祝島日記 2004年9月  4月の日記帳へ 5月の日記帳へ 6月の日記帳へ 7月の日記帳へ 8月の日記帳へ

9月1日(水)曇り夜小雨 凪
 リョウキチの一夜干しで9月が始まった。
 正本のよっちゃんから8月15日の同窓会の時のビデオテープを4本送ってくれる。浜本の新太郎君のところに持っていき、そのまま焼き鳥や麦酒をご馳走になり、ついつい飲み過ぎた。帰りには雨が降り出し、ヨシエさんのテープをぬらしてしまった。


9月2日(木)晴れ 凪
 伝馬船のアカカエをリョウキチとする。秀人君が中の波止から東の波止に船を戻していたのと一緒になる。
 夜、運動会の地区打ち合わせ会。文彦君が説明。
 リョウキチ、ヘルペスの気配。


9月3日(金)晴れ 凪
 朝、涼しくなった。リョウキチと「昔の名前で出ています」をやり始める。
 千葉から梨が届く。豊水である。


9月4日(土)曇り時々雨 弱い北風 台風から後の雨11mm
 ナゴジローの運動会と言うことで、みんなで柳井に行く。ナゴジローの走るのを見た。
 ナフコで自転車のペダルやオイルなどを買う。リョウキチは内海漁具店で、イカのエギなどを買ってくる。
 夕方リョウキチは釣りに出るが、スラ。おらはおかずのタチを釣ってくる。


9月5日(日)晴れ 少し北風
 台風がまたやって来そうである。
 古い自転車のペダルを取り替える。12〜3年使っているブリジストン社の自転車である。
 リョウキチは竿の先を修繕している。
 午後、釣りに出る。ヨボシでアジを少し釣る。
 文彦君が運動会の用具を借りてきたのを、トラックで持って上がる。
 裕子おばさんとユウベエ帰島。
 夕方、五月丸を移動。


9月6日(月)曇り 少し東風
 昨日から湿った空気が入っている。蒸し暑い。
 台風18号は、祝島にとって危ないコースを来ている。
 東の波止の船のロープ張りをリョウキチと手伝いに行く。
 家のソーラー温水器の上に板を乗せる。瓦などが飛んできた場合の覆いで、台風対策の一つである。


9月7日(火)雨 強風南東風
 朝、5時頃から上空を音を立てながら風が吹いている。今回は早くから風が吹き始める。徐々に強まりそうな気配がある。祝島中は臨時休校である。
 
 強い台風が襲った。台風メモ。
 6:00 上空を南東の風か音を立てて吹く。

 7:00 徐々に強まる。

 9:30 弱いの台風並み。長崎上陸との放送。

10:00前 瞬間停電 下松沖で貨物船座礁のラジオ放送。
 
10:05 停電1〜2分

10:07 1〜2分の停電が数回。パソコンを切る。
 
10:20 停電本格的。以後続く。

10:30 おらが家の2階の揺れがほぼ震度2。

11:15 おらが家の2階の揺れがほぼ震度3。

11:35 風が最強レベル。佐賀市の北とのラジオ放送。

12:00 北九州市。50km/h北東へ。945hPa。40m/s。暴風圏 25m/s 東310km 西190km。

12:20 暴風。

13:00 瓦が盛んに飛びはじめる。雨漏りがひどくなり、洗面器、鍋、バケツを総動員、発泡スチロールも雇って、リョウキチとユウベエが20くらい2階中心に置く。

13:35 やや風がゆるむ。少し息をする感じがある。裕子おばさんが、戸袋が飛びそうだと頑張っているのを釘やらを打って手助けをする。

14:00 ほとんど凪ぐ。時々強くない息をする。

 14:30頃から東の方をぐるっと回ってみる。無傷の家は無い。東の波止(進宝波止)の船も、多かれ少なかれ、傷を負っている。風はおさまったが台風の波が満潮と重なって東の波止を越えてうち寄せている。伝馬船は無惨な姿で、道路に横たわっている。最も無惨なのは、中学校かも知れない。2階の上側の列の窓は半分以上割れたり飛んだりしている。給食室の屋根は飛んでいる。体育館も9枚のガラスが壊れている。
 裕子おばさんは、岩本と難波の様子を見てくる。被害は少しのようではある。無事である。島の人でケガなどは聞かないのでその点は良かった。
 おらが家は、棟の瓦、屋根瓦300枚近くが、飛んだり、壊れたりしている模様である。ブルーシートを棟や集中して飛んだところに掛けたり、飛んでも割れなかった瓦を慰めながらポツポツ抜けているところに挿したりして夕方を迎える。
 夜、哲ぼんさんから携帯に電話が瞬間的に届いた。それ以後、全て音信不通になる。
 水道管が壊れているのをつなぐが出ない。
 眠る前に一家四人で星空を眺める。夏の大三角形が、天の川と一緒によく見えた。


9月8日(水)晴れ 凪
 中学校のガラスなどを片付ける。
 昼休みにおらが家の一部屋の畳を立てかけたりする。ナガイソに行くと小屋が平たくなっていた。奇跡的に太陽発電機が無事で、バッテリーもころがっているのが見つかり、持って帰り、屋根で充電出来るようにつなぐ。
 午後も中学校のガラスの片づけなどが続く。
 裕子おばさんは、家の前の道路を片付ける。晩に、二の腕にフカヤが出たと言っていた。ユウベエもこまごま手伝ってくれる。ユウベエ、夕飯にカレーを作る。裕子おばさん、それが助かったようである。
 五月丸のサブタが旭丸のところに飛んでいたのを拾ってくれたと言うことだ。
 夕方、水道が出なかったのがなおる。水道管が壊れていたのを昨日なおしていたのだが、なんと一部取り替えた水道管に蜂が詰まっていたのである。岡部君が何か詰まっているのだろうと言うことで切ってみたらその通りであった。
 いとこの由美ちゃんがケガをしたそうである。
 充電したバッテリーを使ってインバーターとかで100Vにして、ナゴジローと哲ぼんさんに電話をしてみる。通じた。


9月9日(木)晴れたり曇ったり 凪
 祝島の電話線が不通になる。携帯のauもアンテナが倒れて使えないようである。
 小学校と体育館のガラスなどの片づけをする。昼休みに屋根にあった瓦などのクズの一部を運ぶ。
 東の波止の向こう側のテトラポットが流されている。
 午後、体育館の片づけの続き。中学校も教室をさらに少しきれいにする。西山君がひょっこりやってくる。カヤックでの八島旅行、残念でしたという。また何時か一緒に乗れるだろう。二階の掃き掃除をしてくれていた。
 壊れた伝馬船を学校に運ぶ。
 たみちゃんが伝馬船の櫓を見つけてくれる。エジリの方にあったそうだ。
 夕方、土嚢作りと屋根にシートを数枚かぶせる。明日の後半から雨が予想されるようである。
 リョウキチ、停電に少し飽きが来たようである。
 裕子おばさんは昼便で蒲井の医療所に付き添いで行く。夕便で帰る。


9月10日(金)朝雨 北波
 夜中、1時15分頃電気がつく。裕子おばさんによると5時頃雨が降り出したときにまた切れたそうである。
 雨は大降りにならずに済んだ。
 久しぶりの授業を少しして、すぐ作業。教育委員会関係の人と職員は新庄さんを中心に給食室の屋根にシート張り。秀人君が手伝いに上がる。
 昼過ぎに電気が来る。停電終了。裕子おばさんは洗濯。
 学校のガラス類、サッシなどの片づけが大まかに終了。
 夕方、ナガイソに行く。板などが散乱している。正平さんの絵はがきなどが4つ見つかる。おらが家の倉庫の屋根が壊れているので、明日その中の荷物を出してナガイソに運ぶことにした。置き場用の板を敷いておく。
 夕方みっちさん、哲ぼんさんから電話。日曜日に来てくれるという。アンテナを頼む。


9月11日(土)晴れ 北波のち凪
 午前中、おらが家の倉庫の片付け。学校に行くと、雄一郎君が奥さんと植物棟の片づけをしてくれている。ホームページを見て、人手がいるとの判断で祝島に帰り、活動してくれているのである。
 午後、屋根の割れた瓦等の片付け作業にはいる。
 タルキやのじ板の壊れている部分を修繕するための材料をナガイソから運ぶ。ナガイソの小屋が壊れたので、それが使えるわけである。
 哲ぼんさんから電話があり、テレビのアンテナや大根などを注文する。
 ノリコからも電話。恵子さんの赤ちゃんは順調に太っているようだ。


9月12日(日)晴れのち雨 凪
 朝便で哲ぼんさんとみっちさんが来てくれる。アンテナ、大根はもとより一杯の差し入れを持ってきてくれる。
 7時半頃から作業を開始。哲ぼんさんは背が高い上に力もあって、そのさらに上に、次の作業や必要なことなどを読みとる能力に優れ、作業が大変はかどる。さすが瞑想の人だ。
 みっちさん、裕子おばさん、リョウキチの5人と、途中秀人君も助っ人に加わり、倉庫の上の屋根の片付けと、のじ板の打ち付けは10時の休憩までに終了。昼飯までの間に30枚くらいの瓦を取り付ける。古い形式の屋根瓦で、泥をこねてのじ板の上に置いていくのである。はじめはおらとリョウキチが屋根の上、泥こねと泥運搬を哲ぼんさん、みっちさん、裕子おばさんが担当。その内、哲ぼんさんを中心にみっちさんと裕子おばさん、リョウキチがにぎやかに泥をこねる。
 差し入れの弁当をみんなで楽しくいただき、午後、5人でナガイソに泥をとりに行く。
 屋根に瓦を上げ、次回の作業の準備をして、この日の作業は完了。
 モリタの屋根の上でも、とんみーさんや岩国から帰ってきた洋太郎君達が屋根を修繕していた。洋太郎君達は夕便で帰るようで、ギリギリまでやっていた。
 夕便で文彦君が帰島。ポツリポツリと雨が降り始める。
 夕便を見送りに出る。大勢乗っていた。同級生の小泉君も帰っていた。家が大分やられたようだ。またちょくちょく帰ると言っていた。今日は祝島の人口が相当増えていた。
 トモの方で手を振る二人を見えなくなるまで見送る。
 夕食に、タカシ君にもらったうまいサンマを文彦君と一緒に食べる。みっちさんから無事到着との電話。
 にぎやかな楽しい作業の一日が終了した。
 リョウキチ、夕方釣りに出るが釣れなかったようである。
 おらが家の電話はまだ使用出来ない。どこか外れているようだ。
 長野からブドウが届く。


9月13日(月)晴れたり曇ったり 凪、夕方少しヨウイレ
 ミチヨさんからの差し入れで朝食。そうそう藤本の家の中の壁が壊れているようである。一昨日帰ってきて、解ったそうである。外から見たら被害はなさそうだと、裕子おばさんは言っていたのだが、沖側からの風でやられたようだ。
 学校横の坂道の木や草を除去。ボランティアの松本君も途中から一緒にやってくれる。松本君はヒッチハイクをしていて、たまたま祝島にやってきたそうである。
 おらが家に引き込む電話線が塩害でやられているようで、あと2〜3日掛かりそうである。
 ノリコから肉を送ったとの連絡あり。携帯電話は屋根に上がると、通じやすい。
 2階の1部屋の畳を拭く。


9月14日(火)晴れ 凪
 朝、薄暗い中、船のエンジン音がする。2〜3日前から少しずつ漁に出られる船が増えているようだ。夜中に少し風があり、シートがパタパタいっていたが、見ると大丈夫なようである。
 朝、五月丸を定位置に移動する。
 あれこれやることが沢山あって週末が待ち遠しい。
 学校の片付けに秀人君が来てくれる。午後もガラス拾いなどを手伝ってくれる。
 学校のパソコンで久しぶりにおらがホームページの掲示板を見た。みっちさんや哲ぼんさん、文彦君、エミちゃん達が書き込んでくれているので、更新しているのと似たようなことが出来ている。ああいいなあと思う。みっちさんのホームページの掲示板に哲ぼんさんの神舞関連記事が連載中であった。
 伝馬船の錨を探すが、海藻が底にたまっていてとても見えたものではない。2〜3本の綱をたどってみるがいずれも違うものにつながっていた。大きいチンがいた。リョウキチはイソスジエヒがいたので採ってエサにするといって、帰ってからタマを持って出ていく。もういなかったと帰ってくるが、いいものを見たと言ってルアーを持って再度出ていく。おらもルアーを持って出てみる。結局リョウキチのカマス1匹。スズキがはねる音を聞く。
 ノリコから色々な食糧が届いたようである。リョウキチと裕子おばさんが楽しみながら取り出したそうだ。


9月15日(水)晴れ 凪
 朝、スズキを狙ってみるが釣れないので待っていると、日の出と一緒にいわいがやってきた。
 進宝丸の修理が始まった。
 夕方、太陽温水器のガラスを取り付けて、くつろいでいるとなんと電話が鳴って、ナゴジローの声が聞こえた。電話がつながったのである。
 早速更新しよう。一週間ぶりにホームページ更新。
 リョウキチはイソスジエビを採る。釣りに出る。大きいカマスがいる、と帰ってきてルアーを持って出るが、釣れなかったようだ。カマスではなく、ダイガンジ(ダツ)ではないかと思う。


9月16日(木)晴れ 凪
 いい天気が続く。
 夕方、作業していると夕立でびしょぬれになる。


9月17日(金)晴れ 凪、ヨウイレ
 学校に、秀人君と、松村の博君がやって来てボランティアで学校を綺麗にしてくれる。特に二階のおかがわの窓が学校一にピカピカになる。窓拭き用具持参でやって来たのである。二人の共同作業はさすが同級生の長い付き合いを感じさせた。
 夕方、屋根で作業していると、哲ぼんさんから日曜日に助っ人に来てくれるとの電話。


9月18日(土)晴れ昼前から雨 南風
 秀人君と博君が、おらが家の修理の手伝いに来てくれる。
 棟の部分の平瓦の寸法を合わせるためにグラインダーで切る作業を二人に頼む。30枚以上を切ってもらう。ほぼ棟の部分の瓦が調達できる。
 夕便でナゴジロー帰島。おらは、南風の波が大きくて釣りに出られないので、海に潜ってみる。アワビの姿が見えなかった。台風の影響だろうか。
 


9月19日(日)ポツリと降った後晴れる 凪
 朝、ヨボシに出るとヤズが涌いているようなのでやってみると、すぐに2匹釣れた。その後2匹釣れて計4匹。
 波止に帰ると哲ぼんさん、みっちさんがやってくる。東の波止で少しセエを採っていた。
 雨が降るとの予報だったので、すぐ作業に取りかかる。下で泥をこねて、玉にして2階に投げ上げる。新入りの文彦君が手をスコップにし、いい泥を作り、上では哲ぼんさんが瓦を敷いていった。
 10時に遅い朝食と休憩。
 雨は降らず、いい天気になる。後半、倉庫の上の屋根は、哲ぼん棟梁ののもと、松村副棟梁、みっち泥こね主任、作業員3人で一気に仕上がる。
 昼食抜きでナガイソまで泥をとりに行き、棟ののし瓦も乗せる。14時頃作業完了。遅く、長い昼食に入る。
 赤い顔で、見送りに出る。
 帰っていった作業団が、室津でタコを捕ったそうである。作業団の中にはモリタのようちゃんのグループも入っている。哲ぼんさん達と一緒の船で、家もすぐ近くで屋根の上から会話をし、哲ぼんさん達も知り合いになったのである。


9月20日(月)敬老の日 晴れ 凪夕方ヨウイレ
 午前中、敏坊さんと一辺「昔の名前で出ています」を合わせる。その後、割れた瓦を差し替える。12時頃、敬老会で、リョウキチと敏坊さんと3人で、「昔の名前で出ています」と「ふるさと」をやり、「ラ・クンパルシータ」をリョウキチと弾く。初公開である。
 午後、割れた瓦などの片づけや、割れた瓦の差し替えをして過ごす。リョウキチに棟ののし瓦に釘を打ってもらう。裕子おばさんは割れた瓦を荷車で捨てに行ってもらう。
 角田のタカシ君のところは全壊に近い。下の住宅に荷物を引っ越している。
 夕方、タチを狙って出るが、用を思い出し、すぐ帰る。リョウキチはヤッチャンと釣りに出る。しゅうちゃんも一緒だったようで、暗くなるまで帰らないで、裕子おばさんは心配して波止に見に出る。しゅうちゃんはお祖父さんの家の修繕にお父さんが帰るのと一緒に帰ってきたということだ。今日、荷車を引いている姿を何回か見かけた。加古川に住んでいる。夏には毎年帰り、リョウキチとは友達である。結構釣れたようだ。


9月21日(火)曇り昼前から雨 南風波のち凪
 朝、雨が降るということで、西側の倉庫の上の、シートからはみ出た部分の割れた瓦を4〜5枚挿し替える。
 昼休みに雨が激しく降るが、雨漏りは無いようだ。樋を流れる水が飛び散り、漏っているのを裕子おばさんが見つけ、それは応急処置でなおしたようである。マーティンさんが上関の天ぷらなどをみやげに持ってきてくれる。
 午後、マーティンさんが学校に上がる。近々東京に行く途中、大阪で蛭子の葉子さんに逢って話をすると言っていた。
 伝馬船の左舷側の板が河本さんの所に飛んで行っているというのでリョウキチととりに行く。二つに折れてあった。
 夕方、リョウキチと東の倉庫の上にコンクリをうつ準備をする。


9月22日(水)雨 凪
 小雨が一日降り続く。温室の波板を打つ準備が完了。
 このところ、給食室が壊れたので、昼飯は家に帰って食べている。
 おらが中学に入学した頃に給食は始まった。確か月、水、金だったと思う。それ以外の日は、みんな家に食べに帰っていたのである。小学校の時は毎日そうだったわけである。浜本の新太郎君とかは家が遠いので大変だったろう。
 モリタのようちゃんが山本先生の近くに住んでいるという情報が入った。山本先生はおらが小学6年生の時の担任の先生である。いやあ世間が狭いというか、おらが世間が広がったというか。昨日か一昨日ようちゃんは話をしたそうだ。


9月23日(木) 秋分の日 小雨 凪
 朝起きると音もなく雨が降っている。明るくなって音がし始めた。6時過ぎにまた小降りになったので、五月丸のブレッジの上や口のシートを取り付けたりする。
 7時半頃、やんだ時を見計らって棟の瓦を敷き始める。下にコンクリを置いてその上に敷いていくのでなかなか手間が掛かる。雨が強く降り始めて作業を中断すると、もう昼だった。裕子おばさんは西側の倉庫の上の割れた瓦を取り外す作業に励む。
 河野の屋根の上でも、親戚のヒサボウ達夫妻が修繕をしていた。
 モリタの屋根の上では、ようちゃん親子とトンミーさんが頑張っていた。台風被害の瓦礫を出すのは今日が最終日なのである。
 14時前、小降りになった頃今度は裕子おばさんと墓参りに行く。台風でずれていたのを中村の進ちゃんやへいろうちゃん達がなおしてくれていたのを微調整する。リョウキチはヤッチャン、しゅうちゃんと釣りの約束をしていて、釣りに行く。
 墓から帰って再度作業開始。暗くなるまでに棟の瓦の取り付けほぽ完了。後はゆっくり漆喰を塗れば良いところまでこぎ着ける。
 リョウキチ達も何匹か釣れたようである。
 夜雨が本降りになる。むき出した部分のコンクリは流れそうである。


9月24日(金)雨降ったり止んだり 凪
 朝起きてコンクリをさわってみるとちゃんと固まっている。コンクリはすごいもんだと感心する。
 学校で運動を楽しむ。午後温室の波板を打ち付ける。
 夕方、おらが家の東の倉庫屋根のコンクリ補強をする。ナゴジローのスナメリの焼き物を乗せる。
 モト君が戻って作業中にやってくる。晩に行ってみる。松井ののぶ君の事などいろいろ話をする。


9月25日(土)晴れ 凪
 西の倉庫の上の瓦拭きをする。これで瓦拭きは完了。その後、割れていて差し替えが出来ないところの瓦をコンクリで補強したり、隙間などに詰めたりする。シートが無くなった。裕子おばさんはシートをきれいにしてしまっている。
 棟ののし瓦の下などにコンクリを詰める。朝便で柳井に買い物に出たリョウキチが、シーラント瓦用と言うのを買ってくる。早速割れた瓦に使用。台風21号が怪しい動きをしている。シートのある家は心配である。コースを外れて欲しい。
 夕方、釣りに出る。アジを5〜6匹釣った後暗くなるまでタチを釣る。10匹余り釣れた。タチはまだ逃げていない。


9月26日(日)小雨後曇り晴れ間も覗く
 雨で休養と決めていたが、雨が上がると全員動き始める。
 リョウキチに棟に漆喰をやってもらう。あっちこっち繕って、ついに終了。モリタも3人帰って作業をしていたが、こちらも終了のようである。
 洲本のおばさんが、アンテナが動いてテレビで台風情報が見られないと言っていた。少し動かすと見られるようになった。
 晩にリョウキチ、モイカを1つ掛けて帰る。いわいの船長さんにもらったイカ形を無くしたようである。
 膝を痛める。7〜8年前にサッカーボールを蹴って痛めたところがまた傷んだようだ。


9月27日(月)曇り時々雨午後は明るくなる。
 裕子おばさん夕方前からコンクリを瓦に塗ったようである。漆喰担当主任が生まれたようである。昨日から塗ることにおもしろさを持ったような気がしていた。
 リョウキチ、夕方モイカ狙い。掛からず。


9月28日(火)曇り 凪
 朝、船を移動。
 学校の倉庫の屋根の修繕に取りかかる。腐っている部分の応急処置。ギブスをはめる感覚ですすめる。
 家では裕子おばさんを中心に台風21号対策を進める。アンテナは仕舞う。テレビにはちらちら雪が降り始めた。
 晩になって、こんな時こそと、リョウキチは釣り道具の手入れをする。


9月29日(水)雨 北風のち西風 台風21号九州上陸後日向灘四国宿毛あたりに再上陸。
 祝島中は午前中授業。おらは午後ノミなどの刃物を研ぐ。
 北台風で祝島はましなコースになる。三重の方では豪雨で土砂崩れなどで死者が出た。
 なかごうは、北波が打ち寄せしぶきがかかったことだろう。満潮時でなくてまだ良かった。
 いわいは朝便が運行、昼と夕方の便は欠航。北風は14時から15時頃がピーク。風による被害はシートがめくれるくらいしか無いだろう。東を通ると風の被害は極端に小さくなる。ただ、シートがめくれると雨漏りがして大変だろう。
 15時過ぎには西風になっていた。夕方には凪ぐ。台風一過虹が出た。


9月30日(木)晴れ 凪
 朝、五月丸を定位置に戻す。
 学校の倉庫の屋根の半分くらいが覆われた。
 千葉の中鶴さんから、梅干しやラッキョウ等が届く。多分台風で1日遅れだったと思う。
 昼便で裕子おばさんは婦人会の用事で上関に行く。
 夕方、リョウキチとヨボシに出る。リョウキチのルアーにタチが1匹釣れた。


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