祝島日記 2004年7月

祝島雑記帳トップに戻る 2003年の9月に戻る 10月に戻る 11月に戻る 12月に戻る 1月に戻る 2月に戻る
3月に戻る 4月に戻る 5月に戻る 6月に戻る

7月1日(木) 晴れ 凪
 朝便に乗り、出張で柳井にいく。ナゴジローの所に泊まる。


7月2日(金)晴れ 凪
 社会見学旅行。錦帯橋、岩国城、広島空港、東急ハンズ、広島球場と回る。
 なんと広島球場を出たところで哲ぼんさん、みっちさんと感動的に出会う。なんとバスの中にはお土産の果物まで積んでくれていたのだ。
 ナゴジロー宅に四人泊。

広島ー巨人戦を観戦

7月3日(土)晴れ 凪
 昼便で帰島。政明君と午後釣りに出る。鯛・チダイ数匹ずつと大きい鯖8匹釣る。大漁である。鯖が群で涌いて、そのときもぶれついて釣れたのだが、もつれたり、スクリューに巻き付いたりで糸が切れたりして、全部は獲れなかった。
 3匹はまやさんで刺身にしてもらう。晩に、もと祝島小・中に勤めていた先生方との懇親会。総勢17人で飲んで酔って盛り上がる。22時過ぎからは西寺邸で夜中まで飲んで話し込む。博君、政明君達と久しぶりに飲んだので適量をはるかに上回ってしまった。きっと訳の分からないことを喋ったに違いない。
 夕方泳いだ。


7月4日(日)曇り 大南風
 朝便を見送りに行く。昨日の酔いが醒めず、よれよれ状態で一日を過ごす。
 昼便で懇親会参加者5人が帰る。
 台風7号が温帯低気圧になったと言うが結構強い風が吹く。朝鮮半島の方を通っているようだ。夜中に一段と強い南風が吹いた。


7月5日(月)晴れ 凪
 昨日とは打って変わって真夏の日射しが照らす。
 広島球場から、おらがなくしたサイフがあったという連絡が入る。落としていたらしい。広島球場の職員さんが見つけてくれたということである。いろいろ広島球場周辺ではいいことが立て続けに起こって、おらは広島球場ファンにならなくてはいけないと思う。
 夕方前から海浜活動でリョウキチとアカバアにカヤックで行ってウニを少し採る。
 暗くなる前に五月丸を中の波止に回す。定錨を健洋丸さんにローラーで上げてもらった。明日から東の波止の浚渫作業が始まると言うことだ。哲宝丸さんが言ってきてくれて、リョウキチと行った。


7月6日(火)晴れ 凪  磯でアブを見る。
 朝、伝馬船の錨をとって地の方に置いておく。
 午後から浚渫船が来て、作業が始まる。
 七夕の笹を切りに行くと、ムクゲやゴーロ(コオニユリ)が咲いている。岩本のおばさんが「あんまりきれいじゃけえ」と言ってゴーロを持って帰っているのに出あった。
 夕方の海浜活動は、歩いてのトビイシ行き。カナツキ使用トレーニング。リョウキチ、タコとオセンコウとカニを突く。まずまずの収穫であった。
 松の苗が一本枯れかけている。一本は元気。


7月7日(水)晴れ 凪ヨウイレあり。
 今日も浚渫作業。狭い出入り口を旨く入り、出ていく。すごい技術である。
 仕事場の除草作業に励む。
 夕方五月丸を東に移すつもりだったが、ヨウイレ(照った日の夕方に起こる南風)があって延期にする。


7月8日(木)晴れのち雨 弱い南風一時強い南風
 朝便で、上関に交流学習で行く。新しいプールにも入る。
 帰って、リョウキチと五月丸を東の波止に移す。


7月9日(金)晴れのち小雨 凪
 東の浜の飛び込み台設置。その後リョウキチと泳ぐ。リョウキチ25mくらいの潜水と30mくらいのバタフライをやる。少し海での活動能力が上達したようだ。この夏が楽しみである。


7月10日(土)晴れ 凪 梅雨が明けたようである。
 祝島では今日が投票日。朝投票して、ナガイソでアメリカ芋の苗を10本あまり採って、タカトウに植えに行く。ナガイソもタカトオも草ボーボーである。苗などの周りだけでも、と少し草取りをしておく。
 裕子おばさんが修繕した入り口の木枠の網戸が、長が少し高いので、少し削ったりして、たてられるようにする。かんなを研いだりして始まるので、結構時間が掛かるのである。
 午後、ウヤシマに釣りに出る。タイ2匹とチダイがまあまあ釣れる。
 夕方のニュースでは、党首が最後の演説をしている所や、いよいよ明日が投票日ですと放映されている。おら達はもう投票しているので、ちょっとちぐはぐな気持ちで見る。
 焼き物のスイッチを22時半に切る。 


7月11日(日)晴れ 凪
 朝、ファルトボート(かるがも2)を組み立てる。久しぶりで、少し手間取る。
 リョウキチはこの頃「ハリーポッター」を読んでいる。そういうのを「ポッタリアン」と言うんだろう、と言うと、「ポッタリアン」はそんなレベルではなくて、その衣装を身につけたり、変装したりすると言うことだ。昨日今日と、ヘルペスが出て、泳ぐのを控えていて、ゴロゴロしていたが、隣のひろ君達が遊びの迎えに来て出ていった。
 昼前、秀人君が船を東の波止に移すのを手伝った。その時、みっちさんのお祖父さんは下関のみやげで有名な「亀の甲煎餅」を作っていたらしい、と話していた。そうだったのか。
 昼飯は冷やしソーメンだ。だしはエビである。夏だ。
 14:20〜17:20までカヤックで祝島一周。西回り(反時計回り)でちょうど3時間。途中イルカの群に出会う。写真を撮るが、揺れるのでぶれている。島の南東側でハヤブサらしき鳥を二羽見た。波止の近くに帰ってくると文彦君が潜っているのが見えた。
 今回の一周はアンフェザーという漕ぎ方で漕いでみた。内田正洋さんの本を読むと、その方が手首に負担がかかりにくい様に書いてあった。フェザーリングという漕ぎ方で、何時間か漕いだ後手首が少し痛い感じで草臥れ、少し気になっていたのである。長く漕ぐためにはアンフェザーの方が良いようなのだ。その試しをやってみた。結果、確かに手首にはその方がよい。腰は毎度草臥れる。これは歳が関係しているだろうが慣れるしかない。ファルトボートで漕いだのだが、この頃はプラスティックのを漕いでいたので、遅く重く感じた。その割りにはまあまあの時間で漕げたと思う。
 1時間漕いで5分休憩というペースだった。


7月12日(月)曇りのち晴れ 凪
 裕子おばさん、オカオコーデを退治する。「オカオコーデ」と言う虫は初めて聞いたのだが、毒虫と言うことである。皮膚がさわると相当痛いらしい。オコーデ(オコデ)は海にいてさされると非常に痛い。それになぞらえて、オカ(陸)にいてさわる(刺される)と非常に痛いというので「オカオコーデ」と呼ばれているようだ。畑の生け垣のタブノキに異常発生しているというので、裕子がその木の枝を切ったり殺虫剤をかけたりして奮闘したようだ。夕方、その枝をナガイソまで運んだ後、虫が残っていたら写真に撮ろうと行ってみた。一枚の葉に残っていた。
 海浜活動は東の浜で水泳。
 祝島の土50%のカップが出来た。


7月13日(火)晴れ 凪
 神舞の小屋の苫用のカヤを刈る日。朝7時からの作業で、裕子おばさんが出る。
 刈ったカヤは東の方は海岸のコンクリートの上に干してあった。夕方には取り込み作業。
 海浜活動は東の浜で水泳。リョウキチ、クロールに進歩が見られる。


7月14日(水)晴れ 凪
 カヤックで転覆したときの再乗艇の練習をリョウキチ、ヤッチャン、文彦君で練習する。
 その後リョウキチと水泳。25mくらいのダッシュをクロールでやる。リョウキチ大分早くなる。もうちょっとでいい勝負になりそうである。
 アブが多くなる。今年はピークが早そうだ。


7月15日(木)晴れ 凪
 ヤッチャン、リョウキチ、文彦君、秀人君の四人で、カヤック祝島一周をする。
 トビイシで潜る。みんな、ネバルやアブラメ、カニなどを突く。みんな、なかなか楽しい、日に焼かれた一日を過ごす。


7月16日(金)晴れ 凪
 裕子おばさん、苫編みに出る。ビデオにも撮ってきた。
 午後山田さんの畑の伊予かんの木を借りて摘果作業の体験をする。昨年は、実を残しすぎて大きくできなかったので、今年は山田さんもついての作業である。収穫は1月の予定。カメラを持っていくが、撮るのを忘れる。


7月17日(土)晴れ 凪
 リョウキチと徒歩での祝島一周予定日であったが、リョウキチのヘルペスが目の下に出て延期。
 朝ゆっくり引き潮になる頃、おらは鯛を狙って釣りに出るが釣れず。帰って発泡酒をグイッとやってゴロッと昼寝をして今度は満ち潮の鯛を狙って出る。何と最初の流しに2kg級の鯛が釣れる。早速裕子おばさんに携帯電話で連絡をする。姪が男を産んだので、そのお祝いに鯛が欲しかったのである。
 ナゴジローが昼の便で帰島。夕食が久しぶりの四人。夕食に今日釣れた鯖を片身刺身にする。ナゴジローは鯖の刺身を食べるのは初めてだろう。


7月18日(日)晴れ 凪
 朝、祝島の海岸清掃(墓道も)の日。おらは学校横の坂の草刈りをする。裕子おばさんはスイサンカの草刈り・片づけをしたそうである。難波のおばんと墓参りもする。おばんは親戚何軒もの墓掃除をするようで、何時間もかかるようである。裕子おばさんは途中で帰って、飲み物を差し入れに持って行っていた。
 昼便で鯛を送る。ナゴジローも柳井に行く。
 午後、ふすまの張り替えに取りかかる。裕子おばさんと合同作業で6枚の内4枚張り替えた。祝島では神舞の年はこういう作業が少し増えるのである。
 ふすま張り替え作業の終了後、泳ぐ。


7月19日(月)晴れ 海の日 凪
 難波のおばんが煮しめの差し入れ。
 ふすまの残り2枚を単独作業で張り替える。しわが残った。
 裕子おばさんは、リョウキチの神舞の衣装用の寸法を測っている。
 タカトオに行って芋の蔓を10本植える。暑い。前回植えたのが4本位ひからびている。
 ノリコから鯛が届いたと電話が入る。写真もメールで届く。
 ナオタという名に決まったようだ。おらはナオタの大伯父である。
 午後、ヤッチャン、リョウキチの看板作りを見た後、釣りにでる。
 今年初めてのアカイカを狙って居残る。姫島、国東が見え、祝島の端に夕陽が落ちた。アカイカは2つしか掛からなかったが、掛かることは確認できたのでまずまず満足気味で、帰ってきたら21時だった。久しぶりに夜の海を五月丸で走った。今日は航海灯用の差込(コンセント)のさびを落として、灯くようにしたのである。


7月20日(火)晴れ 凪
 学校は終業式。夏休みに突入。
 おらは上関でレクレーションの集まりがあって昼便で出て、夕便で帰る。その後東の浜で水泳をする。チンが沢山泳いでいる。セイゴもいた。ボラもいた。肴はアカイカの刺身。


7月21日(水)晴れ 凪のち西風
 リョウキチ5時半に起きる。ランニングなどをするということである。
 10時から1時間ばかりリョウキチと自転車を漕ぐ。
 午後室津へ出張。夏には珍しく西風が強い。
 室津から帰って、ある話し合いに参加。リョウキチはヤッチャンと釣りに出る。


7月22日(木)曇り 西風
 リョウキチ達、朝のランニング。木下さんの孫さん二人も走る。
 裕子おばさんは、難波のおばんと朝便で柳井行き。難波のおばんは耳が聞こえにくいとかで診察を受けに、裕子おばさんは高校にナゴジロー関連の懇談会で。
 おらとリョウキチは8時に祝島一周徒歩旅行に出かける。にぎりめし1個ずつと飲み物を持って、西回り(反時計回り)で14時に帰宅。西風の波がかなりあって、満潮時でもあり、小島を過ぎてからインナクラあたりまで思った以上に時間がかった。東の浜で、泳いで一周を締めくくった。(歩いて一周
 16時から、櫂伝馬を下ろす作業があった。100人くらい人が出ていた。
 19時から剣櫂やさいへいの練習。YABテレビの二人が取材に来ていた。


7月23日(金)晴れ 凪
 朝のランニングが子供6人に増える。4歳のこうちゃんがよく走る。往復1500mくらいも走るのである。おらはその後をよっこらよっこらとやっと付いていく。。ヤッチャンは2倍くらいの距離を走るのだが、帰りに、猛スピードで追い越していった。
 当番で仕事場。
 昼に五月丸に行ってみると、釣っていた魚が死んでいた。波止の中の海水温が高いせいでもあるのだろう。
 午後五時頃、マーティンさんがスイサンカの崇祖碑の漢文を写して欲しいというので、行って写す「歴史は面白い」とマーティンさんは言っている。
 リョウキチ達は道しるべを作って、それを立てに山道に行って来た。平さんへの道しるべと行者様への道しるべ、海水浴場の看板である。
 夕方、水泳。25日に熊毛郡の最後の郡体水泳の部に出場する予定である。50才以上の部での25mと50mのクロールである。どちらの種目も出場者は3〜4人だろう。上関町からの出場はおら一人の様である。昨年は若い者が3人出ていた。


7月24日(土)晴れ 凪
 朝市。今回は8時半からと言うことで、7時半に準備に行く。リョウキチ、マーティンさんも手伝う。
 朝市の後、久しぶりの散髪。
 朝市でデンチョウを買って、昼食で一匹煮付けにする。デンチョウは旨い魚である。
 午後、少しナガイソの草刈り。小さいのだが、西瓜がカラスに2つ食べられている。一つだけ、つつかれただけでほぼ無事なのがある。なかなか暑い。リョウキチは隣のひろくん、さと君達と泳ぎに行った。
 晩方、神舞の練習。一也君が帰島して初練習。今まで2回踊っているので、毎週土曜日に帰って練習をすれば大丈夫だろう。


7月25日(日)晴れ 凪夕方ヨウイレ
 郡体に出るため田布施に行く。25m(タイム14秒55)、50m(タイム32秒71)ともに昨年より少しずつタイムが落ちた。順調に身体の筋肉も年をとっているようである。リョウキチもずっとプールサイドでつき合ってくれた。ちょっとかわったがまん強さだ。
 田布施駅に出て、携帯を見るとみっちさん(哲ぼんさん)から着信があったようで電話をしてみると、泳ぎ終わった後ではあるが、応援の合唱が聞こえてきた。何分間か、にやにやしていた。まわりの人が見たら変に思われたかも知れない。
 柳井に出て、なかなかないことだがリョウキチと、ナゴジローの買い物につき合う。あとあれこれ頼まれたものを持ち帰る。


7月26日(月)晴れ 凪
 これから三日間連続の休みをとる。
 初日はファルトボートの、膝の日よけ兼、雫よけをシートで作る。
 昼前にリョウキチと「熱々40分間走」をする。汗が噴き出た。
 昼食後、リョウキチは隣の小坊主さん達と一時遊んだ後、東の浜に遊びに出る。
 小坊主さん達、よく浮かぶ。子供達が10くらい海には行っていて東の浜がにぎやかになっている。 


7月27日(火)晴れ 凪
 朝7時50分、カヤックで祝島を出発して、柳井高校グランド近くに17時着。何と隣の石山さんが来るまで通りかかり、ナゴジローの住処まで分解したカヤックを運んでくれる。これを好運と言うのだろう。
 柳井に泊まる。(一日カヤック旅行)


7月28日(水)晴れ 凪
 ナゴジローの所から帰る。
 「いわい」に20分前からでないと乗れないように回覧が来たけど、あれは定員オーバー防止のためと言うことなので、盆とか神舞の時のように定員オーバーのおそれのない時は、乗ってもいいと言うことである。船員さんが、皆さんにそう伝えて下さいと言っていた。
 浜でおじさん達から瀬の名前などを聞く。「ミシロウチ」と「サブローギョウ」と言う瀬を聞いた。「ミシロウチ」は良く聞いていた名だ。
 夕方、味を十匹足らずとアカイカを掛ける。これがアカイカ最後になるだろう。


7月29日(木)晴れ 凪
 仕事。
 リョウキチとゆっくり4kmばかりランニング。子供達の西瓜2個収穫。
 ヤッチャン達上関中野球部郡体1回戦勝利。2回戦惜しくも敗れたとのこと。


7月30日(金)晴れ夕方曇り 西風弱のち凪
 秀人君の船の避難を手伝った後、他の船が皆避難しているので五月丸も移す。
 少し仕事場の草抜きをした後、ナガイソに生ゴミを捨てに行き、夕涼みの変わりにリョウキチと夕泳ぎをする。東の浜の海にはチンやらシマギダやら魚が沢山泳いでいる。オヤビッチャが1匹入り込んでいる。


7月31日(土)曇り 凪
 台風がゆっくり四国沖を近づいている。
 仕事場周辺戸締まりの確認。カヤックを収納。
 櫂伝馬をオカに上げるという放送があり、みんなでて作業。
 太陽温水器のベニア板のカバーをする。ほぼ台風準備完了。
 波止のシンズナ張りを手伝えなかった。どうも手落ちである。
 四国中村市あたりに台風10号上陸。


祝島雑記帳トップに戻る