祝島日記 2004年2月

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2月1日(日)晴れのち曇り、雨 凪
 朝、権ちゃんが、モサという魚を持っているのに出会い写させてもらう。ノウソウよりは旨いそうだ。どちらも鮫の仲間だろうと思う。
 午前中に伝馬船の白ペンキ塗り。午後船底塗りを完了。合間にヨシオさんの畑から、ナツメの木をもらい長磯に植える。午後2時過ぎからまた長磯に行き、小さい小屋の戸を修繕したり木の枝を切ったりして過ごす。
 夕方薄暗くなるまでで伝馬船修復作業を完了し、船を下ろすだけとなった。以前より、早く進むのではないかと楽しみである。
 文彦君が「石城の里」を持ってきてくれ、賞味する。販売元の小川商店は高校時代の下宿の近くの店なのである。


2月2日(月)雨のち曇り 凪のち西風弱
 伝馬船を満潮時に浮かぶところまでみんなに下ろしてもらう。
 裕子おばさん柳井行き。


2月3日(火)晴れ 西風
 朝、伝馬船を浮かべ波止に着ける。難波のオバンが煮しめを持ってきてくれる。
 午後出張で上関に行く。上関は風邪(インフルエンザ?)が流行っているようだ。
 夕便で帰って4kmランニング。
 善徳寺と真紀さんから差し入れがあり、朝の煮しめとそれらで男二人養われる。
 ナゴジローの体調が少し低下しているようだ。電話では鼻声である。


2月4日(水)曇り 西風強
 マーティンさん来島。おかずはアジの刺身とアジの焼いたのとアジの煮付けで、11時頃まで神舞の話などをする。マーティンさんは人類学の勉強をしているのであるが、祝島中学校に6年前ALTとして来られて以来、祝島とはなかなか長い付き合いが続いている稀な英国人である。祝島がとても好きで、万葉集に載っている祝島の短歌を英訳したものを九大の図書館で見つけて橋部さんのホームページ載せたそうだ。おらよりも正しい敬語が使える。
 マーティンさんのご両親も祝島に来たことがあり、おらを覚えてくれているそうだ。また、子供達と一緒に祝島の人家を歩き、その時、ともちゃんからもらった水仙のことを、マーティンさんのお母さんは匂いと共に良く覚えているとのことだ。 マーティンさんは友達にも祝島のことをよく話してくれているようだ。この夏の神舞も楽しみにしている。


2月5日(木)曇り 西風強
 マーティンさんは昼便で出たはずである。また6日に来られるようだ。
 孝さんより、松田正平さんの画集を送った代金とともに手紙が届く。本当に孝さんは松田正平さんの画が好きである。
 夕食はリョウキチ作のインスタントチャーシュー麺。


2月6日(金)時々ボタン雪 西風強
 朝、ぼたん雪で、一時祝島が雪化粧。
 裕子おばさん帰島。マーティン来島。


2月7日(土)雪のち曇り時々雪 西風強
 寒い西風が吹き、家の中にこもる。昼便でマーティン離島。
 夕方近く、長磯に行ってみると、小屋の屋根のトタンが西風で2枚飛び、2枚飛びかけの状態。修繕する。
 接ぎ木をしたビワの苗と、柿の種から育った苗を長磯に植える。何時から実がなるか楽しみである。


2月8日(日)晴れ 西風やや強
 寒気が入っているのでなかなか凪がない。
 昼前から荒神様を探しに行き、運よく見つかる。荒神様は荒神山の頂上の少し下側にあると小川さんから聞いていたので、ほぼ目安が付いていたのが良かった。目についた、桜の木に巻き付いた蔓を切りながら帰る。
 夕便でマーティンさん来島。秀人君の話を聞きに行く。その後で歓談。夕食はリョウキチ作のカレーライスが主食。


2月9日(月)曇り 凪
 マーティンさんは橋部邸で資料を見せてもらうということである。昼休みには生徒達と卓球をしに上がる。晩便で帰る。
 夕方、トビイシまで行く。ヒジキが伸びたのがあるが、去年よりは少ないようである。10日位前に口開け(解禁)の放送があった。明日少し採ってみよう。
 夜の放送で、安全な食材を追求するために努力している人たちを紹介する番組があった。牧場が出てきたときは一瞬、宗谷岬牧場が出てくるのでは?と思った。放映されたのは岩手県の牧場だった。宗谷岬牧場には祝島出身の氏本さんがいるのである。


2月10日(火)晴れ 凪

能登金剛


 同級生の江本君から写真付きのメールが来た。「能登金剛」とある。
 祝島は、久しぶりの、春を感じさせるようないい天気である。
 午後4時過ぎから、トビイシに行き、リョウキチは釣り、おらはヒジキ採りに励む。リョウキチはヒョコタン1匹とクロゴチ1匹。おらはヒジキをバケツに3杯。
 行く途中、リョウキチは大きい方を催して、石の影でやってきた。かけ足でおらに追いついた。
 夕方の空もきれいだった。残念ながらこの時期にはトビイシから日没は見ることが出来ない。
 途中から暗くなりかけ、リョウキチが星を数個かぞえ、次の休憩では50近くになった。ヒジキが重く、何回も休憩した。

この風景のどこかにリョウ
キチはしゃがんでいる。
追いかけてくるリョウキチ うしろトビイシ
スバラマツ クロゴチ ヒジキ

 晩に明日のための釣り道具の釣り針を付け替える。


2月11日(水)晴れ 西風弱のちやや強
 午前中リョウキチとコージロに釣りに出る。リョウキチはアジを数匹釣ったところで船酔い。
 アジを組合に持っていく。2.5kg。
 午後、長磯に行き暗くなりかけるまで作業。長磯沖は西風で白波がたつ。帰りに波止でリョウキチが釣りをしていた。ヤッチャンは道で素振りをしていた。島の若い男3人(ヤッチャン、リョウキチ、おら)ともそれぞれの嗜好にあった活動をしていた島の夕方の風景である。
 夕食で浜村さんでセエ(カメノテ)をもらっていたのを湯がいて食べる。昨日リョウキチの釣った魚の煮付けと今日のデンゴの南蛮漬け、ヒジキの煮付けと海の食材が多い夕食だった。 


2月12日(木)晴れ 西風弱
 春の日射しの一日。ヒジキを煮る。5時間くらい煮るといいと言うことである。
 黒くするためには鉄を入れるといいそうである。鉄分を取り込んで黒くなるのだろうか。
 初め褐色のヒジキが湯で緑になり、茶色に戻りだんだん黒に変わっていく。暗くなるまで煮てそのままさましておく。


2月13日(金)晴れ 凪
 朝、2つの鍋の内の一つはさめたヒジキが黒くなり出来上がっている。一つは少し茶色が残っているので、また少し煮る。
 夕方凪の海をナカバエまでリョウキチと伝馬船を漕いでネバルを狙うが、釣れたのは一匹だけ。


2月14日(土)晴れ時々曇り
 神舞の新しいカヤをとるための草刈り。1区から4区位までのものが、その場所の草刈りをして新しいカヤを伸ばして、7月にカヤを刈るのである。8時前から50人ばかりで約1時間の作業。春一番の予報で、焼くのはまたの機会ということになる。
 春一番の南風はそれほど吹かず、昼過ぎから大西風になった。
 昼前と夕方前に長磯に行き、小屋の作業。


2月15日(日)晴れ 西風強後やや強
 裕子おばさんは婦人会の弁当作りに出かける。
 おらとリョウキチは昨日煮たヒジキを袋に詰める。
 昼前、シャクジから北野の上の三角点を探しに行くが、見つからず。 日向にウバユリの芽が出ている。
 帰りに「カラスバト」と思われる鳥を見る。「ルー、クルー」と鳴いて飛んでいった。キジバトよりはるかに大きく、黒くて尾が長かったのでまず間違いないと思う。羽音がばさばさと大きかった。写真は撮れなかった。カラスバトは天然記念物である。照葉樹林が好みらしい。スダジイやタブの実を食べるということである。

シャクジの登り口とカラスバトらしい鳥がいた場所から見た人家

 午後長磯で小屋の作業。その後タカトオに行って、少し木を切る。
 この日は昼食も夕食ももらったメニューがたくさんで食べきれないくらいだった。


1月16日(月)晴れ 西風後凪
 裕子おばさん夕便で柳井行き。夕飯は作っていってくれている。


 おらとリョウキチは夕方ヨボシまで伝馬船で遠征するが、メバルは釣れず、ヒョコタン2匹。ホンダワラが長く伸びてなかなか釣りにくい。リョウキチの櫓漕ぎが大分上手になった。
 東の波止の中に船が4隻泊まっている。挨拶をしながら出ていったのだが、豊島の船だろうか。延縄が見えた。この前も泊まっていた。


1月17日(火)晴れのち曇り 凪のち西風弱
 波板とトタンを買って夕方長磯にリョウキチと運ぶ。小屋における場所が少し増える予定である。


1月18日(水)晴れ 凪
 夕方、海浜活動でリョウキチとトビイシに行く。桜の苗と松の苗(芽生えて1年足らずのもの)を植える。

 松は岩場に植える。
 薄暗くなる中をサビキを漕ぎながら帰っているとネバル1匹とアジが2匹釣れる。暗くなるとアジの群が寄っているようである。クドレの沖で釣れた。
 裕子おばさん帰島。ナゴジローは仲のいい友達がたくさんいるようである。いいことだ。ユウベエもそのようで目出度い。


1月19日(木)曇りのち晴れ 凪
 親戚の法事で裕子おばさんは手伝いに行く。
 夕方前にトビイシに、昨日植えた苗に水をやりに行く。作業が終わった後、リョウキチは釣りをする。ヒョコタンが2匹釣れたようだ。薄暗くなって帰る。おらは帰る途中クドレの石を歩いているとき、ごねる(関節をひねること)。転んだが捻挫はしていない。
 家に着いたらすぐ電話があり、親戚のものが転んで腕を骨折したようだというので、救急船(「ヤンマー」)に乗せる手伝いをする。佐賀まで行くと、救急車が手配してあり、待っていた。おらはそこから「ヤンマー」で帰島。夜の入港は難しそうである。「ヤンマー」の船長さんは慣れているので簡単に着けたり、出たりするが、真っ暗な海はなかなかわかりにくい。灯台が非常に重要である。
 哲ぼんさんという人がこのホームページの掲示板によく書き込んでくれる。国東半島の生まれということで、国東が更に身近に感じられてきた。


1月20日(金)晴れ 凪
 凪で穏やかな春のような日が続く。
 昨日文彦君の友達が埼玉県から来て、今日、一緒に祝島を見物した。夕食を共にした。16日に釣れたヒョコタンを刺身にして、味に自信がないので、酢味噌にした。みんな旨いと言って食べてくれた。いい晩だった。

アコウの木下で。 桂木様 ケグワの木(県指定)
ケグワの木(上関町指定) イタジイの木 左と同じイタジイの木

1月21日(土)晴れ 南風弱のちやや強
 午前中に長磯の小屋作業。
 午後久しぶりに五月丸を動かす。コージロに行こうと思っていたが、途中南風波が出てきたので引き返し、ヨボシで釣る。アジと中くらいのサバが釣れる。
 リョウキチはみんなで磯に行ったようである。ナマコとモゴチを採ってきていた。ナマコは文彦君とその友達が潜って採ったらしい。
 釣りから帰ってしめ鯖を作る。裕子おばさんはサバのみそ煮を作る。


1月22日(日)曇り後雨 大南風のち西風夜大西風
 リョウキチの英検受検に徳山まで付いていく。受検場は徳山大学。徳山大学には初めて来た。リョウキチに受付の大学生が親しそうに話しかけていた。帰りのバスに遅れそうになったが、運転手さんが動き始めたバスを止めて待ってくれた。
 昼は徳山で二人ともオムライスを食べた。マツノ書店で「魚の紳士録」と「古代地名辞典」を買った。
 午後は柳井のナフコで買い物をした。
 柳井港に出たときはまだ南風が吹いていた。出港時にはかなり弱まっていたが、波は強くよくゆれた。南風波は風がおさまっても当分おさまらない。ハナグリを越えたらもう西風が吹き始めていた。
 夕食はフライドチキンとしめ鯖とナマコ。
 夜には大西風になった。


2月23日(月)晴れ 大西風後西風
 夜中から明け方まで大西風。定期船「いわい」はやって来た。
 夕方には凪いできた。春の一日西風である。


2月24日(火) 晴れのち曇り 凪
 裕子おばさん朝便で柳井行き。おらは長磯まで、小屋が倒れていないか見に行く。無事立っていた。
 夕方、トビイシまで松の苗が無事か見に行く。無事だった。ヒジキをバケツ一杯とセエを採って帰る。ワカメも一本。
瀬に小さいカキが着いている。広島とかの養殖カキとは種類が違う。子供の頃母親が打ってきて食べさせてくれたが、なかなか大変だっただろう。この頃も、好きな人は打っているようだ。
 海からのおかずやつまみで夕食。リョウキチと二人でオウム真理教の特番を見たので、すこし夜更かしになる。

瀬に着くているヒジキ 瀬に着いているカキ

無事だった松
つまみ セエ

2月25日(水)晴れ 凪
 朝、長磯に行って、珍しくマツの枝をとって神棚に供える。漁船が長磯の沖を島の裏の方に向かっている。(島の)後ろで、鯛が釣れているのだろうか。「友栄丸」(親父の友達の船)が行っていた。
 昼はぽかぽか陽気の穏やかな一日。
 夕方早い内にリョウキチと、こやの壁用のベニア板を長磯まで運ぶ。
 夕方遅く久しぶりにランニング5km。


2月26日(木)晴れ 大西風
 朝から西風が吹きだして強くなった。
 書き忘れていたのだが、同級生の江本君から一昨年の同窓会の時の写真のCDが10日位前に届いた。写真が75枚もあり、良く写っている。パソコンを頑張っているようだ。


2月27日(金)晴れ 凪後西風
 西風も一日で終わるようになった。「春の一日西風(ひといにし)」である。
 今日も春のような日になった。
 裕子おばさん帰島。ナゴジローは風邪で熱がでていたようだが、もう治ったということ。


2月28日(土)晴れのち曇りのち雨がしとしと 凪のち南風
 朝、裕子おばさん親戚の法事で手伝い。
 おらは釣り。コージロが釣れないのでハナグリに戻って釣る。昼前まで粘ってアジ1匹と小さめの鯛4匹。
 午後、浜崎理髪店で久しぶりに散髪をして、その後長磯の小屋の作業。パラパラ雨が降り始め、南風が少し出てくる。夜には少し強まる。
 おらが家の風呂は、薪でも灯油バーナーでも炊けるのだが、今日はリョウキチが薪で炊いていた。火照ったのか夜にはのどが渇いたとかで、伊予かんの小さいのをしぼってジュースを作っていた。


2月29日(日)雨後曇り 南風
 リョウキチと柳井に行く。目的は二人とも生まれて初めてのバッティングセンター体験である。来週からリョウキチは臨時野球部員となるのである。半年近くバットとボールをにぎっていないので、ちょっとバッティングでもしようかと、二人で出かけた。ユウベエとナゴジローの自転車を借りて乗っていってみるとバッティングセンターは10時からということで、内海漁具店に先に行って伝馬用のライトを買う。
 バッティングセンターではいろいろのスピードのがあったが、おらは最高120km/時を、リョウキチは110km/時を体験する。おらは100球くらい、リョウキチは150球余りを打つ。当たればなかなか気持ちがいいなあと、帰ってくる。リョウキチは皮がむけた。
 リョウキチは祝島に帰り、おらは柳井に残る。


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