祝島日記 2004年5月
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5月1日(土)晴れ 凪
リョウキチのハナグリカヤック漕ぎに五月丸でつき合う。リョウキチはハナグリの穴の前に上陸。
9時出発、11時前に帰宅。(ハナグリ旅行)
午後、釣りに出る。ヨボシで釣ってみるが釣れないのでコージロに行き、チダイを1ダース。連休の蛋白源は手に入れる。
夕方、長磯に生ゴミ用の石灰を運んで、少し草刈りをする。
晩に綿村に行って、アオサをつまみに一杯ご馳走になる。夜中の2時まで話をする。かなたのとしちゃんと初めて飲む。としちゃんやかみさとさんにいろいろな現在の都会の情勢など聞く。けんぼうはギターについて博学である。いやあ、いろいろなことを麦酒と一緒に取り込んだ。
5月2日(日)晴れのち曇り 凪のち南風強
朝、モトがワタムラと一緒に来る。トキ坊の墓参りに行くとのこと。モトらが帰ってきて、おらも一緒にトキ坊の家に上がり込んで、麦酒をご馳走になる。
10時前に、朝市に行く。焼き物を9つ出す。としちゃんが1つ買ってくれて、教え子のあっちゃんが4つ、みちこさんが2つと、若い男性が2つ買ってくれた。なかなか情け深い方達のおかげで完売だ。
朝市を島の皆さん楽しみにしている。
午後、マーティンさんと荒神様に行く。バリバリノキが荒神様の近くにあった。今までで一番大きい。もっと大きいのが近くにありそうだ。
5月3日(月)雨 南風
昨日の夕方より南風は弱くなる。
向こうの中央が将棋盤風の石 |
昼までモトの所で珈琲を飲む。
午後、マーティンさんと雨の中を歩いてオオトオの線画を見に行く。線画の近くに、この前見つからなかった将棋盤風の石がすぐ見つかった。この前大分探したのに見つからず、今日は霧の中、雨に濡れた石では、見つかることも無かろうとほとんど期待もしなかったのにあっさりとよく見つかったものだ。
夕食は、浜栄さんの所で、マーティンさんの話を聞きながら、お好み焼きをご馳走になる。マーティンさんは古事記を読んでいるようだ。パワーポイントで、古事記の中に書かれている、作られた島の順番等を地図に書き込んだりしているものを見せてもらったが、よく勉強しているなあと感心する。
5月4日(火)雨 南風後西風
少し仕事をした。昼便でナゴジローとユウベエが出る。
午後、雨が上がってから長磯で少し草刈りをする。長磯に着く少し前にバイクのガソリンが切れる。
帰りに歩いて帰っていると、滋郎さんがトラックで通りかかり、乗せてもらう。帰ってから、ガソリンを少し持ってランニングで長磯に行き、バイクをとって帰る。
今日の風呂は入浴剤「旅の宿」の「登別」を入れる。「北海道旅行ね。」と裕子おばさんが言う。今年のゴールデンウィークは祝島で北海道旅行だ。
5月5日(水)晴れ 西風
いい天気になった。釣りに出るには少し波があるので、草刈りガマを4本研いだ。
昼便で田坂先生達15人来島。シラサキのイシガキを見に行く。ちょうど平さんも居られて、話を聞く。皆さん感激している面持ちだった。いい話を聞いたと、しきりにおっしゃっていた。
シラサキから帰って、時間があるので、三浦のケグワの木を見に行く。コッコーの木とアコウの木も、帰りに見る。
皆さん喜んで帰りの船に乗る。田坂先生は小学校5年と6年の1学期まで担任の先生だったのである。今日いろいろ話を聞いてわかった。平さんの小屋2
夕方リョウキチとキャッチボールをする。
5月6日(木)晴れ 凪
久しぶりに穏やかな天気だった。
夕方、キャッチボール。
5月7日(金)晴れ 凪
午後出張で上関に行く。帰りが定期便に間に合わないので、五月丸で行く。
帰りにコージロに寄って、おかずを釣って帰る。帰りに、薄暗くなった島を見ながら、平さんの石垣は島の宝物だなあ、松田正平さんの絵もそうだなあ、とか考えながら船に揺られる。
5月8日(土)晴れ
パソコンの終了ボタンの表示が文字化けをした。直し方を忘れていて時間をつぶす。
昼過ぎまでリョウキチとソーヅイに行って、ビワの袋掛けをする。リョウキチ初めて草刈りガマを使う。おっよく切れる、とかいって遊び半分やっていた。袋は100あまり掛けた。帰りに平の万次さんに会う。上の田は田植えが始まった。
帰って遅い昼食。その後、北野に行く。裕子おばさんの親元のビワの木一本の下草刈りをして袋を20くらい掛ける。カズラに覆われて上の方は枇杷の葉が出ていない状態だった。ショウイチおじさんが行かなくなったので、草ボーボーである。
5月9日(日)雨 凪
昨晩から雨。
北野で少し摘んできた茶の葉っぱで緑茶を作ってみる。その後、クワの柄が折れていたのを、新しい柄を削って取り付ける。
母の日でリョウキチは昼食にラーメンを作る。おらにも作ってくれる。
午後、長磯に行き、タマネギの所の草取りをする。他の畑はもう収穫であるが、おらが畑のはチューリップの球根くらいしかないのである。無農薬、無肥料である。草に栄養を奪われっぱなしなのかも知れない。雨が断続的に降る。雨が降るときは小屋に入って休憩。終わって雨が止んだ合間に帰り、散髪に行く。
夕食は、おらの調理でチダイ、アジの刺身とチダイの塩焼きが主。北野の茶も入れるが、何となくお茶と言うくらいしか出なかったが裕子おばさんはお世辞に喜んでくれる。あの茶の木は薩摩の知覧の木らしい。
5月10日(月)雨のち曇り時々晴れ 南風のち西風
ミソットー(イソヒヨドリ)らしいのがよく鳴いている。間もなくホトトギスが祝島にやってくる頃だ。
夕方、リョウキチとキャッチボール。
5月11日(火)曇りのち晴れ 凪
昼休みに珈琲カップを作る。
夕方、トビイシまでカヤック漕ぎ。松と桜の苗を見る。桜は藪の中で成長している。
帰ってからリョウキチはルアーで釣りに行き、30分でゴチを2匹釣って帰る。ルアー6投で2匹で効率がよかったと感想を漏らしていた。
5月12日(水)晴れ 凪後南風
午後、南風が吹き始める。夕方はかなり強まる。トビイシまで歩いていき、松の苗を1本植え、桜の木の周りの草を刈る。
夕方キャッチボール。
5月13日(木)雨 南風強のち西風弱
夜中には南風が強かった。夜中から夕方近くまで雨。
夕方、1時間近くのカヤック漕ぎ。
5月14日(金)晴れ 凪
清水丸に乗せてもらい室積市に行く。目当ての金物屋さんがなかった。3年前に包丁や鉈などを買ったのだが、その時大分歳だったので、ひょっとしたらもう止めたかなあと思っていた。残念だった。出店も全体的に少なくなっっていた。
横笛と、鯛焼きと金魚を3匹、海産物少々手に入れて帰った。リョウキチは鳥の皮の串刺しを買って食べていた。
裕子おばさんは、ナゴジローへのサービスのために柳井に行った。
5月15日(土)曇りのち雨 東風のち南風
リョウキチのカヤック旅行を予定していたが、少し風があるので中止にした。
タカトウに上がってみる。芋蔓がなんとか生きている。リョウキチはオカエビ用の水槽に入れる落ち葉をとって帰る。その後、クドレまでカヤックで行き、リョウキチはゴチを狙う。早々と2匹釣れたが、その後ゴチは釣れず。フクトウと、ヒョコタンが1匹ずつ釣れたようである。帰る頃、少し南風が強くなる。
午後小雨の中を長磯に行ってみる。ソラマメが少し収穫できた。
5月16日(日)雨 凪
昨日、祝島の絵を沢山描いてくれた松田正平さんが亡くなった。91歳。
5月17日(月)曇り 凪
夕方、ヒノクサキまでカヤック漕ぎ。東の浜に花が咲いている。マンテマは江戸時代に日本に入ってきた帰化植物らしい。地味なナデシコである。漕いで帰ってきたら黄色の花が開いている。マツヨイグサの仲間だと思う。明るい昼は花を閉じている。
カヤック漕ぎから帰ってきたら、ニュースで、松田正平さんの告別式をやっていた。
5月18日(火)晴れ 凪
鹿児島県の焼酎を文彦君と飲む。つまみは秋のモイカ。
5月19日(水)曇り昼過ぎから雨 凪
学校の草刈りに島の皆さんが150人くらい来て、グランドや周辺が見違えるように綺麗になる。
夜はPTAスポーツで汗を流す。その後一杯。
ホトトギスの鳴き声を聞く。
5月20日(木)雨 凪
リョウキチとギターを弾いた後、マンテマを海岸に採りに行き、学校の花壇の隙間に植える。
5月21日(金)晴れ 凪
夕方生ゴミ処理で長磯に裕子おばさんと行く。ついでに草刈りもする。
5月22日(土)曇り 少し風
朝、裕子おばさん、大きい声で笑いこけながらアイちゃんと電話をしている。
昼過ぎまで、山道の草刈りをする。その後少し仕事をする。
夕方、ヨボシに出ると運よく鯛が釣れる。薄暗くなってアジも釣れる。
5月23日(日)晴れ 凪
朝早く、ヨボシに釣りに出る。涌いているのでヤズ漕ぎをしてみると釣れる。これも幸運。
昼間にあれこれこまごまして、夕方も釣りに出ると、これまた運よくヤズと鯛が釣れた。昨日、今日となかなか運に恵まれた日々だった。ただし、ヤズ(1kg級)が今頃釣れるのは珍しい。3ヶ月くらい遅れて生まれたのが、時期的なずれで成長が遅れたのだろうか。普通のヤズなら11月頃の大きさである。
夕便で恵美ちゃんから宮本常一の本「瀬戸内海研究(1)」が届く。ゆっくり読ませてもらおう。今、「日本列島を往く(3)海に生きるひとびと」というのを眠る前に数頁ずつ読んでいるのだが、この中に【エビに賭ける・大分県姫島】という章がある。姫島は車エビが基幹産業だが、なかなか紆余曲折があっての現在である。宮本常一も、その最初の頃の発起人的な立場にあったということである。
5月24日(月)晴れ 凪
夕方、リョウキチとキャッチボールをして、久しぶりに4kmランニングをする。
5月25日(火)晴れ 凪
夕方、リョウキチとキャッチボール。ノリコが携帯を持ったようである。掲示板に書き込んでいたけど、少し間違いなどがあるので消してくれと携帯で電話があったので消した。おらも返事を打っていたのだが、幻の書き込みである。
5月26日(水)晴れ 凪
リョウキチ、健洋丸にコイカをもらって帰る。
夕方、文彦君達とヤズで一杯。
マツイのノブ君から手紙が来る。亡くなった友達のことを書いてくる。中学生時代にトキ坊と一緒にヨボシに潜みに行ってオコーデにさされたこともあるらしい。最近帰ったときにカラッコーを見ないと書いてあるが、確かにそうだ。少なくなった。メールアドレスが書いてあったので、メールを送ってみたが帰ってきた。どこか違っているらしい。
5月27日(木)晴れ 凪
夕方リョウキチとキャッチボール。いつもヒラギでやっていたのだが、通行の邪魔になるので前回からスイサンカに行ってやるようにしている。ホトトギスの鳴き声がよく聞こえた。ごんちゃんが通りかかり、正平さんの話をしていく。
5月28日(金)曇り 凪後南風
朝刊(読売新聞)に千葉県の種なしビワの記事が載っていた。2008年頃から売り出しらしい。よくわからないが染色体数が3倍体の株に成長剤をかけるなどするとそうなるということだ。確か、種なしバナナも何倍体かの木からできると言うことを読んだことがある。
昼便で、裕子おばさん柳井行き。
夕方伝馬船のアカカエをする。
5月29日(土)曇り時々雨
ソウズイに行ってみる。草ボーボーである。ビワは不作で、粒も小さいようである。食べるくらいはある。
ソウズイから帰ってナカバエに行って釣ってみる。ヒョコタンしか釣れなかった。満ち潮でフクトウ(クサフグ)が餌をとる。アブラメは釣れそうもない。釣れたヒョコタン3匹をサンガ(祝島では何というのか、蒲鉾に叩くとでも言うのか、包丁で叩いて小さく切り刻んだもの)にして味噌を載せてつまみにしてみる。まあまあいける。
昼からゆっくり長磯に行って草を刈る。その後、竹を切って、北野の、大きい道から裕子の親元の田んぼだったところまでの道の草を刈る。今は草がどこもボーボーと生えている。ビワはまだ真っ青だった。
リョウキチは善徳寺の息子さん達と一生懸命遊んでいる。
5月30日(日)曇り時々薄い日射し 凪
朝、リョウキチ柳井行き。出ていった後、おらはソウズイに行って草刈りをする。草ボーボーが草ボーくらいになった。スズメバチが飛び交うようになった。
帰って朝・昼兼用の飯を食べて、釣り道具を付けかえて、コージロを目指し出発だ、と思って波止に出てみると南風が吹き始めた。引き返して珈琲を飲む。
秀人君が万ちゃんの載った中国新聞を持ってきてくれる。何と万ちゃんが社長になっているのだ。いつの間になったのか、と噂をする。今晩、昔の神舞のDVDの試写会をしようと言うことになった。難波のタカ坊の撮影した8mmフィルムをDVDにダビングしたものである。
8時から見た。昭和51年と55年の神舞と55年の祭が映っていた。特に祭のシーンは繰り返し見た。秀人君は御輿を担いでいたのに忘れていたようだ。祭の映像はきっと珍しいだろう。1分足らずだが、かなり値打ちがあると思う。
晩便で裕子おばさんとリョウキチ帰島。
5月31日(月)雨 南風のち西
1日中雨だった。夕方、裕子おばさんが、パズルを何かの切り抜きで持ち帰り、おらとリョウキチにやらせる。おらとリョウキチは夕食を食べながらやった。裕子おばさんは夕食前にパズルを提供したのを後悔していた。
このところホトトギスの声を聞いていない。昨日がホトトギスの移動日だったと思われる。
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