祝島日記 2004年3月

祝島雑記帳トップに戻る 2003年の9月に戻る 10月に戻る 11月に戻る 12月に戻る 1月に戻る 2月に戻る


3月1日(月)曇り 凪
 ユウベエの卒業式。自炊で3年間、よく頑張った。裕子おばさんも柳井に来る。リョウキチは祝島で一人暮らし、といっても昼間だけ。
 おら達二人は夕便で祝島に帰る。おらは約8kmをゆっくりランニング。2月にクドレで転んだときの名残で、足首がまだ少し痛い。年をとるとなかなか治りにくい。


3月2日(火)晴れ 西風 3月にしては少し冷たい日
 リョウキチは昨日、今日と学年末テスト。終わった後、野球部の練習。
 夕方、おらは生ゴミを埋めに裕子おばさんと長磯に行く。裕子おばさんはツワ(ツワブキ)を採って帰る。今年はいつもの年より新しい芽が出るのが遅いようだ。


3月3日(水)曇り 凪
 ALTのトーリさん夫妻が来島。トーリさんの奥さんは高校のALTで、ナゴジローを知っていて、いい人だと言ってくれた。
 雛祭りで裕子おばさんがちらし寿司を作った。お雛様は年齢には関係ない祭と言うことである。


3月4日(木)晴れ 西風かなり強
 3月14日に橋部さんの知り合いの方々が平さんの田の石垣の蔓を切りに来られるということで、下見がてらシラサキまでゆっくりランニングで行った。コソウヅで木村のおじさん(長一さん)とおばさんに出会ってポンカンをもらって食べながらいった。オオクボあたりで平の万次さんに出会った。道が工事中なので、その事を気にされていた。工事中でも歩いてなら通れるように小さい道をおかがわに造っていた。
 シラサキに山吹の花が一輪開いていた。


3月5日(金)晴れ 南風強
 日射しは明るいが風が強い一日。
 リョウキチ、ウバユリの葉で「おひたし」を作ってみると、葉っぱをとる。葉から汁が出たので、ベネジクト液で糖分を確認すると少しダイダイ色が出た。
 今日島内放送で、アオサ、テングサ、フノリの口開けがあった。この土・日は大潮である。
 文彦君が野球部の予定表を持ってきて、少し話などをして帰る。
 ウバユリの葉のおひたしは少し苦みがある。おらや文彦君は大丈夫だが、リョウキチや裕子おばさんは苦すぎるという。
 「たそがれ清兵衛」を見た。小説を時々見ながらテレビを見たら、筋は違っていた。後でリョウキチが、テレビ欄を見て、短編を3作くらい併せて作られているらしいと言っていた。そう言えば、相手が斬りつけた刀が梁に邪魔されるという場面は他の作品にあったようだ。


3月6日(土)曇り時々雪 西風強
 このところ寒気で寒い日が続く。
 朝便で上関の歯科診療所に治療に行く。差し歯の前歯3本セットが抜けたのである。3年くらい前からどうもぐらついているようだったのだか、ついに昨日の夜スポッと抜けた。中学生の頃から虫歯になっていたのだが、中学生か、高校生の時、ビワの木に巻き付いたカズラを歯で切ろうとしたら、足下が滑って、歯がカズラに引っ掛かり1本折れてしまったのが、この差し歯の始まりだった。今は進んで3本セットになっている。歯の抜けた顔は年を一度に20歳くらいとったような顔になる。
 差し歯をはめてもらって昼の便で帰る。午後小屋の壁をきれいにする。夕方帰る途中、雪がちらつく。
 帰ってみるとリョウキチはペーパークラフトの飛行機を作っている。午前中は野球の練習。


3月7日(日)晴れ 西風強
 松村のおじさん(とんもーさあ)がハナグリ情報を持ってきてくれる。きのう5.3kgの鯛を釣ったそうである。疑似餌を作るスカートもわざわざ家にとりに帰って、持ってきてくれる。おらが親父が遊漁客を乗せているとき、お客が8.3kgのヒラメを釣ったときの話をしてくれる。大きなタマがないので、お客がタオルを手に巻いてとったそうである。松村のおじさんは去年の夏に、かかり釣りのもやい綱に中指を挟んで、中指の先がとれてしまったのである。鯛に針を刺す(浮き袋に注射のように針を刺して空気を抜くこと)時、指の先がないので、ときどき竹の針を取り落とすそうである。おじさんは75歳で、現役漁師である。今の現役漁師で最年長は86歳で、この同級生がなんと3人もいる。このうちの三浦のおじさん(さんぶーさあ)は、まだ、かかり釣りをやっている。おらが子供の頃、親父と同じ酒造会社に行っていた。
 昼前から長磯の小屋の作業にいった。小屋の横にひさしが出来て、がらくたなどをそこに置く。午後も引き続き作業して、内部に松田正平さんのポスターやちらしの切り抜きなどをホームセンターで買った安価な額縁に入れて掲示した。つまり、おらが展示場にしたのである。小屋の名前を「つかれたら休むところ」にしようと思う。屋根が低く、上からトタン釘が出ているので、うっかり背伸びすると釘が頭に刺さるので気を付けなくてはいけない。座って見る為の丸太でも必要かと思う。


3月8日(月)晴れ 西風弱
 裕子おばさん、柳井行き。
 久しぶりに風が弱まった。昼までよく晴れていたが、午後くもってあまり気温は上がらなかった。


3月9日(火)晴れ 凪
 今日は光り凪。裕子おばさん帰島。
 昼過ぎ、波止を出ていく伸漁丸を見た。ヒジキ採りに行くようで、伝馬船を漕いでいた。昼にもよく干るようになった。旧暦は19日だが夕方にはかなり干る。
 晩飯は、リョウキチと鍋。


3月10日(水)晴れ 凪
 リョウキチ、早起きをして卒業式の送辞の清書。
 明日は第55回祝島中学校の卒業式である。マーティンさんも出席してくれるために今日来島予定。


3月11日(木)曇り午前中に強い雨 午後曇り
 卒業式。マーティンさん出席。いい卒業式だった。
 裕子おばさんは町の健康作りの会に出た。
 午後夕方近くに、長磯の小屋に裕子おばさんとリョウキチとで行く。展示場の最初の訪問者である。

マーティンさんとリョウキチ おらが展示場
最初の訪問者

3月12日(金)曇り 北東風
 午前中はどんよりとした天気。午後凪いでいい天気になる。黄砂があるようだ。
 夕方、磯に行ってナマコとワカメと名前のわからない海藻を採ってきて、つまみにする。裕子おばさんは自作の大根を採ってきておろして、ナマコに添えてくれる。


3月13日(土)晴れ 凪
 裕子おばさんはユウベエの住まいを探しに広島に行く。リョウキチは田布施近郊野球大会に出場のため田布施に行く。おらはまずハナグリに釣りに出る。その後、友人の49日ということでモトユキが墓参りに帰ったのと会って、その法事に顔を出した。午後、「森」から「門の谷」までの山道を確認に行く。目印の赤いビニールテープが白く色あせているので、見えにくくなっている。その後ウヤシマまで釣りに出て、一日が終わる。久しぶりにいい凪だった。
 成果。ユウベエの住処が見つかり、リョウキチは死球、四球で初の出塁、リョウキチ達のチームは1,2回戦を勝ち、おらは鯛2匹、アジ5〜6匹、イカ1つ。なんと海シラミが1匹掛かって上がった。鯛が来て口の中のシラミだけが引っ掛かって上がったのである。
 この日秀人君は海に携帯電話を落としたということである。


3月14日(日)晴れ 凪
 午前9時半頃から田ノ浦に行って、島関係の活動を手伝う。伝馬船が活用される。
 午後、平さんのシラサキの石垣の草刈りを手伝う。昼便で島外から10名以上の人が来て活動していた。
 大河原谷をこえたあたりの道が崩れているところを修理していた。その前までバイクで行ったのだが、帰りに忘れてきた。
 昼便でユウベエ、晩便でリョウキチと裕子おばさんが帰島。リョウキチ達のチームは準優勝だったそうである。準決勝戦でリョウキチ、バットに当てて初の出塁、しかも初めて3塁まで行ったそうである。目出度し、目出度し。後で聞くと、その時2点入ったそうだ。


3月15日(月)晴れ 凪
 朝、バイクをとりに大河原まで行く。6:30にはもう日が昇っていた。
 マーティンさんから電話。水曜日のPTAスポーツに来たいと言うことである。


3月16日(火)晴れのち曇り 凪のち南風 
 裕子おばさん柳井行き。
 ゴミ出しの日。頼まれていたのを忘れてしまう。新しく決まった運搬船が出ていくのが見えた。


3月17日(水)曇り 南風
 PTAスポーツが盛況でした。なんと松村杯が提供され、またなんとおらが受賞した。理由は確か足が長かったためのようである。メデタシメデタシ。


3月18日(木)曇りのち晴れ ほぼ凪
 昼頃少し西風が吹いたが、夕方近くには凪いだ。


3月19日(金)晴れ 凪
 海水を煮詰めている。


3月20日(土)曇り やや東風
 朝、カミカドに釣りに行くが釣れず。
 昼便で哲ぼんさん来島。船着場には間に合わず、釣りから帰ったところで出会う。団栗亭の娘さん二人と4人。
 テントを張ってシラサキの平さんの所に挨拶に行く。おらにも文旦などのお土産をたくさん持ってきてくれる。
 午後ちょっとハナグリに釣りに出るが、アジが4匹だけ。
 夕方から焼き肉の宴会を催してくれ、秀人君、文彦君、ヤッチャン、リョウキチとご馳走になりに行く。かず坊もやってくる。裕子おばさんもやってきた。楽しい夜だった。片付けもしないで帰った。


3月21日(日)曇りのち雨 やや北風
 朝便でリョウキチ達は野球の練習試合。
 昼前に五月丸で祝島を一周して、哲ぼんさん達、昼便で帰る。哲ぼんさんは大体祝島の形を頭に入れ、島の地名も頭に置いて眺めている様子だった。長磯の小屋にも気づいてくれた。平の小屋は勿論わかった。祝島通である。感心する。
 裕子おばさんも昼の便で柳井へ行く。
 夕方早い内に、モリにトラックを置きに行く。帰りは自転車。雨がポツポツ降り始める。帰ってからつまみのナマコとワカメを捕ってくる。
 夜、朝市の打ち合わせ。4月4日(日)に「島の朝市」をする事が決まる。


3月22日(月)雨のち曇り やや北風
 山歩きの予定が、雨のため延期になる。


3月23日(火)晴れ 北のち凪

谷には水が カズラで遊ぶ文彦君

 昼から7人で山道を歩く。線画の石と荒神様をガイドする。モリのトラックまで約3時間の行程。門の谷の谷道には昨日の雨による水が流れていた。文彦君達は大きなカズラにぶら下がって楽しんだりした。写真は暗いので手ぶれやモデルの動きでぼけている。
 夕便で裕子おばさんとナゴジロウ帰島。


3月24日(水)晴れ 凪
 夕便でユウベエ帰島。久しぶりに5人揃う。体育の時間に羽のついたゴルフボールみたいなのを打ってゲームをしていたところ、なんとおらにホールインワンが出たので、そのお祝いと5人揃ったということで、焼き肉をした。


3月25日(木)曇り時々雨 凪
 ナゴジロー、柳井へ行く。
 夕方前、大きな枯れたタブノキをモリまで切りに行く。持ち主のタッチャンに了解を得ていたのである。丸木船に出来ないかと思っていたのだが、枯れて腐っているので実用にはならないだろうと思うが、試しに小さいのは作ってみることが出来そうだ。 


3月26日(金)晴れ 東風のち凪
 タブノキの先を切ってみる。やはり腐っている。実用は無理である。行く前に船大工の江本さんに出会って、チェンソーの目立ての仕方を教えてもらう。
 夕方転出される先生方の送別会がはまや旅館であった。柴田先生、マキ先生御苦労様でした。
 はまやさんに長磯の小屋を宣伝してきた。敏坊さん達と神舞の話などをする。櫂伝馬の乗組員について少し進展があった。


3月27日(土)晴れ 凪
 周南市の原さん達がカヌーでやってくる。午後3時東の浜に到着。リョウキチ、ヨボシの釣りに案内する。ゴチが2匹だったそうな。おらはトビイシのマツを見に行く。1本は元気で、1本は枯れているようだ。
 夜、民宿「くにひろ」で原さん達と一杯。祝島とリョウキチをほめてもらっていい気分で飲んだ。 


3月28日(日)晴れ 凪
 清水丸に乗せてもらって、リョウキチとヤッチャンは野球の練習試合に、おら達はユウベエの買い物の付き添いで、柳井に行く。
 リョウキチ達のチームは2戦2勝だったそうだ。
 清水丸で帰る途中、四代と蒲井の間あたりでスナメリを3匹くらい見た。ナゴジローも帰る。
 帰ってから久しぶりにゆっくり4qのランニングをする。


3月29日(月)晴れ 凪
 昨日、今日と温かい天気で、桜がどんどん開いているようだ。
 リョウキチとナゴジローが、仕事場に昼の弁当を持ってきてくれる。外に出て山の方を見ながら弁当を食べる。


3月30日(火)雨 やや北東風
 柴田先生、マキ先生の離任式。
 小屋の看板を作る。間違って逆さまに書いてしまう。
 夕方、ゆっくり4kmランニング。長磯の桜が目立つようになった。


3月31日(水)晴れ やや西風(夜中は大西風)
 柴田先生、マキ先生引っ越し。
 昼前にリョウキチと北野に桜の花を見に行く。今道端に白い小さい花がたくさん咲いている。数日前、南先生に尋ねると、「スズシロソウ」ということである。
 裕子おばさん、昼便で柳井に行く予定が、夕便に延期。
 哲ぼんさんとさっちさんから、グレープフルーツとデコポンがたくさん届いた。恐縮である。絵日記のような楽しくも、有り難くもある手紙も入っている。携帯のストラップも。哲ぼんさん達の住所がわからないので、ここでとりあえず御礼を書いておきます。有難うございました。いつかソウズイのビワをよかったらゼッタイ食べていただきたいと思います。
 午後、長見山に昨年植えた桜の苗を見に行くと、2本の内1本だけ生きていた。帰りにツジへの道を少し進んでみる。尾根の道まで近いような所まで行けた。
 裕子おばさん、夕便で柳井行き。
 ナゴジロー、野菜炒めを作る。 


祝島雑記帳トップに戻る 2003年の9月に戻る 10月に戻る 11月に戻る 12月に戻る 1月に戻る 2月に戻る

3月に戻る