祝島日記 2004年12月  4月の日記帳へ 5月の日記帳へ 6月の日記帳へ 7月の日記帳へ 8月の日記帳へ 9月の日記帳へ 10月の日記帳へ 11月の日記帳へ

12月1日(水)晴れ 凪
 裕子おばさん、松本の屋根解きの手伝いに行く。大勢での作業だったらしい。たつろうさんも帰っていたようだ。
 リョウキチとヤッチャンがモイカ干しの実習。
 夕方、凪なのでモイカを掛けに出る。3つ掛かる。小さめのタコが一つ。波止に帰ってアナゴカゴを上げてみるとなんと中くらいのトウヘイが2つ入っていた。大漁だ。


12月2日(木)晴れ 朝西風〜北風
 裕子おばさんはフカヤが出たらしい。
 夕方、歩いているか走っているか判断が難しいが、本人は走っているつもりの動きで、なんとかナガイソにたどり着く。この前の風で倉庫が倒れず、立っていた。めでたしめでたし。


12月3日(金)晴れ 凪
 いい天気だ。
 朝、波止に出て籠を覗くとトウヘイが入っている。一匹上げて晩の肴はトウヘイだ。
 今年の海はぬくいようで、波止の中にまだチンが沢山残っている。
 ノブちゃんの建網にコトウが掛かっている。
 凪で、夕方モイカ掛けに出るが、2つ。
 アナゴ籠にアジを入れておく。


12月4日(土)朝曇り10時頃から雨が降り始める
 朝、波止に出てみるとトウヘイがまた1匹入っている。
 裕子おばさんの指令で、藪の水仙を切り採る。今年は水仙が早くから割いている。温かい秋だったからだろう。芽も早く出た。
 アナゴのツケヤキやら、裕子おばさんの作ったイカのショウユメシ(炊き込みご飯)の差し入れを持って昼便で出る。ナゴジローのところへ寄って差し入れを渡し、秀人君の車で湯来町に向かう。あいにくの雨だったが、廿日市で哲ぼんさん&みっちさんと待ち合わせ、団栗亭まで導いてもらう。団栗亭の皆さんと挨拶をし、その後、哲ぼんさんのなじみらしいお好み焼きやさんで再会を乾杯し、神楽を見に行く。麦酒を飲みながら舞を見る。哲ぼんさん達はシャーとか、イヨーとか、クニヒロヤーとか大声を上げていたが、秀人君とおらは静かに見ていた。秀人君はとか一番目から感動したとか時々、スゴイねえとか漏らしていた。おらも誘ってよかったなあと心の中でつぶやいた。
 カメラと中距離用の眼鏡をカバンの中に忘れたのは惜しかった。神楽の終了した後になって、まさるさんの娘のあやちゃんに携帯で何枚か撮ってもらった。
 雨の中、200人以上の観客が入っていた。終了は午前1時頃だったろうか。
 終了した後、団員の皆さんが手際よく片付けていた。20人くらいで運営しているのだろうか。
 団栗亭に帰って話をしたりして、おらだけ早く寝た。2時半頃だったろうか。皆さんは3時半頃だったらしい。


12月5日(日)晴れ 西風強
 8時半頃大森神社の辺りを散歩する。にわか雨がポツポツ降るので団栗亭の前で雨宿りをしていると、マスターと奥さんはレストランを開ける準備をしていた。マスターは3時頃帰宅したということで、余り寝ていないはずだが、すっきりしていた。おらは瞼がはれぼったいような気がする。
 10時頃から団栗亭で朝食をご馳走になる。全く申し訳ないようなもてなしをうける。話をしている内に昼になり、昼食もオムライスをご馳走になる。大森神楽団の師匠という存在のマスターのお父さんも居られて、神楽についてみっちさんと話しているのを脇で聴くことができた。道場にも寄って、秀人君が衣装を着た(かついだ)のを写す。
 団栗亭の可愛い娘さん3人と奥さんに見送られて、帰り道を車で行く。哲ぼんさん達が廿日市まで送ってくれる。そこのサービスエリアで紅葉まんじゅうを買う。哲ぼんさんにまたみやげを沢山もらって分かれる。また何から何までお世話になった湯来旅行だった。
 文彦君からメールが入っていた。来たかったのだが田布施で重要な集まりがあって来れなかったのだ。この日は広島に勉強に来ているらしい。
 柳井で少し買いだし。上関で進宝と浜本の新太郎さんに会う。藤生の病院に見舞いに行っての帰りということだ。ハナグリから西風波がかなり強かった。
 島に帰るとすぐ哲ぼんさんから電話。無事に着いたと伝える。17時の便で帰る隣のさと君たちに、ナゴジローへと、哲ぼんさんからいただいた苺などをことづける。


12月6日(月)晴れ 凪午後ベタ凪
 リョウキチは期末テスト。
 風でちぎれたシート修理。
 裕子おばさんは4〜5日前のフカヤが出たようでサロンパスを貼ってやった。
 マスターが自由人の掲示板に書き込みをしている。その中に神楽の写真が見られるように案内があった。
 http://members8.tsukaeru.net/kagurafan/
 きのう勝田さんからリンゴが届いていた。20年前の同僚。


12月7日(火)晴れのち曇りのち小雨
 給食室のシートが破れていたのをついだりしてなんとか修理完了。当分保つ見込み。
 夕食後、ミカンの汁で風船を破裂させる遊びを裕子おばさんとリョウキチが熱心にやっている。祝島はミカンの季節だ。おらが家はモイチーさあのミカンで初冬の気分が増している。モイチーさあは80過ぎで、うまいミカンを作っている。今日の県庁への原発詳細調査の抗議活動のニュースで大きく映っていた。モイチーさあは耕運機に乗って、大きな声で演歌を歌いながらおらが仕事場の上の道を通っていくのを見かけるのだが、その場面に出会うと思わず楽しくなるのだ。ヤッチャンもよく見ている。その話をすると、楽しそうに応じる。
 夕方、運動場で15分くらいジョギング。


12月8日(水)晴れ 凪

 伝馬船の修理が進む。
 午後、歯科診療所に行く。前歯(差し歯)がぐらぐらするし、黄色くくすんできていたし、取り替えることにした。1時間近く歯医者さんと、若い看護士さんたちを独占して、刺激もあって身体に力も入り、充実した一時間を過ごした。
 裕子おばさん用務で柳井泊。
 イカ2つ。リョウキチはネバルとアジを釣ったらしい。
 アナゴのツケヤキ、湯かけをする。
 難波のおバンが味噌汁や佃煮等を持ってきてくれる。今日も充実した一日が終わった。
 今日はみっちさんの誕生日らしい。きっと40才くらいだろう!!。


12月9日(木)晴れ 北東風夕方やや凪
 夕方帰るとリョウキチは書き置きをして釣りに行っている。ホゴが1匹だったよう。
 夕食はアナゴの残りを唐揚げにする。ほかにもいろいろから揚げにして食べると、胃の中が粘っこくなったような気がするのでキャベツをちぎって食べる。
 脂っこい一日が終わった。
 柳井に裕子おばさんの姉さんが来ている。たっぷり話をしたことだろう。
 


12月10日(金)曇りのち晴れ 凪
 山田農園(オオクボ)に文彦君と子供達でミカン収穫体験作業に行く。もぎたてから甘いミカンだ。コンテナ4つも貰って帰る。
 少しランニング。
 夕方、リョウキチはネバル1匹。
 裕子おばさん帰島。
 家の中を片付ける。少し広くなる。


12月11日(土)晴れ 北風弱
 ウヤシマ、コージロに行ってみる。ヤズ1匹。
 昼便で裕子おばさん柳井行き。
 午後、また釣りに出る。今度は小さい鯛や中くらいの鯛が釣れた。大きいのは切れて逃げていた。大きいハマチが一度に3匹来て、全部切れた。
 鯛が久しぶりで、「鯛君は赤いねえ」とか独り言を言いながら取り上げた。
 ユウベエも柳井に出てきたようだ。
 難波のおバンが、焼き鮭を持ってきている。リョウキチも、おらも釣りに出て、家が暗いので、みんなよそに言ったのではないかと思ったらしい。ちょうど帰り掛けたところに、おらが帰った。


12月12日(日)曇り 東風
 朝起きてみると難波のおバンが味噌汁や煮しめを持ってきてくれている。
 朝、ハナグリに釣りに出る。いい形のアジが釣れる。カミカドに行ってみるが東風が強い。10時頃帰る。
 昼からも出てみる。釣れなかった。
 裕子おばさん帰島。
 マーティンさんが一昨日祝島に来て、晩に日本語で話しに来る。


12月13日(月)晴れ 凪
 夕方、ナガイソまでランニング。少々膝が治ってきた。リョウキチはネバル狙い。いい形のキンネバルを2匹釣ってきた。
 難波のおバンが大根を持ってきてくれている。





12月14日(火)晴れ 凪
 夕食を民宿くにひろでご馳走になる。カメラマンの藤本さんの話などを聞く。
 國弘のおばさんの味付けは旨い。
 リョウキチはホゴを1匹釣ったとのこと。


12月15日(水)晴れ 凪
 伝馬船がほぼ修理が出来た。後は隙間を埋めたりすると、浮かぶはずである。
 夕方、波止に釣りに出た。ネバルは釣れずにアジが良く釣れる。サバも1匹釣れた。リョウキチはホゴ1匹。
 晩はPTAスポーツ。つまみはフライドチキンを敏坊さんが買ってきて、おらは茹で落花生とモイカを持っていく。大阪みやげの菓子も持っていく。リョウキチ、ヤッチャンも残って話しに付き合う。
 浜家と、チエからミカンが届いたとの電話がある。
 ナゴジローは北海道に修学旅行に行ったようだ。


12月16日(木)晴れ(霞が掛かっている) 凪後西風
 昼休みにリョウキチの収穫を漁協に活かしに行く。ネバル、ホゴが合計1.4kg。伝票を貰って満足そうであった。
 夕方ナガイソまでゆっくりランニング。リョウキチは珍しく、家の片づけをしていた。
 島物語Uに載っていた「かえし」を作ったので、リョウキチは早速ホゴの煮付けに使っておかずを作る。旨いと言いながら食べていた。
 晩にマーティンさんが話をしに来る。酒造りの話し。
 裕子おばさんが出ていってから風呂の湯を3日ほど替えないで再利用した。親父が酒造りに行く冬は、風呂は一日おきに焚いていた。焚かない日は貰い湯に行っていた。そんな面でも人とのつながりは濃くなっていた。この前、田尾の長ちゃんが帰って話をしたときのこと。おらが小松島に住んでいたとき加古川から長ちゃんが遊びに来た。おらはその頃部屋に鍵を掛けてなかったとかいう話しも出た。これは祝島に育った影響もあるだろう。おらは結婚するまで鍵を掛けたことがなかったのである。
 


12月17日(金)晴れ 少し東風
 伝馬船をひっくり返して、底の部分に船底塗料を塗った。
 夕方、アジを狙ってハナグリに出るが、もう潮が行かなくて気配なし。
 リョウキチは洗濯物を干していた。


12月18日(土)曇り 東風後凪
 朝、釣りに出るが、カミカドで小鯛1匹。
 昼便で裕子おばさん帰島。
 午後、カミカドに出る。小鯛や中鯛が運よく釣れた。凪なのでモイカを掛けようとコージロに行く途中、ヤズ漕ぎをするとこれまた運よく1匹釣れる。モイカは2つ。


12月19日(日)曇り 東風
 哲ぼんさんみっちさん、今年7回目の祝島来島。これは珍しい来島記録だろう。昨年12月に初来島。今日はその1周年記念と言うことである。今年は、3月に団栗亭のご令嬢2人を引き連れ、寒いテント泊。6月にはビワもぎ予定で来島、雨模様で、ホゴ釣り。8月に神舞に来島。9月にはおらが家の屋根修理に2回も来島。10月に中学校の万葉祭に来島。12月に1周年記念(平さんの石垣参り)。
 おらが家では「哲ぼん&みっち来島忘年会」と言うことで、麦酒を飲んだ。


12月20日(月)曇り時々雨後晴れ 凪後西風
 昼便で裕子おばさん柳井行き。
 白ペンキを伝馬船に塗る。その後、櫓グイを打ちこむ。後は横の方に船底塗料を塗れば、ほぼ修理完了。
 夕方、哲ぼんさんの持ってきてくれた広島菜を二つほど海で洗う。後3つある。広島菜は白菜の3〜4倍ある菜っぱである。こんなに大きいとは知らなかった。
 夕食は哲ぼんさんが持ってきたエリンギ、シイタケ等を炒めて食べた。


12月21日(火)晴れ 弱い東風のち凪
 昼飯はリョウキチ作、他人丼。かえし活躍。
 伝馬船修理完成。
 カヤックを浜に下ろす。
 夕方、広島菜を洗う。その後ヤズをさばいて、晩飯のおかずにする。男の晩餐をリョウキチとしみじみ味わうつもりだったのだが、リョウキチはさんま御殿を見ながらクスクスとか、うはっとか笑うので少しもしみじみしなかった。ヤズはなかなか旨かった。


12月22日(水)晴れ 東風
 昼飯はリョウキチ作即席ラーメン。
 夕食は和風鍋。エリンギ、シイタケ活躍。
 漬物用蓋制作。漬け物石を浜から借用。
 民宿くにひろの外壁板の修理が開始されたようである。
 風呂水、三日連続再利用。3日目はリョウキチが温泉のもとを入れて、超軟水温泉風であった。涙の連絡船を唄う。この唄は、おらが高校の時の下宿のユキちゃんが好きだった都はるみ歌なのである。


12月23日(木)曇り 東風 空気が澄んで四国まで見える
 朝市を手伝い。文彦君、リョウキチ、ヤッチャンも手伝い。モロバ(ウラジロ)を買う。
 早く売り始めて10時の開店時間にはほとんど商品がなくなってしまうという状態になってしまった。
 100数十人の人出。
 午後、お歳暮を釣り出るつもりだったが、バッテリーがあがって船のエンジンがかからず、予定を変更してナガイソの倉庫の上をトタンで覆う。
 晩便で裕子おばさん帰島。
 リョウキチはネバル釣りに出る。3匹釣って1匹はネコにとられたと帰って悔しがる。エサは哲ぼんさんの置きみやげのゴカイ。


12月24日(金)曇り 東風
 リョウキチは午後、早速釣りに行く。ナカバエに行く。ヒョコタンしか釣れなかったようだ。
 リョウキチが帰ってきたところで、伝馬船を仕事場から東の浜に運ぶ作業をする。文彦君と裕子おばさん、リョウキチと四人でトラックに乗せて浜に下りる。海に浮かべてみるとあちこちから漏るが思ったより少ないので、伝馬船として使えそうだ。ひとまず進水式(浸水式)完了。伝馬船でのネバル釣りも復活しそうである。
 タカトウの崩れたところの石垣修復も始める。年の暮れは結構やることがありそうだ。
 暗くなり前に波止につないである五月丸でアジを釣る。おかずほどは釣れる。リョウキチは東の波止でホゴ1ネバル2。エサはゴカイ。
 ケーキを食べる。ナゴジローも柳井で友達とクリスマス会をした模様。


12月25日(土)雨 東風
 朝から雨模様。降ったり止んだり。リョウキチは合間を縫って波止の釣り。おらも午後行ってみる。ネバルとホゴが釣れた。
 秀人君にウイルス駆除をして貰う。まき散らすタイプではなかったようで安心する。こんな時に身近にパソコンに詳しい秀人君がいると助かる。さらに夜に検査して5つのファイルが見つかりこれも駆除してくれる。
 夕方リョウキチ波止で釣る。おらも行ってみる。リョウキチはホゴ1アブラメ3、おらはホゴ1。リョウキチはアブラメを手製のかえしで煮付ける。おらの肴になる。


1月26日(日)晴れたり曇ったり 西風
 冬らしい天気。西風の白波が立っている。
 昼過ぎまでタカトオに行って石垣修理の作業をやったり、裕子おばさんの指令であるヨモギの葉をとる作業をする。修理と言っても、何回かは、まず崩れたところの石を取り除く作業だけ。今年の活動目標にしていたのを思いだし、遅ればせながら目標遂行行為を試みる。
 秀人君は昼便で出ていくそうだ。年の暮れは忙しい様である。
 午後、高校駅伝などを見た後、タカトオに行き、作業を少し進める。ヒッカチ(キビタキ)が来て首をかしげては飛び回る。土を掘り返すと、餌を探しに来るようだ。
 いわいが帰ってきて、しばらくして終了。ウゴ釣りに行く。アブラメ1、ホゴ4。リョウキチは「新撰組が行く」を見ていて出ないと言う。おらが「何匹釣ったら(釣りに出なかったことを)後悔するか」と言うと4匹と言った。4匹釣って帰ったが、余り後悔しているようではなかった。
 夜、裕子おばさんはヨモギの葉っぱのシゴをしていた。葉に何かの種らしいのが刺さっていて、葉はそのままその種を取り込んでいるようにくっついているのがある。初めて見た。


12月27日(月)曇り 西風
 冬らしい日が続く。
 仕事場の倉庫の戸の修繕をする。これで仕事場関連のおらの修繕箇所の修繕は終了。
 裕子おばさんは昼便で出ていく。
 船のバッテリーを一つ新しいのに替えるとエンジンが掛かった。もう一つは水曜日に着く予定である。ひとまず、釣りに出られる状態ではある。
 夕方30分ゆっくりランニング。
 夕食は大変塩っぱいヤズを焼いたもの。この前からおらの作った広島菜が食べられつつある。基本的にはおらしか手を出さないが、勧めると少しずつついばむ場面もある。
 今日の湯は指宿温泉。
 文彦君は、昨日予定通りアジアに進出した模様。。津波のあった辺りを歩いているはずである。飛行機の中で、津波の事を知ったのではないかと思われる。


12月28日(火)晴れ 凪
 久しぶりの凪である。今年最後の仕事日。
 夕方、おそらく最後のイカ掛け。コウイカが1匹。モイカはどこかに行った模様である。


12月29日(水)北のち西風 雨
 今年最後になりそうな五月丸での釣りに出たが釣れないで帰る。リョウキチのホゴなどを活かしに行く。合計2.3kg。
 昼に秀人君が来て、買ってきたウイルススキャンをインストールしてくれる。これでパソコンのウイルスはもう大丈夫だ。風邪に気を付けよう。
 忘れかけていた歯医者さんに行く。歯も完全に治療終了。葉子さんも帰っていて、診療所にミサキちゃんを連れて来たところで会う。千枝と時々逢うと言うことだ。千枝は元気ではいるようだ。 
 リョウキチと30分くらいキャッチボール。ユウベエ帰島。リョウキチ荷物係で迎えに出る。
 裕子おばさんは明日の餅つき準備で少し忙しそうだった。あんこも作っているが、今年はさらし餡でもみじ饅頭のような餡になっていた。
 晩に秀人君が写真を持ってきて、品評会をする。


12月30日(木)曇り 西風のち弱る
 餅つき器で餅つき。4人でやるが、主役は裕子おばさん。ヨモギ餅もできる。
 昼便で哲ぼん&みっちさんから果物が沢山届く。団栗亭のマスターのダビングしてくれた神楽(太刀納め)のビデオも入っていた。
 夕方に少し凪いだので、ヤズを漕いでみるが釣れないので、鯛を狙うと中くらいのが1匹。あとアジが少々釣れる。
 文彦君から日本に帰国したとの電話が来る。
 エミちゃんから本とカレンダーが届く。本はユウベエが必要と言うことで取り寄せて貰った岩波新書。思っていたよりはるかに早く手に入りユウベエは喜んでいた。カレンダーは月の(旧暦の)カレンダーで1部秀人君の所に持っていく。
 夕便でナゴジローが帰島。5人揃う。苺を食べる。


12月31日(金)雨 西風
 朝から雨。10時頃には上がる。昼前に松飾りを入り口や井戸、五月丸に取り付ける。年越しそばを昼に食べる。
 午後、鏡餅を3カ所置く。リョウキチは釣りに行き、ホゴの結構大きいのを釣って帰りその後散髪に行きさっぱりして帰ってくる。
 ユウベエは栗きんとん作りを体験。ナゴジローは年賀状を書き終わったようだ。裕子おばさんは煮しめ作り。
 夕食にはアジの南蛮漬けを裕子おばさん、ユウベエ、ナゴジローが作る。おらは、まさこおばさんに貰ったヤズを刺身にする。今年最後の晩餐はなかなかにぎやかな夕食になった。裕子おばさんは料理を3人で出来て幸せそうだった。デザートにあたご柿と苺と干し柿のバターサンドを、おらが盛りつけた。拍手はなかったが、かすかな驚きの気配を感じた。
 テレビを見て、隣の除夜の鐘が聞こえ始めた頃、清水家が寄って子供達は一緒に鐘を突きに行った。


2005年の1月の日記帳に行く。