 リョウキチは、波止で3匹ホゴらしいのが来たが、かからないので、よく見ると、疑似餌だけで釣り針が抜けていたようだ。今日は2人とも不漁だった。
 とろろ芋を今日もいただく。


1月19日(水)晴れ 凪のち西風強
 昼便でヒロコおばさん柳井行き。
 夕方、西風が強く、帰宅して見ると、リョウキチが二階で受験生の姿をしている。
 五月丸に出てみる。ナマコが籠に入っている。風呂を焚きつけて、畑にヒロコおばさんが植えた大根を採りに行き、おろして、ナマコと一緒にする。とろろ芋もおろす。広島菜も切る。昨日の肉じゃがもある。朝の雑煮の汁もある。男2人、さしで晩飯。熱燗が似合う夜が更けていった。


1月20日(木)曇り時々雪 西風強
 山田農園に伊予かんをもぎに行く。今年は台風で木が傷んで実がぼろけてしまった。コンテナに4つほど貰って帰る。この頃まで実を付けていると、もぎたてでも甘い。普通農家は12月にはもいでいるようだ。ヒヨも大分つついていた。
 途中雪が降り、濡れた軍手が冷たかった。リョウキチとヤッチャンはテーラーで帰った。


1月21日(金)晴れ 西風
 上関中学校の体育館で口演を聞く。チベット出身のバイマーヤンジンさんのVTRをまじえてのチベットを中心にした話で、バイマーヤンジンさんは小学校を私費で建設していると言うことだ。すでに8校を開設したという。
 晩便でヒロコおばさんと同じ船になる。ショウケン叔父さんが、ヒロコおばさんを認識したようだ。
 波止でナマコを獲って食べる。アナゴ籠にトウヘイが1匹入っていた。


1月22日(土)晴れのち曇り 北風
 朝、コージロに出てみるが釣れず。
 友人の1周忌でモト君が帰ってくる。秀人君も一緒にお経を聞く。その後、ご馳走になる。
 秀人君がターザンという雑誌を持ってきて見せてくれる。瀬戸内海カヤック横断隊の特集記事が載っている。内田さんの連載記事にもコッコー、徐福の話が書かれている。
 夕方、ハナグリに出る。運よく鯛が釣れた。一つシラミだけがかかって上がった。シラミは身を挺して鯛を逃がしたのである。これは共生の見本かも。
 晩にモト君が来て、話して帰る。


1月23日(日)雨のち曇り 西風
 凪なら、朝釣りに出るつもりだったが、雨が降り、風もあるようで出ない。満ち潮が8時前までありそうだったのである。
 ヒロコおばさんは朝早く、婦人会の弁当作りに出る。
 権ちゃんに松田正平さんのことを少し聞きに行く。
 夕方、ハナグリに釣りに出る。タイ1匹とアジ数匹。
 帰って漁協合併の説明会に行く。


1月24日(月)晴れのち曇り 凪
 ヒロコおばさん柳井行き。
 ヤッチャン、水疱瘡。
 昨日からヒジキの口開けで、あちこちでヒジキ干しの作業が始まっている。この頃は夜の方が良くひるので、夜中に採りに行っているのだろう。
 晩便でヒロコおばさん帰る。すれ違いにおらは釣りに出る。鯛は釣れず、アジが10匹足らず。


1月25日(火)曇りのち雨 少し東風
 一日暗い日だったが、風は余りなかった。ヒジキを干しているところは乾きにくそうな空模様だったが、ついに昼前には雨がぼろけ出した。
 夕方、ナマコを獲りに出たが、暗くなっていて見つけられなかった。アジの刺身で一杯。
 晩飯を食べながら、リョウキチと仏教について話をする。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。


1月26日(水)曇り 凪
 夕方、スタンチューブから水が入るのでパッキンを詰めるが、入りきらないで締められず、たつった末に元通りにして締める。
 その後、、漁協の合併についての総会決議があって、行ってみる。
 任意脱退となることに多数決で決定。
 考えてみると海の汚染防止に祝島漁協ほど貢献している組合はないだろう。20年間原発建設反対に取り組んでいるのである。この20年間に100隻の船が100日くらい休んで、抗議行動に出ていると推測してみると、これは小さな漁協にとって大きな被害である。何が漁師にとって大切なのか。綺麗で豊かな海であろう。綺麗な海を保持しようと努力している祝島漁協は報償の対象でこそある。と海好きなおらは考える。10数年前に目の前に原発が建っているとしたらどうだろう。今のように夕方に、ハナグリにアジを釣りに行って、好きなときに刺身にして旨い旨いと酒が飲めるだろうか。おらは個人的に「貴方はこの閉鎖的水域である瀬戸内海を、放射能汚染並びにその精神的苦痛から長年守ってくれています。よってその努力を讃え、ここに賞します。」と表彰したい。祝島漁協に出来るだけ釣った魚を活かしたい。
 波止のナマコ、大根にとろろ芋を混ぜて食べるとなかなか旨い。めぐみさんに聞いてやってみた。


1月27日(木)晴れ 凪
 夕方、凪でハナグリに行ってみる。アジが釣れる。鯛は来ない。スナメリの背中が数回見えたが写真には撮れなかった。スナメリがいるときは釣れないようなものだが、釣れた。
 アジの刺身にとろろを入れて食べると、これもそれなりに旨い。
 今度の日曜あたりから寒気が入るようで、西風が強まりそうである。


1月28日(金)晴れ 凪
 ヒロコおばさん柳井行き。このところ凪の日が続く。ヒロコおばさんは荒れる前にいそいそと出ていった。
 夕方、ハナグリに出てアジを釣る。出る前にナマコも獲っておいて、肴はアジとナマコだ。
 家に誰かヒジキを置いてくれていた。
 リョウキチは金曜日は夜更かしだ。おらは10時前には寝る。


1月29日(土)曇り 凪のち西風
 朝、コージロ、ウヤシマに行く。チダイ等少々。
 昼便でヒロコおばさん帰島。
 午後、山田の山に行って伊予かんをコンテナに一杯貰う。
 山から帰って、ナガイソで、倉庫の板を少し打つ。
 夕方船に出てみると、イケマのスイタを閉め忘れていて、鯛とチダイと大きなアジなどがいなくなっていた。アオサギが獲ったのだろう。鯛などは丸飲みは出来そうにないと思うのだが、裂いて食べるのだろうか?


1月30日(日)晴れ 西風
 西風がじわじわ強くなってきた。まだ最強ではない。
 ナガイソで終日倉庫の板壁打ち。がらくたの入っている段ボール箱の雨はしのげるようになった。作業の合間に久しぶりに散髪に行った。
 ヒロコおばさんは岩本に上がってあれこれして、ほうれん草を採って帰る。旬でおひたしが旨い。


1月31日(月)晴れ 西風
 西風が強まり、寒気もじわじわ近づいてきた。
 ナマコを獲って食べる。
 山口の山本師より電話あり。
 1月が行った。


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