祝島日記 2004年10月  4月の日記帳へ 5月の日記帳へ 6月の日記帳へ 7月の日記帳へ 8月の日記帳へ 9月の日記帳へ

10月1日(金)晴れ 凪
 田尾のおばさんが昨日亡くなって、今日通夜。おばさんには高校時代にお世話になったのである。四反田のおばさんとともに、おらが高校時代にお世話になったおばさんである。田尾は、おらが家から浜側に四軒めの家で、先々週に息子の長ちゃんが帰っていたのである。おばさんは長ちゃんの自宅で亡くなったということで、大往生と言っていいのではないかとおらは思う。長ちゃんの姉さんはカズチャンで、妹はユキちゃんである。みな近所の幼なじみで、通夜に温かみを感じた。
 長ちゃんは兵庫の山道を歩いているようだ。野草も色々詳しいようである。長ちゃんは高校時代に山岳部だったのである。思い出した。高校時代におらが下宿にも遊びに来ていたのだ。それよりも、おらの方が、柳井の長ちゃんの下宿(長ちゃんのお母さんが下宿をやっていた。)に行った回数は数え切れないくらい多い。思い出し始めると涌いてくる。そこの下宿していた藤井の慎坊君は数年前に亡くなってしまった。


10月2日(土)雨のち曇り 西風弱
 朝、久しぶりにコージロ、ウヤシマに釣りに行く。コージロでシイラ1匹とヤズ2匹、ウヤシマでチダイ5匹とハゲ1匹。少し濡れる。濡れると寒くなってきた。秋だ。
 午後、田尾のおばさんの葬儀。
 裕子おばさんは、こまごまの家の片付けに励む。
 夕方、ヨボシでヤズ2匹。
 リョウキチ、波止の中で、モイカを2匹掛ける。


10月3日(日)晴れ 西風
 西風が吹き始めた。
 釣りに出ず、山に行った。タカトオに行って見ると、芋蔓は元気だった。始めに植えた赤い芋は大分大きくなっていた。後から植えた「アメリカ」はまだ細い。ほじくってみて、また土をかぶせて置いた。
 午後はソウヅイに行ってみる。ビワの花が沢山付いていた。ひどい寒がこなければ、ビワは豊作だろう。ただハエは台風の風か相当こたえていた。
 ふゆう柿はほとんどなっていないが、西条柿はなっていた。50くらいもいで帰る。干し柿にするつもりである。
 ザクロが初めて実を付け、少し鳥についばまれていた。
 裕子おばさん片付けに連日励む。
 晩方、柿をむいでぶら下げる。
 桜、サザンキョウ、桃、梨、ヤマブキ等にぱらぱら花が着いている。


10月4日(月)晴れ 西風
 学校の波板の打ち付け完了。
 明日雨のおそれがあり、干し柿の素を収納。
 18時を過ぎると夕暮れ時になった。
 リョウキチ初めてザクロを食べる。



10月5日(火)曇り 西風
 伝馬船の修繕を考えるが、ちょっと無理かも知れない。なんとか乗れるようにしたい。
 裕子おばさん、法事の準備などの手伝いに行く。おらが叔父さんの33回忌がある。北陸の方の工事現場の事故で亡くなったのである。昼に色々もらって帰ってくる。
 風呂の中に西条柿をビニールに包んで入れておく。あおしがきを試しに作ってみる。


10月6日(水)晴れ 凪
 秋晴れの気持ちのいい天気である。
 あおしがきが少し渋いが、なんとか食べられるくらいになっていた。昔、祖母が作っていたのだ。
 柿を合計60個むいで干す。3〜4日前にむいだのはやわらかくなっている。このところ雨が降らないので、いい調子である。
 夕方、凪なのでモイカを掛けようと、敏坊さんとコージロに行く。意外と風があって敏坊さんが1つ掛けたところで帰る。
 リョウキチは波止で小さいアジを7匹釣ったようである。
 洗濯物の横で、物干し台を借用して日射しをうける干し柿を見て一首。
 「秋風を うけてやおうに なっていく 干し柿のそば 衣のなびく」 


10月7日(木)晴れ 朝少し北波徐々に凪ぐ
 朝目覚めると窓が赤い。朝焼けを写しに海に行くと、行く間に赤色が消えた。日の出を写して帰る。
 「いわいし雲 焼けて赤くに 染まりけり 海の朝 日が 静かに昇る」
 台風で枯れたと思っていたアボカドの木が復活して伸びてきた。まだ種の養分がたっぷり残っていそうなので冬までには大分大きくなりそうである。
 夕方、五月丸を進宝波止に回す。台風は東側のコースを通りそうではある。リョウキチが五月丸をつないだ波止の近くで、1kgを越えるチンを釣る。アジも釣れる。竿なし、おもり無しで釣っていた。


10月8日(金)雨 北風 前回雨量を測ってから今日17時までの降水量は145mm
 台風は北台風だろう。今日は一日中雨だった。
 おらが同級生の卒業文集が見つかった。松井ののぶ君のが一番短くて3行だった。おらは5行だった。


10月9日(土)曇り 北風弱のち西風 
 台風の風はほとんど吹かず、朝、五月丸を定位置に戻す。
 昼前に釣りに出る。ヨボシでヤズを7匹とアカハナ(カンパチ)を1匹、チダイを5〜6匹。西風が少しあった。
 ハゲの刺身にアサツキを巻いて食べる。味噌汁も。久しぶりのハゲは旨い。
 リョウキチは明るい内にモイカを2つ。


10月10日(日)小雨のち曇り 凪
 菊川画廊で「松田正平の素描」展があるので、宇部まで行く。昨日釣ったヤズやチダイを持っていくと喜んでくれた。
 菊川さんは会うたびに「祝島はいいところですねえ」と言ってくれる。
 「兄部三郎像」、「ホゴ」、「オコゼ」、「周防灘(ハナグリ)」等が展示されていた。
 柳井に帰って、ナゴジローと買い物をする。おらはその後、ナフコで伝馬船修理道具などを買う。久しぶりに島を出たので本も文庫本など8冊買って帰る。(家に帰るとすでに買っていたのも2冊あった。)
 ナゴジローのところに泊まる。
 リョウキチはモイカを1つ。


10月11日(月)晴れ 西風
 昼便で祝島に帰る。
 昼過ぎに、リョウキチのチンを漁協にいかす。1.3kgあった。その後リョウキチを下ろして、釣りに出る。西風があるのでヨボシで釣る。チダイがよく釣れた。鯛も2匹、アカハナも1匹。ヤズは釣れなかった。夕方少し凪いできたので、コージロまで行くが、目当てのヤズは涌いていなくて、モイカを狙う。4つ掛かる。暗くなる前に止めて帰る。帰ったときはほとんど暗くなっていた。


10月12日(火)晴れ 凪 8日途中からの雨14mm
 浜にモイカを干している。
 夕方、五月丸のレール(ふちの部分)が割れているのを接着剤で着ける。リョウキチは船の上から釣ってみるが、アジが釣れる。波止の中に2年子が沢山入っているようだ。 
 18時半から話し合いがあるのでその前にちょっとと、波止からモイカを狙ってみると2つ掛かる。


10月13日(水)晴れのち曇り 凪
 伝馬船修理に取りかかる。ミョウシの片側をくっつける。
 夕方、敏坊さんとモイカを掛けに出る。二人が2つずつ。また西風が出て帰る。リョウキチはチン狙いでスラ。
 山口から秋の味覚が届く。大先輩の幹雄先生からである。


10月14日(木)晴れ 凪のち西風
 昼前から徐々に西風が強まり、寒くなる。
 午後出張で上関に行く。
 このところ連日、石を積んでやって来て、海に沈めている。中の港作りで、沖側に一本長い波止が延びる予定である。


10月15日(金)晴れ 弱い北風のち凪
 伝馬船の修繕がちょびっと進む。
 リョウキチは中間テストが終わってモイカ掛けとスズキ狙いに出るがスラ。おらは五月丸でモイカ掛け4つ掛ける。
 空気が良く澄んでいて国東半島・姫島や由布岳当たりが見えた。
 明日はいよいよ湯来町に行く日である。


10月16日(土)晴れ 北風
 朝便で柳井に行き、ナフコなど修繕用のこまごまを買い入れ、午後リョウキチの高校説明会に少し付き添って、文彦君の車で、いよいよ湯来町に向かう。ヤッチャンも一緒で四人連れである。途中廿日市で哲ぼんさんとみっちさんが待ってくれて、道案内をしてくれる。湯来町に着いたらまず、団栗亭で「のりぴーさん」に挨拶をして、湯来ロッジに行く。ゆっくり夕食をいただく。山ふぐが出た。うまかった。
 8時前に大森神社に到着。ちょうど神楽が始まるところだった。最初は「四方祓」で、これは神楽殿の四方を清め、四方の神々のご降臨を願う神楽舞で、神楽団員、一般観覧者も祓い清める儀式舞と言うことである。(詳しくは大森神楽団のホームページの保持演目で)
 その後、6演目が次々と舞われる。祝島の神舞の神楽に比べ、きらびやかな神楽である。大森神楽団は広島でも有数の神楽団と言うことで、たまげるほどの素晴らしい神楽である。あちらこちらに遠征に行っていると言うことだが、この日は地元での神楽と言うことで、なごやかさもあり、団員も気分が乗っていたように感じられた。20時前から午前1時過ぎまで舞った。楽は大太鼓、小太鼓、手打鉦、笛である。息もぴったりである。中学生の演目もあった。真剣な眼差しが印象的である。
 席は、朝の内にみっちさんが取りに来てくれたと言うことで、舞台から2〜3mのところで観覧した。みっちさんのホームページによく登場するまっさるさんにも会えた。温かく迎えてくれて、その上いろいろ差し入れをいただいた。


10月17日(日)晴れ 北東風
 団栗亭の自宅で珈琲を頂いてロッジに帰ったのは2時頃だったろうか。
 朝起きたのは6時半頃で、温泉に入った。哲ぼんさんも入っていた。サウナはまだやってなかったのは少し残念だった。
 朝食をおいしくいただき、野生の猿を見た後、大森神社に向かい、祭り(第3回大森フェスタ)の雰囲気の中でしばし過ごす。
 団栗亭のご主人が、大森神楽団の副団長で、哲ぼんさん達の身内的存在なのだが、そう言う関係で、おらにも神楽の衣装を見せてくれる。着てみさせてもくれる。重い衣装で20kgくらいあるのだ。腕を上げるのがなかなかの重労働である。これを着て舞うのは相当な修練が必要である。おらが着ても、なんの価値も生じないが、神楽団の団員が着ると値千金の舞になる。あな不思議や、大森神楽団。
 正午に湯来町を出発。哲ぼんさん・みっちさんが間道を先導で大野まで一緒。国道に出ていくおら達と涙のわかれ、二人は間道を引き返していった。
 文彦君の運転で柳井に帰ったおら達はラーメンを食べて祝島に帰った。


10月18日(月)晴れ 少し北風夕方少し南風
 台風23号が向いている。朝、五月丸を移動。夕方モイカを波止で1つ掛ける。


10月19日(火)雨 北風やや強し
 台風が向かっている。祝島にとっては北台風のコースになりそうである。
 昼便でいとこおばさんが帰島。


10月20日(水)雨 北風強 台風23号四国土佐清水に上陸
 朝、起きると停電になっている。風は北風が上空を吹いている。おらが家はそれほど風は当たらない。裕子おばさんが、岩本に電話をしてみるが、あちらもそれほどでないようである。電話、インターネットで天気情報を見たり、ホームぺージの更新を取り急ぎバッテリーでやってみる。
 祝島での台風23号は、なかごうの波以外は大丈夫だろう。補修が出来ていないところやシートは心配である。
 昼前に上から見ると、中の波止の波が打ち上げていた。
 15時頃中の波止に行ってみると、波止際の渡り用にある古い船が浸水して傾いていた。風はアナジ(北東風)になっていた。藤樹さんの話では14時頃に北風や波が少し落ちたそうである。
 停電は17時05分ころに終わり、電灯が付く。
 この一日、リョウキチは紙飛行機を飛ばし、裕子おばさんは牛乳パックで鉛筆立てのようなものを作っていた。おらは風呂を沸かし、焼き芋を作った。


10月21日(木)晴れ 北東風 台風時の雨95mm
 西の波止が無くなっているのを写真に撮る。
 伝馬船の修理が大分進む。しかし進水は当分後だろう。ネバルには間に合うだろう。


10月22日(金)晴れ 北東風
 夕方、波止からモイカを狙うが、気配なし。


10月23日(土)晴れ 東風
 波があるが釣りに出る。一日でシイラ1匹。
 墓参りをした後ソーヅイに行って残っていたしぶ柿をもいでくる。道端の三つ葉も採ってくる。
 秀人君の友達のローリーさんが祝島に来て、蓬莱館で初対面。新潟である駅伝に出場すると言うことである。今日夕方、釣りから帰ると新潟で大きな地震があったとニュースでやっている。被害がひどくなければよいが。 


10月24日(日)晴れ 東風
 千葉から石井さんご夫妻来島。千葉県の基盤岩を調べていると言うことで、祝島の領家帯の花崗岩を採集に来たのである。おらがホームページを見て、岩石の調査・採集に来られたのは石井さんが初めてである。石井さんは「房総の石ころ」という博物館並みの本を出版しているのである。趣味もここまで来ると価値絶大である。
 昼から石井さんと五月丸で祝島のまで行って上陸して、岩石を採集。波が打ち寄せて少し濡れる。伝馬船は伸漁丸に借りる。
 帰ってから、ソーヅイに渋柿の残りを採りに行く。
 晩に石井さんと話をする。釣りも趣味と言うことである。波止からアジを釣ったらしい。しかも波止で、浮かんでいたイカをちぎってエサにしたと言うから大したものだ。
 このところインターネット回線がつながりにくい。地震で混雑しているのだろうか。


10月25日(月)曇り晩から雨 凪
 夕方、波止からモイカ狙いで2つ掛ける。
 ローリーさんの駅伝は、先週の日曜日に終わっていたと言うことだ。聞き違いだったようである。


10月26日(火)雨 凪 昨日からの雨22mm
 新潟も雨で、大変な状況である。
 インターネット回線がつながらない。
 夕方波止からモイカ1つ。


10月27日(水)曇り 
 朝、回線がつながる。
 北風が吹き、冷えてきた。新潟も冷えている。車の中から2才の男の子が救出された。


10月28日(木)晴れ 凪15夜
 凪で月夜で、モイカ掛けに敏坊さんと出る。3年ぶりに2桁のモイカを掛ける。


10月29日(金)曇り 凪
 朝、五月丸のシャフト部分から海水が漏れるのを締めて治す。
 昼から上関に行く。帰りの船でマーティンさんと一緒。祝島中の文化祭(「万葉祭」)の為に来校。
 リョウキチ、タチを1匹波止から釣る。今季第1号。


10月30日(土)朝雨のち晴れ 凪
 文化祭の準備完了。文彦君フル活動。
 夕方、リョウキチ、ヤッチャンタチ釣りに出る。ヤッチャン1匹大きいのを釣る。


10月31日(日)曇りのち雨 凪
 朝便で哲ぼんさん・みっちさん、みやげを沢山ぶら下げて来島。万葉祭までの間、ホゴを狙うと言うことで、東の波止に向かう。
 昼便でアイちゃんも来島。
 昼前から雨が降り出す。昼飯を食べに帰ると、いい形のホゴを2匹釣っていた。アブラメを2匹逃がしたらしい。
 昼から万葉祭。午後4時半まで、予定を越えて4時間半の文化祭になった。「水戸黄門」に初めて外国人が登場しマーティンさんとトーリさんが熱演した。
 文化祭最後になるであろうと言うことで、初めてスーツと蝶ネクタイをしてリョウキチとギタージュエットを演じた。チョウネクタイは裕子おばさん作。
 夕便までの間が無く、イケマに1つ生きていたモイカを哲ぼんさんに渡すのを忘れてしまった。
 文彦君、敏坊さん、秀人君と一杯やる。


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