おらが日記帳2004年 1月
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1月1日(木)晴れたり曇ったり 西風
 昼までのんびり駅伝を見たり、時々年賀状を書いたりする。子供達は大晦日の12時前に隣の善徳寺に行って、除夜の鐘を突いた後、おでんをご馳走になり、その後清水家で話をしたらしい。3時半頃までいたらしい。
 昼前に4人揃って歩いて行者様に登る。帰りにフユイチゴの苗を採って帰る。裕子おばさんは三つ葉をつんで帰る。
 夕食はハゲの刺身を添える。
 風呂に薬用入浴剤「白浜温泉」を入れて正月を温泉気分にひたる。リョウキチが薪での風呂沸かし担当である。なかなか我が家は慎ましいというか安上がりである。


1月2日(金)曇り一時雨のち晴れ 西風後凪
 箱根駅伝を見る。
 昼前に小島の方に行ってみる。途中長磯にフユイチゴの苗を植えておいた。三浦湾にカモが2匹泳いでいた。帰りにハヤブサと思われる鳥が、鼠かモグラを掴んで飛び立った。
 箱根駅伝、往路は駒沢大が優勝した。
 昼頃から雨が降る。4時頃には止んでいた。
 10Km走る。51分と、なかなかいい気録が出た。これで後尾車に敷かれることはないだろうと確信出来た。
 夕方暗くなるまで東の波止でリョウキチとネバル釣り。おらはネバル2匹とアジ1匹。リョウキチはネバル2匹とホゴ1匹。大きさから言ってリョウキチに軍配が上がる。リョウキチはしめ飾りにイワシを5匹挿していたのでその成果が出たようだ。リョウキチはネバル釣りから帰って、今度はタチ釣りに出た。なかなか頑張る。結果は釣れなかったようである。


1月3日(土)晴れ 西風
 箱根駅伝を見る。途中、船大工さんの小屋で、山の話などを聞く。きれいな水が出るところがあるというので言ってみる。池にはたまっていなかったが、小さい出水にたまっているのを少し汲んで帰る。木村のおじさんが飾ったのだろうしめ飾りがあった。
 水場を見た後、オオトオを歩く。少し迷い掛けた。
 夕食を裕子おばさんの実家でご馳走になる。大阪から義兄さんが帰っていた。


1月4日(日)晴れ 凪
 久しぶりの凪で、コージロに釣りに出る。小ダイ2匹とチダイを4〜5匹釣って帰る。帰りにシラサキの石垣を海から写す。
 家に帰る途中小川のおじさんに山の話を立ち話で聞く。「日廻」と言う山の地名の呼び方が、「ひまわり」と言うことを教えてもらう。三角点は「日廻」に入るようだ。
 夕方も凪に誘われて出る。帰り際にハマチが釣れた。
 リョウキチ波止に釣りに出るが、釣れず。


1月5日(月)晴れ 凪
 初仕事の日。花壇にチューリップの球根を50植える。


1月6日(火)晴れ 少し東風
 午前中、久しぶりにリョウキチと五月丸で釣りに出る。コージロに行くと、イルカが1匹いた。食事中のような気がした。船を近づけると併走したり、船の底を通り抜けたりした。食事の邪魔をされて不満を訴えているのか、戯れているのか解らなかったが。リョウキチは初めて見たので大変喜んでいた。釣りは全然成果なし。イルカが居るところでは釣れないと言うがその通りであった。帰りに平の小屋を写す。昨日より空気が澄んでいた。
 午後満ち潮を狙って再度リョウキチと釣りに出る。イルカはいないで、今度はまずまず釣れた。リョウキチはジギングでハマチを狙うが釣れなかった。
 5時の「いわい」で、ナゴジローと裕子おばさんは柳井へ行く。
 波止で釣ったネバル2匹がお腹が大きく産卵前で、船で産卵させようとイケマに入れていたのだが、産卵しそうにないので、リョウキチが「逃がそう」と言うので逃がすことにした。
 5時過ぎ、10Kmランニング。51分台。まずまず。
 今日の新聞に、漁協の黒字経営が少なくなっているという記事が出ていた。祝島ではサエリ漁が始まったようだ。たくさん獲れるといいが。五月丸の隣の健洋丸も、かかり釣りからサエル漁に替わったようである。


1月7日(水)晴れ 弱い南西風
 朝、暗いうちから満ち潮を釣りに出る。8:30には潮が止まって釣れなくなったので帰る。鯛1匹とチダイやアジがまずまず釣れた。帰った途端に鼻水がたらたらでてき始めた。鼻風邪のようである。起きたときもくしゃみがやたら出てきたのが兆候だったようだ。一日の残りを鼻の穴に紙で栓をして過ごす。


1月8日(木)晴れ 北風
 寒気の端が祝島まで伸びているようで、冷えてきた。
 リョウキチの今年の目標は15cm以上のネバル100匹だそうである。おらも目標を作った。おらが目標
 鼻水が止まらないが、昨日よりはましのようだ。夕食は焼き魚。


1月9日(金)晴れ 北風後凪
 夕方前、リョウキチと海浜活動。伝馬船でネバルを狙って釣り針を10本くらいつけた釣り糸をひっぱる。ヨボシの手前まで行って、帰りにナカバエ沖で結構大きなコチが釣れる。リョウキチ初めてのコチを釣り上げ喜ぶ。目的のネバルは1匹も釣れなかった。伝馬船はなかなか進まないので、薄暗くなりかけ、竹林さん(たみちゃん)が、ハナグリの釣りからの帰りに心配して近寄ってくれる。波止の近くで釣り道具を底に引っかけて切らす。
 とにかくリョウキチとの伝馬船での釣りで初収穫の日であった。
 裕子おばさん柳井から帰る。


1月10日(土) 晴れ 西風弱〜やや強
 朝、コージロに釣りに出る。チダイやアジがおかずほど釣れる。帰りにタカトオを見るとおらが段々畑が少し見える。作業の成果が眺められてなかなか嬉しいものだ。
 午後、タカトオに行ってヨセや蔓などを切る。石垣は大分崩れている。
 ナゴジロー柳井から帰る。リョウキチのコチをみんなで賞味する。旨い魚である。


1月11日(日)晴れ 北風のち西風
 柳井短縮マラソン大会に出て10Kmを走る。50分を切ることが目標だったが、51分30秒くらいだった。以前のコースよりかなり厳しいコースに変わっていた。高校生が大勢参加して一般と一緒に走ってくれたので後尾車に敷かれることもなく、コースも迷わないですんでよかった。昼食はユウベエがラーメンを作ってくれた。
 昼食後、内海漁具店にいって、メバル用の疑似餌と小さい錨の安いのがあったので買って持って帰った。錨は伝馬船用である。リョウキチとの海浜活動の充実を図ろう。


1月12日(月)晴れ 北弱〜凪
 朝、行者様にお守りをもらいに行った後、コージロに釣りに行く。北風が少しあったがだんだん凪いできた。チダイ少々とアジが釣れる。ナイル号にも行ってみるが、アジしか釣れなかった。昼過ぎまで釣る。アジ6kg弱。
 ナゴジロー、昼便で柳井に行く。裕子おばさんは手伝いに行く。リョウキチは読書(ハリーポッター)。
 2時過ぎからタカトオ。リョウキチが読書終了(4巻の下)して伝馬船でナカバエに行く。竿でネバルを狙う。おらが2匹。リョウキチは0。昨日買った疑似餌と錨を使用。


1月13日(火)晴れ時々雪 大西風
 大西風だが朝便の「いわい」が来た。朝刊が読めるのはいわいが就航してからである。おらが家の朝刊は竹林さんが、波止からの帰りに運んでくれる。今朝は難波のおばんが煮しめを持ってきてくれた。神明様の日には煮しめを炊くらしい。神明様は昨日。
 時々雪が舞っていた。子供達は雪の積もるのを期待しているが、おらは温かい方が良い。
 夕方、裕子おばさんは綿村の餅つきの手伝いに行く。


1月14日(水)晴れ 西風
 裕子おばさん、棟上げ準備の手伝いに行く。
 伊予かん収穫に山田農園に行く。コンテナ5杯ほど収穫して帰る。西風が昨日より弱まり、東の方の山は日射しが温かかった。


1月15日(木)晴れ 西風弱
 綿村の棟上げ、餅まき。餅まきは久しぶりである。リョウキチも上がって餅をまく。裕子おばさん手伝いの棟上げ。
 男が棟上げ準備をしている間、女は餅まきの準備や膳を作り、配って歩く。膳を作る間、いろいろな話が盛り上がって楽しかったそうである。

綿村はなかごう たっているのは文彦君 手作りの膳

 祝島の人家は東方(ひがしがた)、中郷(なかごう)、西方(にしがた)と大まかに言う。運動会などでは1分団から4分団に分けてテントを張る。1分団は「朝日(あさひ)」、2分団は「若草(わかくさ)」、3分団は「中央(ちゅうおう)」、4分団は「祝西(しゅくせい)」ということもある。


1月16日(金)曇り 北東風
 裕子おばさん柳井行き。
 海浜活動は休みで、ギターを練習する。リョウキチと2人で、「二つのギター」を練習しているのである。
 夜、松井君から電話。モトユキ君の所まで来ているという。


1月17日(土)雨後曇り晴れ 北東風後凪
 岩国の友人の所に行く。松井君とモトユキくんにも会う。
 昼に柳井に出て、いろいろ買い物をする。リョウキチは一人祝島で、オムカレーライスを作ったらしい。写真に撮っていた。一口味見用に残してくれていた。なかなかやるもんだ。
 夕便で帰って、リョウキチと伝馬船でネバル釣りをする。おら1匹。リョウキチホゴ1匹。帰りにリョウキチを波止の外側におろし、伝馬船を波止の内側につなぐ間に、リョウキチは3匹釣っていた。

オムライスカレー ナカバエでの釣り

1月18日(日)晴れ まずまず凪ぎ
 朝、波止でネバル釣り5匹。1匹バケツから逃げる。
 波止から帰ってコージロに釣りに出る。小タイ1、チダイ1、アジ数匹。何匹かタイらしいのが来ていたがもげる。
 午後、都道府県男子駅伝を半分くらい見て、タカトオ開墾に行く。
 夕方リョウキチと波止でネバル釣り。リョウキチ1匹、おらはスラ。
 山崎さんからコロッケをもらった。


1月19日(月)晴れ 西風強
 裕子おばさん夕便で帰島。
 伝馬船を補修のためにリョウキチと2人でのぼせる(陸に揚げる)。


1月20日(火)曇り やや東風
 夕方、平生の田坂先生から電話があった。田坂先生はおらが祝島小学校5年の時の担任の先生で、声を聞いたのは実に45年ぶりということになる。写真を撮って自分で現像して、生徒達にくれたのを覚えている。大変なつかしかった。春に桜が咲く頃に平生の方達と来島する話が出ているらしい。その時は道案内をさせてもらう予定である。田坂先生が祝島小に勤めておられたとき、ケグワの写真を撮ったのが、当時の朝日新聞に載ったらしい。田坂先生は多分理科関係で、確か祝島小から田布施農業高校に転勤されたとの噂をうろ覚えに覚えている。
 晩方、山田君が来てリョウキチに伊予かんの新しい品種の「オオタニ」と言うのを持ってきて見せてくれる。味見もした。もぎたてで少し酸味がある。伊予かんより堅めで、実の表面がツルツルでツヤがある。中の身も伊予かんより堅めで少しハッサクに似ているが、香りや味は伊予かんである。


1月21日(水)曇り時々雪 西風
 夜、PTAスポーツ。秀人君も帰って参加してくれる。帰り道には雪が積もっていた。リョウキチ達は小さい雪だるまを運動場で作っていた。浜村さんからハゲの刺身をもらった。


1月22日(木)曇り時々雪
 道の水たまりが、朝から一日中凍っていた。祝島では珍しいことだ。


1月23日(金)雪のち曇り時々晴れ間 西風弱
 朝、雪が降り、積もる。約5p。昼過ぎまで祝島が雪化粧。
 子供達は雪合戦。若い大人も混じっていた。
 祝島で雪が積もるときは、たいてい四国側に高圧部があるときである。典型的な冬型の気圧配置の時ではないように思う。


1月24日(土)晴れ 西風弱
 裕子おばさん柳井行き。
 朝ネバルを4匹釣る。
 午前中荒神山を歩く。荒神様は見つからず。「門の谷」からの道に出て、「モリ」に下りる。雪が残っている畑にエンドウが成っていた。
 午後、ソーヅイに行く。ビワの木の枝などを切る。今年はビワの実が少なそうだ。梅の花が間もなく開花しそうである。


1月25日(日)晴れ 西風強
 柳井まで、リョウキチと一緒。
 宇部に松田正平展と山田洋二監督の講演に行く。権ちゃんと菊川さんの所に行くと、正平先生の所に連れて行ってくれる。権ちゃんは正平さんと祝島で親しい間柄で、その事をご存知の菊川さんが連れて行ってくれたのである。正平さんは91才になられた。権ちゃんを見て、「なつかしい顔がきたのお」とおっしゃられた。私をも覚えてくれていた。権ちゃんの後で握手をしてくれた。
 正平先生宅から、展覧会場に連れて行ってもらう。70点の作品が展示され、祝島でなじみの風景がたくさんあった。
 松田正平先生の絵は見るたびに好きになっていく。友人の孝さんのいうとおりである。
 14時から山田洋二監督の講演があり、質問の時間も30分あった。演題は「私と宇部と松田正平」。小津安二郎監督の話から笠智衆、渥美清、大江健三郎、洲之内徹、諸氏から松田正平さんに繋がるはなしで興味津々で聞けた。
 恵美ちゃん、三千代ちゃん、秀人君も一緒であった。
 帰る途中で岩国の病院に入院していた友人の逝去(今朝)を知る。
 柳井のホテルに権ちゃんと泊まる。


1月26日(月)晴れ 西風弱
 柳井の斎場に、友人との別れに行く。小学生の頃の顔に戻っていた。
 斎場への行き帰りを祝島の同級生の和男君の車に乗せてもらう。
 夕便で祝島に帰る。タカトオでの作業用のスコップを買って帰る。
 リョウキチ、ネバル小2匹。


1月27日(火)曇り 西風弱
 リョウキチと通夜に行く。和男君と話をする。


1月28日(水)晴れ 少し西風
 葬式。
 伝馬船改良中。
 ナゴジローが風邪で裕子おばさん柳井行き。
 宇部の岡本さんから「正平展」の時の写真がメールで届く。


1月29日(木)晴れ 少し西風
 揚子江気団が顔を出すようになってきたが、祝島沖はなかなかベタ凪にはならない。
 裕子おばさん帰島。
 夕方リョウキチとネバル釣りに行くが、気配なし。
 孝さんより、正平さんの画集が届いたとのメールが来る。孝さんは暇を見つけては絵を描いているようだ。


1月30日(金)晴れ 少し西風
 日射しは明るい。ソーラー温水器の水が、少し温くなり始めた。
 夕方、船底塗り。


1月31日晴れ 凪
 いい天気である。午前中リョウキチと伝馬船キール付け作業。
 昼に秀人君が呼ぶので出てみると、益田君が入院中によく話していた実習生のMさんたち2人が祝島まで焼香に来てくれたのである。
 午後裕子おばさんと長磯に生ゴミ処理に行く。そのあとカミカドの干潮(ヒシオ)を釣る。アジが20ばかり釣れる。
 久しぶりに夕陽を見ながら帰る。
 祝島ネット21の会報ができ、秀人君が持ってきてくれていた。
 夕方薄暗い中を久しぶりに3kmランニング。1月が行った。


 2月へ行く